山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

自虐史観と私たちの実践科学

今年の2月くらいから『私たちの実践科学』なる本を紹介するために準備してたんだけど、難易度が高すぎるので止めることにして、かわりにとりとめのないことを書くことにした。今回はとりとめもないことを書くことに決めたので、情報の精査はあんまりしていない。結論がズバっと出る話でもないけど難解な部分もあって、あんまり面白い話でもない気がする。そんなわけで気が向いた人だけ読んでくれたら十分である。

面白すぎる本があったんだけどまとめることが出来なかった

ここ最近の私は、過去の変な文化を調べたものをまとめ記事にしている。公開した記事がものすごく読まれると本になる。その印税でまた別のことを調べて書くといった流れが維持できていた。

ただし時代が急激に変化しているような気もしていて、もう文化自体に需要がないのかなとか思ったり思わなかったりである。ただこの活動は面白いので、今後も続けていきたいものですねといったところだ。

色々あるけど、とにかくなんか今年は不調で駄目だった。それでもいくつか調べたものをまとめることはできた。面白かったんで良しとしておきたいのものの、時間をかけたのにどうしてもまとめることができなかった題材がある。それが『私たちの実践科学 富塚清 著 社会教育協会 昭和二五(一九五〇)年』だ。

なぜまとめられなかったのかというと、終戦後に書かれた本であるからだ。私は明治大正の文化はわりと知っていて、その知識で戦中あたりまではなんとかついていけるんだけど、終戦を迎えると一気に流れが変ってしまい振り落されてしまう感じがある。加えてこの時代の資料は扱いがものすごく難しい。『私たちの実践科学』に関しては、まだちょっと話題が新しすぎるように感じられる。

古いことなのに新しすぎてダメってのは意味が分からないかもしれないが、そういうことはままあったりする。私の本もちょっと前なら扱えない話題を多く取り上げている。

ちょっと前ってのが曖昧だけど、2000年あたりだとまだ無理な気がする。なんでダメなのかっていうと、戦意高揚的な作品も扱っているからだ。敗戦っていうのは大きな出来事で、変なことが大量に起きた。変なことによって発生した流れから離れ、自然に眺めるようになれるまでには、すごく時間がかかってしまう。その境目も曖昧でなかなか判断するのが難しい。だから上の本でも戦意高揚的な作品に関しては、問題ないとしたものも注意を払い扱っている。

それでも戦争が終って時間がたち、扱えないものは減り、かなりマシな感じになってきている。だから人によっては、なんのことだか分からないと思うんだけど、まだまだ触れにくい話題は数多く存在しているのが現状だ。『私たちの実践科学 富塚清 著 社会教育協会 昭和二五(一九五〇)年』を解説するのが難しいのもそれが理由で、この本を語るには自虐史観に絶対触れる必要があった。

科学的に考えて合理的に判断をするためのガイドブック

『私たちの実践科学』は、科学的に考えて合理的に判断をするための良いガイドブックを探す過程で出会った。なんでそんなものを探していたのかというと、コロナ禍でヤバい奴らの多さを知ってしまったからで、今のところ最も良いのはこの記事だ。

cocolog-nifty.hatenablog.com

実に良い記事で一体誰が書いたんだろうかと不思議に思い確認してみたら書いたのは私でビックリしてしまったんだけど、そんなことはどうでもよくて私が書いたものなんて影響力がなくて駄目なので、ものすごく良い科学的に考えて合理的に判断をするためのガイドブックを発掘し、紹介できたらいいなと探していたわけである。

明治から大正時代に書かれたものは、すでに多く読んでいたのだが、一冊でまかなえるような書籍を見付けることはできなかった。断片を集めるとようやく良くなってくるといった雰囲気で、それをまとめたものがこれである。

ただしこちらは文化が主題の書籍となっていて、とうてい科学的に考えて合理的に判断をするためのガイドブックとはいえない。私は隠れた名著的なものを探し出すのも趣味のひとつなので、明治から大正にないのであれば昭和だなと、戦後に書かれたものも含めて探したところ見付けたのが『私たちの実践科学』だった。

子供向けに書かれた本なので読みやすい文体で書かれている上に、内容もわかりやすくタイトル通りに実践的、まさに科学的に考えて合理的に判断をするためのガイドブックの名著で、みんなに紹介したくなってしまったのだけど色々難しい本でもあった。

難しさの理由

ひとつは七十年以上も前の本だから内容が古くなっている点で、一例をあげると実践する科学として時計の修理が推奨されている。今でもやれないことはないけれど、最適化されたものではないように感じてしまう。ただこのあたりの整合性をとるのは、できなくもないかなといったところであった。

それよりもウームとなったのは、自虐史観に関わるように見える(ややこしいですね)ところが多い点だ。この作品には次のような描写がよく登場する。

支那料理が近代栄養学にてらして非の打ちどころのないのは、ビイタミン C みたいなデリケートなるものでも、乏しい資源からもれなく探り出し、また料理にあたってそれをこわさない方法を徹底してとつているからです。さてこの C ですが、味感だけでは紹対わからぬというのが栄養学の定説です。支那人の舌がどんなに発達してても、これは舌でさぐり出したのではない。とすると何か? これは長い間の生活経験から……少くも舌の威じだけでなしに、食べたあとの快感、健康感、活力の方からの判断でしょう。同じ勘としても彼等のは深味があります。これに反し日本人のは、舌三寸の瞬間の快感です。「ああたくさんくった。すっかりねむくなつた」というぐあい。ところが彼等のは少くとも、「ああ、たくさんたべた。すつかりさわやかで、からだがおどる」といった様な威じのところまでは少くとも及んでいるようです。

そういえばお隣りの朝鮮人なども生活戦の勇者ですが、食生活をのぞいてみると日本人みたいに、味だ、型だということにこだわつていません。「唐辛子をたべると、あたたかくなる」とか「にんにくをたべると、寄生虫や伝染病がふせげる」とか、一々がりくつになつています。それがある程度、筋が通つているのです。意識の中心が、ここでもはつきり「健康をねらうこと」になってることを見おとしてはなりません。

世界の誰からも愛されない……そしてたらふくくえば必らず病弱か衰滅かになる日本料理(支那料理はこの正反対)をさぐり出した日本人の舌。これは耳が世界有数に音痴であるのと平行してるらしい

戦時中の日本ではアジアの人々は少し劣る存在で、我々が守らなくてはならないといった感覚が流通していたんだけど、それがまるきり逆になっている。終戦の影響で価値観が大幅に変ってしまったわけだな……というように、こういった文章は読むのが難しいため解説が必要になってくる。もうひとつ、学者に対する攻撃も紹介しておこう。

学者も日本のは世界の批判にかけられると、余り大きな顔は出来ません。格好はつけていますが、それは盆栽の木みたいなもので、外国の一流学者の堂々たる巨木の様なのとはくらべものになりません。彼等はひねこびた科学職人にしかすぎません。あまりにもせまい専門家です。自身で切り拓いて行く力が乏しく、軍だの官だの大資本家などに頭をさげ、それに寄生して養われて来ました。

学者の場合には実証の精神はありすぎる程ありそうに思えるのですが、日本のは、「暗記学者」「鵜のみ学者」が大部分ですので全く見かけ倒しです。欧米の大家の設などを盲滅法(めくらめっぽう)に信じ込んでしまい、一切をそれから割り出す習慣があるのです。観音敦の盲信と比べても、盲信という点ではちっとも違っていません。

かって満州の工業大学で燃料とか暖房とかに深い関係のある教授を訪れたところ、その先生も煙突なしの練炭こんろを部屋に入れて、「どうも少しくさいですが他に仕方がないですから……」との言いわけ。亜硫酸ガスと一酸化炭素は充満、こちらは五分もがまんが出楽なかった。煙突の先生が煙突をつける才覚がないとは! ここでも実行に結びつかぬ、学問の役に立たなさを痛感したことでした。

こちらは戦前からの学者は変人であるといった感覚からの影響も見られるが、学者だ教授だのいったって、戦時中になにもできなかったじゃないかといった風潮から来ているところが大きい。

こういった当時としては普通に感じられた文化的な部分を、解釈していくのは難しい。当時としてはあまりに普通で当たり前すぎることに関して、リアルタイムで解説されることはないからである。今やこの本を初見で正確に読める人は、あまりいないんじゃなかろうか。私自身も2021年の02月28日にこの本を読んでから今日まで、断続的に色々な資料を読んでようやく解説したりできるかなくらいの感じだ。

社会も難しい

意図しているわけでもないのだけれど、私が好きになるのは打ち捨てられているようなつまらない文化で、発掘したとしてもそうですかとしか言い様のないようなものばかりだ。それでも確実にそれはあり、過去の誰かがなにかを思いそれをしたという事実が好きなわけだな。

そういった過去のことを扱う際に、避けられないのが他人の歴史認識、つまり今の社会の状況だ。過去のことに関して難しいことは抜きにして、その分野のことはムカつくみたいな人らが残念ながら存在している。そういう人が大量にいる分野にはちょっと手を出すことができない。私は実際にあったことを書いただけなのだが、ネト右?とかサヨ?とか歴史修正主義者? みたいなことを同時に言われたりしたことがあったりして、一体俺は誰なんだろうか……と迷ったことがあるんだけど、基本的にそういう人を説得するのは無理である。だから社会の状況を認識して、ある程度まではそれに合わせたものを書く必要がある。

私の本や日記なんかの中で、たまに異常に抽象的な部分があったりするんだけど、あれもこういったことが理由であり、難しいけどちょっと先は ok だけど、あんまり早すぎるとヤバいといった感じである。

今回のケースだと自虐史観(というか過剰な反省に見える行動、これについては後述)が関わってくるものなので、それに関してどうなってるのかなと思いつつ調べてみたら最悪みたいな感じであった。これは書くの止めといたほうがいいやつだなといった感想である。それでも結局こんな文章を書いてるわけだけど、内心では「これには触らないほうがリクスないよな……」とか思いながら書いている。大量に失敗したことがあるため、これほどまでに私は気を使うようになったのだが、人生っていろいろあるものですね。

話を戻すとそもそもなんだけど、自虐史観っていう名前があんまり良くなくて、それが原因で面倒くさいことになっているような気もしている。自虐ってよく分からないからな。明治時代でも江戸は駄目な時代だったみたいな考え方はあって、『岡山市之丞 柴田南玉 講演[他] 金槙堂 明治三二(一八九八)年』は徳川幕府の悪口から始まる。

文化年間太平の御代が打続きまして太刀は鞘、槍は投子に収まり、徳川の政治も漸く弛みまして武士の気風は段々廃れ上下ともに驕奢を極めて実にシダラ(原文ママ)がない事になり飛ぶ鳥を落す徳川の威勢も左したる激しい風もないのに自ら花の散る様なもので時節と云うものは実に恐しい。

『岡山市之丞』は講談本というジャンルに属する作品なんだけど、その世界では基本的に徳川方の武士たちは悪者、豊臣残党は正義の味方といった役回りだ。これがニュートラルな見方かっていうとそんなわけがない。幸いなことにこの感覚に変な名称はついていない。だからわりと早く、江戸時代を自然にとらえることができるようになっている。

自虐史観は難しい

話は戻って終戦直後『ラジオ故障修理法 科学建設社編輯部 科学建設社 昭和二一(一九四六)年』の序文には、次のような一節が登場する。

科学の先端をゆく無線技術の生活面への一つの応用として、我々に最も親しみ深いこのラジオを、最もよく理解し最も巧く応用するには、第一に自分自身の力ですべてを実際に行つてみることが必要である。

ちょっと読むとなんでもないような文章だが『自分自身の力ですべてを実際に行つてみることが必要である』は終戦に漂っていた雰囲気で、『私たちの実践科学』にもこんなことが書かれている。

一度再度、しらべて見て下さい。自分で実証してみて下さい。自分の納得のいくまで。

もしそれがなく人のさぐり出した理論にたよるより仕方のない今までの一般の方々の様ですと、うそか本当かの見さかいなく、まるのみするより手はありせん。したがって間違いをつかまされてとんだばかを見たり、また本末軽重がピンとしないので、とんだ見当ちがいの応用をしたりしやすいのです。自分でも独力でさぐり出せる能力がついてれば、これと反して「ここは怪しいぞ」ということもかぎ出せますし、応用するときの手心がわかって大きな無駄はしないですむのです。

なぜ自分ですることが重視されているのかといえば、反省しているからである。ここもよく分からないと思うので、もうちょいとりとめもなく解説してみよう。

今でも『国民一人一人が考える』あるいは『自分の問題として考える』といった決まり文句がある。あれが出てきたのは戦後のことだ。滅私奉公が推奨された戦時中の反省から、国民の一人一人が考えた上で行動することが求められていた。その考え方の源は、正しいことへの憧れをともなう明さや熱気であった。この雰囲気を解説するのは難しいが、当時に書かれたものから、特徴的な文章をいくつか紹介しておこう。

『あたらしい憲法のはなし 文部省 編 実業教科書 昭和二二(一九四七)年』は文部省による憲法の解説書で、信じられないくらいに明るく、そして正しさに満ち溢れている。

われわれは、人間である以上はみな同じです。人間の上に、もっとえらい人間があるはずはなく、人間の下に、もっといやしい人間があるわけはありません。男が女よりもすぐれ、女が男よりもおとっているということもありません。みな同じ人間であるならば、この世に生きてゆくのに、差別を受ける理由はないのです。差別のないことを「平等」といいます。そこで憲法は、自由といっしょに、この平等ということをきめているのです。

そして『国民一人一人が考える』ことがものすごい勢いで強調されている。

みなさんは日本国民のうちのひとりです。国民のひとり/\が、かしこくなり、強くならなければ、国民ぜんたいがかしこく、また、強くなれません。国の力のもとは、ひとり/\の国民にあります。そこで国は、この国民のひとり/\の力をはっきりとみとめて、しっかりと守ってゆくのです。

次の一文なんかはまぶしいくらいに明るい。

みなさん、あたらしい憲法は、日本国民がつくった、日本国民の憲法です。これからさき、この憲法を守って、日本の国がさかえるようにしてゆこうではありませんか。

ちょっと理想的すぎる上に、当時の政治的な状況も反映されているような気もしないでもないが、とにかく一種の名文であることは確かだ。これを書いたのが誰なのかよく分からないのだが、時代の雰囲気に後押しされたからこそ書けた文章に思えてならない。

もうひとつ『民主主義 文部省 編 教育図書 昭和二三(一九四八)年』の一文を掲載しておこう。ここでは過去の日本人の態度が批判されている。

人間が自分自身を尊重するのはあたりまえだ、と答える者があるかもしれない。しかし、これまでの日本では、どれだけ多くの人々が自分自身を卑しめ、権力に屈従して暮らすことに甘んじて来たことであろうか。正しいと信ずることをも主張しえず「無理が通れば道理が引っこむ」と言い、 「長いものには巻かれろ」と言って、泣き寝入りを続けて来たことであろうか。それは自分自身と尊重しないというよりも、むしろ、自分自身を奴隷にしてはばからない態度である。

そして『あたらしい憲法のはなし』と同じく、ひとりひとりが自分で考える重要性が語られる。

手を変え、品を変えて、自分たちの野望をなんとか物にしようとする者が出て来ないとは限らない。そういう野望を打ち破るにほどうしたらいいであろうか。それを打ち破る方法はたは一つある。それは、国民のみんなが政治的に賢明になることである。人に言われて、その通りに動くのではなく、自分の判断で、正しいものと正しくないるのとをかみ分けることができるようになることである。民主主義は、「国民のための政治」であるが、何が「国民のための政治」であるかを自目分で判断できないようでは民主国家の国民とはいわれない。国民のひとりひとりが自分で考え、自分たちの意志で物事を決めて行く。

現状を考えると国がこんなことを主張しているのは不思議な気がしてくるが、とにかくこのように能天気なまでに個人が学習し正しく判断できると信じられた時代があった。

注目すべきなのは、これらが過去との対比から割出された発言だという点だ。「権力に屈従して暮ら」してきたからあのような悲劇が起きた。だから「国民のひとりひとりが自分で考え、自分たちの意志で物事を決めて行く」必要がある。そのためには「第一に自分自身の力ですべてを実際に行つてみることが必要であ」り「自分でも独力でさぐり出せる能力がついてれば、これと反して「ここは怪しいぞ」ということもかぎ出せますし、応用するときの手心がわかって大きな無駄はしないですむ」というわけである。

変な出来事

今回はとりとめのないことを書いてるので、とりとめのないことを書くけれど、以下の斎藤茂吉の件はかなりペラい知識をもとにして書いている。なので誤認なんかもあるかもしれないが、とにかく斎藤茂吉は戦時中わりと戦意高揚的な短歌を作っていた。

  • 日本軍が戦果を挙げると新聞社が茂吉に電話をかける。
  • 茂吉が電話口で五首ほど短歌を捻り出す(多分無料)
  • 翌日新聞に掲載される

このような最悪のシステムが確立していたらしく、いかに茂吉でも粗製濫造になってしまうのだが、普通に忠君愛国思想を持っていた上にお人好しであったため、それなりに良い歌を作ろうとはしていた。『天皇の いまします国に 「無礼なるぞ」 われよりいずる 言(こと)ひとつのみ』なんかは強引すぎて面白いけど、こういった行為が戦後にめちゃくちゃ批判された。

ちなみに当時は茂吉だけでなく、多くの歌人や文学者が戦争称賛の作品を作っている。敗戦し素早い奴は逃げ切るんだけど、茂吉は要領が悪かったので攻撃された。歌壇では『歌壇戦争責任追及委員会』なるものが結成されたほどで、戦争責任の追及がひとつのブームだった。

これも反省したから多くの人がこういった行動に出たわけだが、中には攻撃を避けるためにあえて大声で他人を批判するといった人もいて、まあ色々と面倒くさいことがあったようだ。そんなこんなで、文化面での戦争責任の追及はかなり粗雑な一面があった。終戦で物心ともに余裕のない時期であったことを考えると、仕方のないことなのだがなんとも残念な気持になってしまう。こういった流れは明白に悪いものが批判されてしまう一方で、良いものも同じく悪いものとして扱い、様々な文化を打ち捨ててしまう一因となったと私は捉えている。

ややこしい話し

個人的には自虐史観や自由主義史観に関して思うところも興味もなくて、実のところ私は古い文化を調べるのは好きだが歴史自体にはほとんど興味がない。検証された過去の事実は事実なんだから、気に食わなくても仕方ないのではくらいの認識である。

ここからは、かなりややこしい話になる。

あんまり事情がよく分かってないんだけど、自虐史観が成立したのは GHQ の占領政策によるところが大きいとされているらしい。それによって全てが変ったとかは私は思わないんだけど、戦後に過度な反省……この表現もあんまりよくないな、むしろものすごく反省しているように見えるようなスタイルとしたほうがいいか、とにかくそれがあったことは事実である。試しに1946-1950年あたりに書かれた本の前書きを100冊分くらい読んでみてほしい。反省する多くの人を見付けることができる。戦争に負けりゃ多くの人が反省し、改善していこうねぇとは思うのは当たり前だ。そして多少なりとも過去を見る目が歪んでしまうのも当然である。

ただその感覚が学問としての歴史に、それほど強い影響を与えているとは思わない。それよりむしろ学問ではない部分、例えば社会の雰囲気だとか考え方、あるいは文化の分野で変な認識が残ってはいるなと感じることのほうが多い。ただその歪みみたいなものを正確に認識するのは難しく、今も面倒くさいことが続いているんだろうなっていうのが感想である……と書いたものの自分で読んでても分かりにくい説明だと思うし、説明するのが予想していたよりずっと難しくて苦悩しているのだが、まず自虐史観という概念を忘れてしまって次のリストを見て欲しい。

  • 戦後、反省する人たちがいた
  • 過度に反省する人もでてきた
  • 過度に反省する人の中に他人を攻撃する人が登場した
  • 先に殴っとかないと殴られる状況も発生した
  • 面倒クセーからそれっぽいのは全部殴っとけみたいなところもあった
  • 触るの止めとこうといったことも起きた

これまで紹介してきた事例から、こういうことはあったんだろうなと想像できると思う。一応は書いておくとこれは反省しなくていいということではなくて、正しく反省するために客観的に考え分析するのに邪魔な雰囲気があったよねといった話である。

今はどうか知らないけれど、ちょっと前に日本が右傾化しているってのが話題になったが、個人的には仕方ないんじゃないのかなという感想だった。自虐史観といった考え方が妥当かどうかは置いておいて、客観的な反省ではなく、過剰で無駄な反省っぽいスタイルってのがかってあった。そういったスタイルに反発しても良い時期がきたから、過剰に右傾化しちゃうこともあるんじゃないのかなっていう感じである。

先に明治の江戸は駄目みたいな事例を出したけど、あの後江戸は最高といった時代がきて、わりとニュートラルなところで収まっている。だから現代もしばらくしたら、こういう話題も客観的に対話ができるようになるんじゃないのかなとか思っている。

と、まぁ色々微妙なことを書いてきたけど、ややこしさの理由は次のようなものになる。

  • 実際に過度な反省や批判は存在していた
  • それと自虐史観は関係ない
  • しかし過度な反省や批判は自虐にも見える
  • それでも自虐史観はあんまり関係ない
  • それじゃ完璧に関係ないのかといわれると微妙に関係あるような気がしないでもない

こういうことは分かる人には分かることだけど、今の混乱している状況だとちょと通じにくい話だと思う。もっとも過剰に反省しているように見えるスタイルと自虐史観の原因となったとされているものとは別であるとかを考えるのも科学的な思考なわけだけど、とにかくこういうことを解説しながら『私たちの実践科学』を科学的に考えて合理的に判断をするためのガイドブックとして紹介するのは無理だよなっていうのが今回の結論だった。

科学にも新憲法を

強引な流れだが、せっかくなので『私たちの実践科学』の最後に掲載されている科学の新憲法を引用しておこう。

第一条 大自然の理法は、紳聖にして犯すべからず。但しこれをさぐり、これに従って行動し、これを利用することは、人類の全くの自由である。

第二条 科学の門は自らの手を以て叩け。独力によりともかくそれに入るの一筋の道を開け。かくて一度物にし、味をしめること。それなしでは、ぜつたいに科学の真髄にふれることは出ない。

第三条 科学に国境なし。他人の説を参酌(比べて参考にすること)し、その工作物を範とすることは、能率上当然なり。ただし科学は、出来合いの「ばかでもつかえる」自動機械ではない。それを完全にくみとり実効をあげようとすれば、応用に当って手心、調節、加減が適切でなければならず、そのためには「自分で、独立に探究出る」だけの能力が身に備わつてることが絶対必要である。それなしで「坊主まるうけ」をねがっても、神は許さぬるのと知るべし。

まずこんなところですか。要するに、強調すべきは地味な実験また実践。科学の路は一本路でぬけ路はありません。ふむだけの過程はふまなくてはなりません。一般人の常識科学においてだって、「急がば廻れ」それを着実にやりましょう。

今回たまたま自虐史観がどういう感じなのか調べておいたほうがいいなと思い、ウヘーってなっちゃったんだけど、今起きてることもおそらく必要なことで、『ふむだけの過程はふまなくてはなりません』ってことなんだと思う。

そんなわけで残念ながら私が直接『私たちの実践科学』を紹介することはできなかったが、なんだかんだで解説はできた気がしないでもない。良い本であることは確かなので、興味がある人は読んでみてください。

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