この記事は私の思い込みによって書かれた文章で、真相はこういう感じであった。
ここで述べられている「聴覚訓練は先づレコードから」は「聴覚訓練音盤」のことで、1943年3月新譜で初等科3,4学年用レコードが発売されたので、その宣伝でしょう。洋楽は当時も同盟国の作品を中心にクラシックとポピュラー音楽が発売されており、米英録音もオケ名を隠すなどして発売されていました。 https://t.co/HCnu5plbnF pic.twitter.com/IURtxufIGO
— 毛利 眞人 (@jazzrou) 2021年6月30日
教えていただいてありがとうございます。
私は思い込みが激しいところがあって気をつけて生きているんだけど、今回は我ながら気持いいくらいの思い込みで、事例として記録に残しておきたいと思った。そんなわけで元の記事とあわせて、なぜこういった思い込みをするに至ったのか解説しておきたい。
戦時中、敵性音楽の追放に抵抗したレコード屋があった
『街から家庭から追い出せ! 鬼畜音楽 英米的レコード回収』 (京城日報 1943-03-19)は、1943年3月の新聞記事である。同年の1月に『米英音楽作品蓄音機レコード一覧』が発表され、特定のレコードの再生が禁止された。これを受けて庶民たちは、
「ジャズを演奏してはいけないのだ」「アメリカやイギリスの曲を演奏してはいけない」と、半ば自主的に規制してしまった
https://www.jasrac.or.jp/news/pdf/kouenkai_houkokusyo.pdf
創立80周年記念事業 JASRAC 音楽文化賞記念講演会「社会に翻弄された音楽を辿って」~明治から戦中、そして現代へ~より
らしい。
自分で自分を不自由にしたがる人っていうのは、いつの時代にもいたんだねぇといったところである。
そんな中でも抵抗をする人はいて、京城にあった三洋堂レコード店がこんな広告を出している。
京城日報 1943-03-21
『街から家庭から追い出せ! 鬼畜音楽 英米的レコード回収』といった記事の二日後、聴覚訓練のためにジャンジャンレコードを聴こうといった広告を出しているんだから面白い。聴覚訓練とは主に飛行機の飛来音をとらえる目的で行なわれていたもので、戦時中は様々な訓練が推奨されていた。
流石に米英の音楽聴かなきゃ勝てるとか単純すぎだろバカかお前らはなんて広告は出せなかったのだろうが、お前らが大好きな聴覚訓練のためにレコードを聴くんだったら問題ないだろといった皮肉とも読み取れる。その一方で、反骨心などなしに単純に売れないと困るからと、なんとかひねりだしたキャッチコピーのようにみえなくもない。どちらにしろ大昔の話であり、真相は不明である。
ちなみに三洋堂はその後も洋楽を強調した広告を何度か出している。
京城日報 1943-04-03
ただイラストやコピーなどは各レコード会社から提供されていたものらしく、三洋堂の意思ではない可能性も高い。
京城日報 1943-03-26
私が調べた範囲内で戦前に確認できた最後の三洋堂の広告は1944年3月に掲載されたものであった。
京城日報 1944-03-21
最後の最後まで洋楽を推しているのは面白い。戦後に三洋堂がどうなったのか興味が出て調べてみたが、詳しいことは分からなかった。
なぜ思い込みが発生したのか
以上は私の思い込みによって書かれた記事だが、なぜそのような思い込みに至ったのか解説しておきたい。ちなみに思い込みが発生する要因となった知識に関しては、思い込みの部分もあるはずなんだけどあえて私の思い込みをそのまま書いている。
単純に面白すぎた
『街から家庭から追い出せ! 鬼畜音楽 英米的レコード回収』の3日後に『聴覚訓練は先づレコードから』なんて広告が打たれていたのが単純に面白すぎた。もともと私は雰囲気が読めない人が雰囲気を読めていないことをするのが好きで、その辺りのツボに入ってしまい客観性を失ってしまったのだと思われる。
断片的な知識があった
さらに断片的な知識があったことも悪い方向に作用したように思う。
画家の山下清が戦時中に絵が描けるなら目もいいだろうといった雑な理由で、櫓にのぼらされて敵機の襲来を監視させられていたというエピソードがある。この話の真偽自体が不明なんだけど、ついでに聴覚訓練も受けたといったようなエピソードをどこかで読んだか見たような記憶もある。ちなみに山下清が超人的な能力を発揮すといったストーリーは好まれたようで、聴覚訓練の話は嘘か私の思い込みの可能性が高い。
戦時中の訓練に関しては、人体を回転させると飛行機に乗るのが上手くなるだとか、シコを踏みまくると強くなるだとかの意味があるようなないようなものがあり、レコードを聴きまくったら耳良くなるだろといった雑な訓練の一種なのかなと思ってしまった。
もうひとつは上司小剣について調べていたことがあって、彼の趣味が蓄音機であったため、上司小剣が書いた『蓄音機読本』や、友人の野村胡堂による『蓄音機とレコード通』などには目を通していた。上司にはちょっと異常なところがあって、蓄音機を清めて拝んでみたり、死んだ後に他人が自分の愛した蓄音機で音楽を聴くのは我慢ならないので死ぬ前にブッ壊すみたいなことを書き残している。そんな上司ですら戦争が激しくなってくると、蓄音機に触ることもなくなり畑で野菜を作り出し、野村胡堂との話題の中心も音楽ではなく食料の話になっていく。その他どこで読んだのかもう覚えていないが、戦時中のレコード通の人々は普通に聴くと近所からクレームがくるため、ラッパ?みたいな部分に紙かなにかで工夫をして大きな音が出さないようにしていたなどといったことも上司がらみで知った。こういう感じなのでレコード屋は大変だったんだろうなくらいの知識はあって、腹を立ててこんな広告を出したんだろうかなどと想像してしまったのである。
山下清、上司小剣のエピソードは単体でも面白いのだが、『聴覚訓練は先づレコードから』の広告もまた面白く、より強い思い込みが形成されたような気がしている。
資料と知識が少なかった
私は自分で『イラストやコピーなどは各レコード会社から提供されていたものらし』いと書いているが、別のレコード店が同じ内容の広告を出している事例はいくつか目にしていた。ところが『聴覚訓練は先づレコードから』はひとつしか見付けることができなかったため、三洋堂のオリジナル広告なのだろうと思い込んでしまった。他所の新聞なども探せば『聴覚訓練は先づレコードから』は掲載されている可能性は高い。
加えて私は音楽にほとんど興味がなく、単純に知識が欠落している。これは思い込みの一番の原因で、知らないものを考え検証することはできないのである。
別のケース
今回の件とは別に思い込みでものを書いていたことがある。こっちも(私的には)ちょっと面白いケースなのでついでに書いておくことにする。明治だか大正だかの自殺者の数がある年だけ以上に減っていた資料を見つけ、なんの気なしに記事にしたことがある。ところがこれは減っていた年の自殺者数が全国ではなく、東京都のものであったというのが真相だった。なんでそんなことになったのかというと、数字やグラフなどを見る習慣がないからで、知識に加え経験の欠如から来たものであった。
様々
今回はだいたい上記のような理由から思い込みが形成されてしまったような気がしている。なんでこんなことをゴチャゴチャと書いているのかというと、ここしばらく思い込みを作らないように心掛けていたにも関わらず、やっぱり思い込みが発生してしまったからである。
ここ数年の間、断続的に明治の徒歩旅行について調べてているのだが、私は旅行自体にあまり興味がない。地理に関しても無関心である。だから感覚的に分からないことが大量にあり、こういう分野では思い込みが発生しやすい。なので思い込みを排除するように心掛けていたのだが、今回の件では気持ち良いくらいに思い込んでいたので、徒歩旅行に関しても地理の知識を増やすなりして対処していくべきだなと思った。
色々
過去のことを調べていると、たまに面白い事実のようなものに出合うんだけど、実際にはなんでもない話ってことがわりとある。このケースもそれに近く、本当に聴覚訓練のレコードを売っていただけっていう結論だった。それじゃ全然面白くなくなったのかっていうとそうでもなくて、聴覚訓練のレコードを販売していたという事実は面白いし、たまたま皮肉に見えるような時期に広告が掲載されたというのも面白い。面白いと思っていたこととは違ったけど、別の面白さがあったというケースはわりとレアで、なかなか良い経験だった。