山下泰平の趣味の方法

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〜は良いこともした(影響もあった)みたいな話は難しいらしい

戦争の話が多いんだけど、悪いことをしたとされている存在を擁護するために、良いこともしたみたいな話が出てくる時がある。これは別に難しいことではなくて、そりゃ良いこともしたでしょとしかならない。

例えとして扱うだけなのでなんでもいいんだけど、この文章は日本語で書いているので日本軍にしておくとして、例えば日本軍が全体的にみると悪いことをしていたとして、良いことをしたケースもある。最も多くなされた善行はというと、早起きだと思われる。

早起きが善行なのかといえば、これは社会によって異なってくるが、戦前の日本では善行会が早起を推賞をしていたことは一般常識である。周知のとおり一日一善運動の際には、早起きが一善として扱われるケースが多くあった。これが早起推賞運動につながっていき、善行会が早起を推進することとなった。つまり戦前の日本の社会では、早起きが良いことであるというのが真実であったのだから、日本軍で大量の善行が行なわれていたことになる。このように善行が行なわれていたことは絶対の事実だが、全体の評価が変わることはない。以上で話は終りで実に単純である。

これが難しくなってくるのは、こういう善行があるのだから評価を変えるべきだと考える人がいたり、悪い存在なのだから一切の善行を認めないっていう人が出てくるからだと思う。現代では否定されている過去に善行に見えるように仕立て上げられた業績(主に過去のプロパガンダ)を今更持ちだして、こういうことがあったぞ!! と語る人とかが尋ねてきたらますます話がまとまらなくなる。

色々あるけどそれが実際になされた善行ならば、あったものはあったんだからあったというだけの話でしかない。なんで単純な話が難しくなるのかは謎で、よく分からない。

ちょっとややこしいので補足しておくと、基本的に早起き運動は個人のオッさんの思い付きから発生したもので、当時の政策とはあんまり関係ない。(しかしオッさんは戦後に批判されてもいて余計ややこしいのだが……)さらにややこしくなるかもしれないが、当時の政策にのっかった紙芝居の作品群があって、そののっかった部分に関しては当たり前だけど評価できない。そのうち大勢の人間を集めて紙芝居を披露する必要がでてきたので、超巨大な紙芝居を作る人が出てきたんだけど、超巨大な紙芝居を作る(デカけりゃ遠くからでも見えるだろ的な雑な発想)という行為自体は馬鹿馬鹿しさの点で評価できるみたいな話なんだけど、これって伝わらないですよね。