山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

かわりのものを用意できないのであれば止めないほうがいいとは思うけど

かわりのものを用意できないのであれば、止めないほうがいいというのが最近考えていることで、少し前に大学生が週刊漫画雑誌(マガジンだったと思う)を、電車の中で読むことが問題視された時代があった。なぜ問題なのかというと、基本的に学んでいる若者(15歳くらいより上の子供)は、難しい本を読むべきだと考えられていたからである。こういった考え方は教養主義と呼ばれていた。

太平洋戦争が終って、市民が本屋に殺到し様々な本を購入した(発禁処分を受けていた共産主義関連の本を……っていうバージョンもあった記憶がある)みたいなエピソードがあるんだけど、これも教養主義があったから起きた(あるいは作られた)現象であろう。

教養主義なんてものは、今となっては知らない人もいるのだろう。私自身は教養主義にわりと影響を受けていて、岩波文庫を読んでたりはしていたが、別にそんなことしなくても問題なく生きていけると思う。ただ教養主義のかわりのものを用意できないのであれば、続けていたほうが良かったんじゃないかとも思わなくもない。

雑な解説になって申し訳ないのだが、大昔の若者はこれを学ぶのは集団にとって良いことなので、これを学びましょうと上から提示されたものを学んでいた。それと合せて、こういう道徳を守ると良い感じになりますので守りましょう(通俗道徳と呼ばれるもの)、守って学ぶうちに人格も良い感じになりますよ(こちらは修養と呼ばれる)というのが教養主義以前の社会であった。

難しいことを考えなくても済むため、それはそれで楽ちんで良かったものの、俺は俺で学ぶことを選んで俺の好きな人間になるというような時代がやってきた。

書生界名物男河岡潮風 (英男) 著 本郷書院 明治四四(一九一〇)年

新しい知識を得た若者が考えそうなことで元気があってよろしいと思う。

ただ自分でなにかを選ぶのは疲れる。先にそういうことをした奴らから話を聞いたりするうちに、だいたいこういうものを読むと教養がつくんじゃないですかね……あるいはこれ読んでないと友達から馬鹿にされちゃうよな……みたいな気持になる若者が増えていく。やがてだいたいこういう感じのものを読んでおいたらいいというような気持が強くなっていき、発生したのが教養主義である。雑ながらも実に分かりやすい解説ですねこれはというような自画自賛はどうでもいいとして、この辺では「学生に与う」や「三太郎の日記」が有名なんだけど、「三太郎の日記」は面白くないし、「学生に与う」は説教くさい。だから別に読まなくてもいいと思う。

難しいものを読まなくてはならないといった感覚は、すでに消滅している。教養主義自体があやふやで頼りないものなので、なくなったからこうなったといったことは言えないが、あったほうがマシだったんじゃないのかなとだけ思う。

もうなくなったので遅いわけだけど、なくすならなくすで別の意味なく難しいものを読む理由を作っておけば、よりマシであったような気がしないではない。なんでそういうものが作れなかったのかというと、教養主義大好きみたいな人に創造性がなかったことに原因があるんだと思われる。創造性のないような人間を生産するのであれば、教養主義はいらないのでは? と思わなくもないのだが、それでもないよりマシな気がするとしか言い様がない。

かわりのものがないような気がする

最近それ大丈夫なのと思ったのは、「学校において生じる可能性がある犯罪行為等について」だ。

www.mext.go.jp

書いてあることはもっともで納得できるのだが、その一方で「学校のことは学校でやる」みたいな感覚がある。

金八先生(武田鉄矢)なんかを観てた時に面倒クセーしさっさと警察を呼べばいいのでは? 鉄矢(金八)警察呼ばないならハンガーで殴れ馬鹿かお前はみたいな疑問が出たと思う。

あれも学校自治とかなんとかいうやつを背景にしたシナリオなんだと思う。

こういう説明をしている人は少ないようだが、日本では出される飯が不味かったことと、教師の質が悪かったことが学校自治の源流となっている。学生が学食を提供する業者の変更を要請したり、教師を排斥するために授業を拒否したり暴れたりしたといったエピソードは多い。この流れから学生たちが学校の問題を自分たちの力で解決するといったことも行なわれていた。

大正九年に本郷周辺で、旧制第一高等学校の制服を着て詐欺を働く子供出川君が出没していた。今では想像するのが難しいと思うのだが、『旧制第一高等学校の制服を着ている=金持ちの息子=いざとなったら親から金を回収できるから無理な借金をさせても大丈夫』といった考え方があった。そんなわけで出川君は一高の制服で色々なものをツケで手に入れて遊び歩いていたのであった。

出川君がやっていることは犯罪で、彼を逮捕すべきなのは当然ながら警察なわけだけど、当時の一高生たちはわが校の名誉にかかわることだと激怒し、調査部隊を結成した。なにも知らない出川君が「洋服屋にて帽子の線などを見て居るところへ、一高生徒が五六名来り、問答の末、こいつに違ひなしと有無を言はさず引捕へ校内に連れ」ていかれてしまう。「生徒等は昼は出由君を寄宿舎に置いて自由に任せ、 夜はグラウンドの隅に引出し、数人にて名にし負う一高健児の鉄拳を見舞」って罰を与えること「三日三夜」、飽きた一高生たちは詐欺師を寄宿舎から出川君を追い出したという。「不良少年の研究 鈴木賀一郎 著 大鐙閣 大正一二(一九二三)年」

やってることは面白いものの、今から見ると完全に犯罪で、調子コイた一高生たちが逮捕されて拷問でもされたら面白かったのになーといった感想になることであろうが、こういうのはそこそこ受け入れられていた行為であった。

戦前の学生はわりと滅茶苦茶で、文房具を万引きした学生を警察に突き出した店に対し、不買運動をしたりしている。理屈としては万引きしたことは悪いのは確かだが、万引きする学生に対し将来を戒めることもなく、学校に一応相談するでもなく、警察に引き渡すなど言語同断というわけである。甘やかされて育った学生特有の嫌なところが濃縮している考え方で最悪だが、とにかく学校のことは学校でといった変な考え方があった。

こういったことを前提として考えると、学校は学校、犯罪は犯罪っていう考え方は素晴らしいなと思う半面、大丈夫なのかなと不安にならなくもない。私が子供の頃だと学校に持ち込んではならないものを、先生が取り上げるというようなことが行なわれていた。これも見方を変えると恐喝で、今後は先生は逮捕されてしまう可能性がある。意味の分からない校則も犯罪だといえば犯罪なので、全国の校長が連続逮捕とかされるかもしれない。校長と逮捕はかけ離れているため風景としては面白いものの、大丈夫なのかな……といったところである。

私はちょっとした理由があって数年くらい苦学について調べまくってるんだけど、学校がおかしいのは単純に金が投入されていないからだと思う。金が投入されていないから寄宿舎の食事も悪いし先生の質も微妙なことがあった。それに怒った学生が暴れ、学校自治が発生する。

変な校則に関しても、もともとは低いコストで生徒を効率的に管理するために生れたものなのだろう。もちろん見直しも必要なのだが、時間的な余裕がなくダルいし眠いし変な仕事も押し付けられるし、一々校則を確認して改善するとか面倒くさくて嫌だと思われる。

そうこうするうち「学校のことは学校」でという手法では対処できないことが増えてくる。だから「学校において生じる可能性がある犯罪行為等について」みたいなものが公開されるということになったと私は解釈しているわけだが、金がないから意味の分からない校則や罰で治安維持していた部分を、どう処理するつもりなんだろうかといった疑問は残る。そんなのは臨機応変に考えて対処したらいいだろって話なのかもしれないけど、臨機応変に対処できないから「学校において生じる可能性がある犯罪行為等について」が必要になったわけで、かなりの厳しさが予想されてしまう。

邪魔くさいし金渡しゃいいだろって結論を出し教育に金投入したとしても、100年以上金ない前提でやってきた組織である。そういった組織に金を渡したところで、金のない前提でやってきた奴らの金の使い方になるのでヤバいだけであろう。

意味はないように思えるけれど

最近は意味がないように思えるけれど、意味があるといったあやふやなものが、実はわりとあるんじゃないのかなと考えるようになってきた。

新聞やテレビなどのマスメディアの影響力も下ってきていて、ザマーみろって人がいるようだが、メディアが文化に与えてきた影響は大きい。将棋やスポーツがみんなの娯楽になったのは、新聞の力によるところが大きい。巨大なメディアがなくなったとして、かわりになるものはあるのかなと素朴に思ってしまう。

先に紹介した出川君の話には続きがある。一高生たちに鉄拳制裁をされた出川君は寄宿舎から追い出された後、別に反省することもなく犯罪を繰り返し逮捕されてしまうのだが、その時に担当した検事が良い人ですっかり改心してしまう。故郷に戻った出川君は、その後、穏やかな生活を送ることとなったという。

このエピソードで私が面白いなと思うのが、一高生では出川君を改心させることができなかった点で、最初から警察に任せとけよとしか言いようがない。

出川君はなにはともあれ三日は寄宿舎にいたわけで、多少は仲良くなる生徒もいたはずだ。鉄拳制裁とはいえ殴り続けていたはずもなく、馬鹿なりに説教したりもしたのであろう。そして当時の一高生は、当たり前のように教養主義の影響を受けていた。そんな彼らには、出川君を改心させることができなかったのである。自分の話をしてみると、私が教養主義的なものをやろうと思ったのは、旧制高校の学生にある種の憧れのようなものがあったからで、この結果は普通の人より残念に思ってしまうのだが、いつの時代も学生なんてものは馬鹿なのだから認めるより仕方がないと思っている。

そしてまともに教養主義を実践していたのであれば、自分たちの力で出川君を捕まえた上で、今後の方針などをみなで相談し、相応な資金を与え国家有用の人材を育てるくらいのことはできたはずだとも思う。そんなこともできないのであれば、教養主義も学校自治も意味はない。意味はないのだが、なくして良いとも思わない。なくすなら別のもっとマシなものを提示すべきだと思う。

今はそこかしこでこういうことが起きている。残念ながらどうしたら良いのかはわからない。個人的には地道に昔のことを調べて解釈した上で、多少なりともマシになる方法を考えるくらいしかないのかなと思ってはいるが、こちらもあまり意味がないような気がしている。