山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

調べる場所を広げる方法、あるいは学びたいことの見付け方

私はずっと調べている

最近は独学や大人の学びといったものが流行している。軽く検索した範囲だと、なにを独学すればいいのか分からない人は、プログラミングや英語を選ぶことが多いらしい。それはそれでいいんだけれど、別のものを調べたくなったり、学びたくなったりできるようになっておくと、選択肢が増えて便利だと思う。

私はというと明治の娯楽文化を調べはじめて、だいたい20年くらいたった。一時的に中断したりはあるけれど、ずっと同じようなことを続けている。飽きずに同じことができているのは、調べる場所を広げるコツを身に付けたからだ。

具体的になにをどうしていうのかというと面と点を意識しているだけの話でしかない。これは別に難しい技術ではなく、誰でもできることだと思う。

私のやり方が他の人に役立つかどうかは分からないが、なにかを調べたい学びたいっていう時に、こういう方法もあると知っておくと多少の参考くらいにはなると思う。というわけで私がなにをどう調べているのかを紹介していく。

点を見極める

点っていうのは調べる対象の中心のようなもので、別になんでもいい。靴が好きなら靴でいいし、料理が好きなら料理でもいい。ただし好きでも調べたくないものは点にはらならない。私だと酒を飲むのは好きだけど、酒自体には興味がない。だから酒の知識は皆無である。とにかく好きで調べたいものであればなんでもいい。そういうものは誰にでもあるはずだ。

次に自分が好きなものの、どこが好きなのかを認識する。これはちょっと理解しにくいので、私の事例を紹介する。

私が明治の娯楽文化を調べ始めたのは、講談本(明治時代に流行した滅茶苦茶面白い本)に興味を持ったことがきっかけだ。復刻立川文庫傑作選を購入し読んでみると抜群に面白く、どうやらこれは講談速記本というものらしいと知り、ヘーっとなって手に入ったものを読むようになった。今では立川文庫が講談速記本なのかと問われたら、ゴチャゴチャ長い解説ができるくらいの知識が身に付いたんだけど、当時はその程度の知識しかなかった。単純に面白がって講談速記本を読んでいただけで100冊も読んでない。

そのうち近代デジタルライブラリー、現国立国会図書館デジタルコレクションが登場し、色々読みまくるうち自分は講談本だけに興味があるわけではなく、面白いもの全般に興味があるのだなと気付いた。

なにに興味があるのか知るのはものすごく大事で、講談本だけ調べ続けていたらやがては芸能全般のことを調べることになっていたはずである。ところが私はそういうことに興味がない。興味がないことは面白くないので調べることを止めていたかもしれない。

とにかく面白いもの全般に興味があると認識できたので、講談本にこだわらず明治の面白い物語、私の造語ではあるけれど「明治娯楽物語」を読み込むことになり、そういった活動をまとめたのが次の本である。

この「明治娯楽物語」が私にとっての点で、あとは延々と広げていけばいい。

ここからどう広げていくのか

「明治娯楽物語」を読み続けていた私は、次のように興味を広げていった。

  • 「明治娯楽物語」は明治時代に人気があった
  • 明治時代に「明治娯楽物語」は存在している
  • 「明治娯楽物語」の周辺にある文化を調べればなにかが分かる
  • なにかが分かると「明治娯楽物語」もよりよく分かるようになる

明治時代という面に「明治娯楽物語」がのっかっている。そこには色々なものが存在している。「明治娯楽物語」と近い場所にあるものを調べることで、どんどん範囲が広がっていくといった考え方だ。

例えば「明治娯楽物語」にはやたらに合理的な考え方が登場する。当時の人は合理的なのが好きなのかと、生活法などを読み込むうちに「簡易生活」の存在を知る。これはこういう形でまとまっている。

「明治娯楽物語」には旅行がやたらに登場する。つまり当時の人々は旅行に興味があったのかと気付き、旅行記を探し片っ端から読む。そうすると「無銭旅行」というものが登場する。そのあたりを軽くまとめたものが次の記事である。

cocolog-nifty.hatenablog.com

「明治娯楽物語」と無銭旅行は遠く離れているような気がするが、講談本では旅先での蛮勇が多く登場する。無銭旅行の実践者たちの中には講談本の影響を受けている人間もいたことであろうし、再確認が必要だが無銭旅行から影響を受けている「明治娯楽物語」もあったようにな記憶がある。簡易生活も同じで「明治娯楽物語」にも簡易生活は登場する。こうして色々なものがつながってくる。

無銭旅行に関連して調べたもの

無銭旅行について調べるうち、別の分野の情報も必要になってくる。

苦学なんかは直接関係しているので、かなり時間をかけて調査をした。ここで注意すべきなのは、どの程度の品質が必要なのかを見極めることである。戦前の苦学は学問の対象となっていることで、調べようと思えばいくらでも調べることができる。ただし私が調べているのは娯楽文化なのだから、それほど深い知識は必要ない。だから軽い調査で十分だ。

具体的にどう調べたのか、今回のケースだと"苦学"を amazon で検索し出てきた本を読む。

立志・苦学・出世 受験生の社会史 (講談社学術文庫) | 竹内 洋 |本 | 通販 | Amazon

なかなか良い本であったので著者である『竹内 洋』さんが書いた苦学を扱っていそうな書籍を全部読む。

Amazon.co.jp: 教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化 (中公新書) eBook : 竹内洋: 本

Amazon.co.jp: 学歴貴族の栄光と挫折 (講談社学術文庫) eBook : 竹内洋: 本

立身出世主義―近代日本のロマンと欲望 | 竹内 洋 |本 | 通販 | Amazon

Amazon.co.jp: 学歴貴族の栄光と挫折 (講談社学術文庫) eBook : 竹内洋: 本

これでだいたいのところが分かってくる。それとともに苦学の中で自分が知りたいところも明確になる。私が知りたかったのは、苦学生がどう思われていたのか、あるいは苦学生はどの程度の精度で活動していたのかだ。そんな瑣末な部分を詳しく書いてくれている人はいないので、それについて記述がありそうなものを国立国会図書館デジタルコレクションで片っ端から読む。で、調べおわったら次みたいにまとめる。

cocolog-nifty.hatenablog.com

苦学について調べるうちに、別の場所も発見できる。独立独行、自活や力行などといったワードによって形成された当時の空気は苦学とものすごい深い関係があるので、それについては今調べている。

自分で調べる必要のないケースもあって、例えば鉄道のことについてはこの本を一冊で全てがまかなえた。

Amazon.co.jp: 日本鉄道史 幕末・明治篇 蒸気車模型から鉄道国有化まで (中公新書) eBook : 老川慶喜: 本

鉄道に関しては膨大な記録が残っていて、調べようと思えばいくらでも調べることができる。ただ私は鉄道にそれほど興味はない。さらに私よりもずっと鉄道を調べるための優れた資質を持った人がいくらでもいる。だからもう少し別の知識が必要になった時に、それ関連の本を読めば済む。

無銭旅行を調べるうちに当時の若者組織について知りたくなり、手っ取り早く青年団についても調べることになった。amazon で検索してみたところ、こちらはコンパクトにまとまったものがなかったので、とりあえず Google Scholar で青年団を検索、目についたものを順番に読んでいく。

国立国会図書館デジタルコレクションでも同じように調べる。そのうち山本滝之助という変った人を発見したので、この人を中心にして調べてまとめたのが次の記事である。

cocolog-nifty.hatenablog.com

こういった明確な目的を持った調査とは別に、なんとなく全体的な雰囲気を知るために、当時の新聞をずっと読んだりもしていた。こちらはこういう感じにまとめている。

cocolog-nifty.hatenablog.com

こういうふうに中心を決めてしまい、その周辺を広げていくことで、どんどん調べることが増えていき、無限に暇をつぶすことができるようになってくる。

公開するということ

私は調べたことをなるべく公開するようにしている。なんでかっていうと精度を上げるためである。

色々調べたことを頭の中に留めておくだけでそこそこ満足なんだけど、まとめて公開しようとすると、ここの部分の知識が足りないなといったところが出てくる。人間なんてものは思い込みの激しい生き物なので、スコーンと抜けているなんてこともままあったりする。それについて調べてまとめるうちに、自分でも気付いていなかった事実に気付くこともある。そんなことを続けるうちに、知識の精度が上がっていく。

他人に解説するっていうのはなかなか難しくて、自分の中で自明なことも他人にとってはそうでもないってことが多い。それを説明するために資料を用意するうち、自分が事実だと思っていたことが誤りだと分かることがある。たまにはこうして直接間違いを指摘してもらえたりもする。

cocolog-nifty.hatenablog.com

意識をする重要性

私は2015年あたり毎日卵ご飯を食べて卵のカラを撮影していた。なんでそんなことをしていたのかというと、しようと思ったからである。

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そんなある日のこと、ふと生卵を片手で割れるようになろうと思い、練習するうちに生卵を片手で割れるようになったわけだけど、それはそうしようと思ったからできるようになったわけである。しようと思わなければ、今も片手で生卵を割るようにはなっていない。

先に私は酒を飲むのは好きだけど、酒自体には興味がないって書いたけど、なにかのきっかけで酒について詳しくなろうと思としたならば、酒について詳しくなるはずだ。

このように詳しくなろう、できるようになろうと思えばそうなるわけで、そう思えるものを探すために『面と点を意識する』わけである。

今から考えるとっていう話

今から考えるとって話なのだが、私がこういう感覚を身に付けることができたのは、誤読と誤認によるところが大きい。なにを誤読したのかというと、ひとつは南方曼荼羅である。

www.aikis.or.jp

これは南方熊楠(知識収集家で奇人)が土宜法竜(まともな人)にあてた手紙の中で、宇宙の知の仕組みを図解しているものなんだけど、さっぱり意味が分からないと思う。私が読んだのは高校生くらいだったのかな、とにかくその時は知識ってのは全てがつながってるのかみたいな雑な理解で済ましてしまった。もちろん熊楠はそんなことは言ってない。

それからしばらくしパーソナルコンピュータを使うようになり、知識の循環システム「Kacis」というソフトウェアに出合う。

itday.net

これは本の構成要素である「目次」や「本文」「脚注」などを使い、膨大な知識を整理整頓するためのソフトウェアで、ようするに知識からシームレスに本が出来るといった仕組みである。ところが私はなにを間違えたのか、細かな知識を大量にストックし、自然に紐づけすることためのものだと誤認してしまった。当たり前だけどそのようには機能せず使うのを止めてしまったわけだが、知識と知識をつなげると新しいものが生れるといった考え方だけはずっと持ち続けていた。

このような誤認と誤読から、ようするに全てはつながってるだんだなという雑な結論に至り、今もそういうやりかたで調べものをしている。点から面へとつながるように意識をしているし、細かな知識を大量にストックし、それらを紐づけできる環境を時前で用意し、調べたり考えたり書いたりしている。

私が個人で勝手にやってるだけなので、この方法や考え方や手法が効率的かどうかは分からない。もしかすると知識もなくまだ感受性が強かった若い頃に読んだり触れたものだから、未だに影響を受けているだけなのかもしれない。ただ情報整理方法や知的活動の技術に関する資料を読み込んだ時期にも、私のやり方よりも私と相性の良いものは見付けることはできなかった。加えて別に不自由もしていないので、当分の間、もしかすると一生、このやり方を続けていくのだと思う。