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山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

スマホゲームの CM について

スマホのゲームはスマホ用に作ってある。とても上手に作ってあって立派だと思う。スマホでゲームすると、ワーとかウオーとかなる。スマホのゲームは素晴しいと思う。

だけどテレビにスマホのゲーム出てくるとすごいショボい。まずテレビは横長でデカい。テレビには家電界の重鎮の風格がある。それに若手のスマホゲームがシャシャり出てきて、縦長のショボいアニメ?みたいな絵がバーンって表示されてチョコチョコ動いてるの見ると、すごい微妙な気持になる。とにかく貧乏くさいと思う。

スマホゲーム作ってる人からすると、俺らが作ったゲームを金払って CM に出してるんだから文句云うなって話なんだろうけど、スマホゲームテレビに出てくるたびにけちくさい気分になって日本のGDPが10円くらい減ると思う。1000回CMしたら10000円減ります。最終的には GDP が 0円になってスマホどころじゃねぇみたいな雰囲気が到来し、日本人みんながスマホ買えなくなる。君らはスマホの事を思い出しながら10回ローンで買った板チョコをフリックしまくって、指先チョコでベトベト人生を送ることになる。そんなことになってもいいのか? いや良くない。良くないけどスマホゲーム CM したいって人がいる以上は諦めるしかない。そもそも人類とかあと10000年もしたら滅んでるんだろうし、細かいこと気にしても仕方ねぇよな。僕らは今できる最高のことをして生きていくしかないんだ!

それでは最高のこととはなにか? 自分の足の裏をずっと見続けることか? それは違うよな。人間にとって最高のことってなんなんだろうか? この答を出すのは凡人には難しい。それでも私は良い人だから、みんなのために我慢してなんか良いのないかなーって考えてたら、最高のことを思い出した。最高って講談速記本を読むことだよな!

kakuyomu.jp

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これは読みにくい講談速記本をテキスト化してくれているだけでなく、ふりがなまで付けてある。本当に素晴しい読み物で一体どこの誰がこんな良いものを提供してくれているんだッ!!って思ったら私でした。みなさんも講談速記本を読みましょうというわけで今日も読んでくれてサンキュー!

『老害』を使うのは止めよう

趣味と苦悩

時代遅れの価値観を振り回し、新しい試みにケチをつけ、すぐに怒る人間のクズは、現在のところ老害と呼ばれている。

老害ではない人間が、老害というのはこういうものであるだとか、老害は消滅して欲しいといった会話において、老害という言葉を使うのは構わない。しかし老害である人間に対し、お前は老害だと知らしめるためには、老害を使わないほうがいい。

まず老害本人は、老化を全く感じていない。老じゃないんだから、老害って言われてもハァ?っていう反応になってしまう。なぜ老化を感じないのかというと、人間という生物はオッさんを超えると人体マジギリギリとなり、老化を感じる身体器官がダルダルになるからである。まあ瞼とか閉じたり開いたりするし、俺もまだまだ若いだろとかそういう雑な基準になってくる。

もうひとつの問題として、若者であっても老害っぽいカスは存在するというものがある。若者の老害はストレスで脳とか色々悪化してるものの、身体はまだまだ若い。昼飯にスタミナドデカ盛り弁当を食べ、徹夜で宴会?みたいなのをして、次の日に仕事に行ったりする。健康で若い人間は勢いがあるため、お前は老害だと批判したところで老とか無効化してしまう。

そもそも『老』と『害』を混ぜるのが良くない。

『老』というのは身体の状態で、『害』は肉体によって外界にもたらされた状況である。

『老』は他人の肉体にあるものなのだから、本人が俺は絶対に老とは違うって言い張ったら逃亡することできる。客観的データを出したら納得する奴もいるかもしれないが、あくまで主観だからな、理科算数低レベル野郎が大好きな客観とか出してもジイさんに通用するかムダな抵抗なんだよだボケが。

しかし『害』は違う。ダメなオッさんとかジイさんの肉体によってもたらされた厄災が『害』であり、『害』はすでに本人の手から離れている。外部にあるのだから『害』を他人がどうイジくろうが手出しできない。

とにかく最近の若者には思いやりの心がない。若者はゲームばっかりしてるゲーム脳で、バーチャル世界しか知らないから、他人の立場で考えることができないんだと思う。昔はこうじゃなかった。原っぱとか走りまわって大喧嘩なんかをしてリアルを感じていたものです。

例えばなんだけど、若者には外部にしか価値観のない文化程度の低い奴らが大量にいる。まあ年代関係ないし実際のところそういう奴は女に多いんだけど、そういうこと書くとフェミ?みたいな奴らが怒るので、若者には外部にしか価値観のない文化程度の低い奴らが大量にいる傾向があるとしておこう。そういう低文化人を称しジイさんが若無と呼んだとして、それが自分のことだと気付けるだろうか?いや気付くことなどできない。大学みたいな奴でも老いを感じてる人ら多いからな。若無とか言われてもハァ?って感じだと思う。そんな回りくどい言い方されて混乱させられるよりも、ストレートに無とか脳内薄っぺらとか呼ばれたほうが良いという気運が年々熟しています。これはすごい熟しかた、見事なラストスパートです。だからジイさんは明日から若者のことを薄っぺらと呼んであげてください。これだけは頼んでおきます。

老害もやっぱりそうで、ジイさんからしたら老害とか言われても意味が分からない。だから今後は老害である人間に対し老害だと自己認識させるため、『害』と呼ぶべきだと思う。ガイとか呼んだら外人っぽいから、オッさんとかジイさんは喜ぶ。所詮は『害』だからな、そのくらいの知能しかない。

ここまで読んでこいつなにが言いたいんだって思った人がほとんどだと思うんだけど、実はこれってかなり無理矢理書いてんだよね。私は老害とか発話したことねぇし、全く興味ないしクソどうでもいい。だいたい新しく出来た言葉使いたがる奴とか99%の可能性でゴミみたいなことしかホザかないんだから、老害って言葉出てきた時点で俺は読むの止める。老害もどうでもいいし、老害って言葉を使う奴もムシっておいたら良いと思う。この件に関して私は意見とか皆無です。だからこんなの読んでも意味がありません。ここまで読んだ人は人生の貴重な時間を無駄にしました。

無駄にしちゃったものは仕方ないので、良い文章を読んで挽回するしかないと思う。だけどネットにある文章ってたいしたものないよな。それでも私は良い人だから、みんなのために我慢してなんか良いのないかなーって探してたらとうとう良いのを発見してこれが実に素晴しかった。

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読みにくい講談速記本をテキスト化してくれているだけでなく、ふりがなまで付けてある。一体だれがこんな良いものを提供してくれているんだッ!!!!って思ったら私でした。みなさんも講談速記本を読みましょうというわけで今日も読んでくれてサンキュー!

ミート現象について

明治文化

フィクションの世界において、作中では知性派で優秀な頭脳を持っていることになっているものの、キャラクターは作者の創造力を超えることはできないという制約ゆえに、読者からするとものすごいバカに見えてしまうという状況がある。これはキン肉マンのミート君にちなみ、ミート現象と呼ばれている。

もちろんキン肉マン以前にもミート現象は多々発生していたのだが、読者のレベルも低かったため、あまり気にも止められることもなかった。というわけで今回は、明治43年のミート現象を紹介してみよう。

まず下記の講談速記本から引用した文章を見ていただきたい。

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春日後日宮嶋大仇討 玉田玉秀斎 樋口隆文館 明治43(1910)年

『孔明も三舎を避ける、楠木正成も裸足で逃げる』とあるため、どのような策略かと思ってしまうが、その実態は舟に乗った人を川に落して石を投げるというものである。孔明はこんなこと考えないと思う。

策略を実行した結果は、罠にかかった主人公が怒り狂い、人を斬り殺しまくり死人が8人程度でるという悲惨なものであった。

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ミート現象が発生すると、読者は作者に対し優越感を感じることができて気分が良い。そのため作者が意図的にミート現象を発生させることもある。先程引用した書籍『春日後日宮嶋大仇討』で発生したミート現象も、恐らく意図的なものである。なぜそんなことが分かるのかというと、無駄にギャグがちりばめられているからだ。実例を挙げると、下記のニャーンギャグである。

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この様にミート現象は作者を馬鹿にしているつもりの読者が、作者の掌の上で踊らされているといった状況にもなり得る技法で、深読みを始めるとなかなか面白い。そもそお『孔明も三舎を避ける、楠木正成も裸足で逃げる』というのは、講談速記本では定番の表現で、それが明治の40年代にはギャグになってしまうということに驚くべきなのかもしれない。

下記の作品でも当たり前のようにメタフィクションの手法が使われている。漱石の猫伝でもメタフィクションは使われているが、純粋に技法として見ると、こちらの作品のほうが高度である。当時のギャグ水準の高さを思い知ることができるだろう。

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文化というのは常に前進するものではなく、時に後退したり回り道をしたりする。今となっては考えられないことだが戦争を挟んで文化水準が落ち、講談速記本のギャグレベルを他の創作物が取り戻すまでには、長い時間がかかっている。