山下泰平の趣味の方法

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『寄席は社会生活の維持に必要なもの』と日の丸弁当デー

寄席は社会生活の維持に必要

コロナ禍の緊急事態宣言による無観客開催の要請に対して、いくつかの演芸場が『寄席は社会生活の維持に必要なもの』として有観客での公演をするらしい。これについてほとんどの人は好意的に受け取っているようだ。有観客で公演しているのに席がガラガラなら「密になるほど客がいない」など、ベタなことを言ってスベる芸人さんが出てくるかもしれないなとか、色々と思うところはあるんだけど、とにかく上手い落し所が見つかれば良いなっていう感想である。

私が理解していないだけかもしれないが、コロナ禍に伴う休業要請はよく分からないところが多い。古書店は休業の対象だけど、書店は対象じゃないなど理由は不明だが、それなりに考えてるんだろうから、感染が抑制されたらいいねぇとは思うものの、ちょっと気になることがある。世の中に余裕がなくなると、娯楽から止めさせようとする人たちが出てくることだ。彼らは真面目なことが大好きだから、正しいとされていることを追求する。もちろん悪気はないのだろうが、そういう人々があまりに活躍しすぎてしまうと、なぜそれをするのかという理由が消えて形式だけが残る危険がある。

そんな事例の一つとして、日の丸弁当デーを紹介しようと思う。戦時中の話で理解しにくいため、この記事では日の丸弁当についてのみ解説することにする。

日の丸弁当デー

かって日本には、月に一度は日の丸弁当を食べようといったイベントがあった。日の丸弁当デーに先駆けて、満州事変をきっかけに昭和六年に制定されたのが克己日だ。これは「肉なし日」「魚なし日」などを各自が実施し、食費を節約し国に寄付をしようという主旨であった。昭和十二(一九三七)年七月七日には盧溝橋事件が起き、月に何度かお昼を日の丸弁当として、兵隊さんの苦労を偲ぼうといったイベントに変容したらしい。奨励されているのは日の丸弁当というよりも、質素倹約なのだろう。

『先生ごころ 加藤二郎 著 東光書房 昭和一一(一九三六)年』に、克己日の様子を描いた小品が掲載されている。とある学校で毎月十日の克己日には、お昼ごはんは日の丸弁当とされていた。うっかり普通の弁当を持参した場合、おかずを食べることは許されない。ご飯だけではあんまりなので、塩をかけて食べるのいうのがルールだ。

ある日のことである。克己日にひとりの女生徒が、巻き寿司を持ってきてしまった。遠足に行く妹を喜ばせようと巻き寿司を作り、あまったものを持参してしまったのである。先生は克己日だからと巻き寿司を食べる許可をくれない。巻き寿司を分解し白米部分だけに塩をかけて食べることもできない……といったお話だが、そもそも克己日は食費を節約し国に寄付をするのが主旨であったはずだ。料理する人なら分かるはずだが、巻き寿司を作っているにも関わらず、それとは別に日の丸弁当を作るというのも非効率で、逆に浪費なのではといった気もしないでもない。

いつの時代でも正解のようなものが決定すると、それを極端に追求する人が出てきてしまう。このケースでは質素は良いことであるという価値観が尊ばれた結果、余り物の巻き寿司を食べずに我慢するといった本末転倒といった状況に陥っている。以前に書いた一日一善に関する記事にも、克己日とよく似た事例が登場しているので、興味を持った人は読んでみると面白いかもしれない。

cocolog-nifty.hatenablog.com

日の丸弁当に話を戻すと、巻き寿司事件の一年後『読売新聞 一九三七年十月十日 タ刊』に、豊島園で開催された日の丸弁当デーの広告が掲載されている。イベント内容の詳細は不明だが、日の丸弁当デーにもそれなりに娯楽の要素があったことが伺える。

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それなりに娯楽の要素がある

『湘南隨筆 貝島慶太郎 著 昭和一三(一九三八)年』では、七夕を日を質素に祝いつつ、お昼ご飯に日の丸弁当を食べ、皇軍の苦労を偲ぶ様子が描かれている。

中食は、一家挙(こぞ)って、日の丸弁当に、皇軍の苦労を偲んだ。

月に一度くらい昼飯が日の丸弁当になるのは、受け取りようによっては楽しそうで、たとえば梅干に合う米の炊き方を極めるだとか、米と梅干の量のバランスを考えるだとか、娯楽の要素をいくつか見出せる。ゲームなどで自発的に設けたルールを守りながら遊ぶ縛りプレイというのがあるが、あれに近い楽しさがあるはずだ。戦地で戦う兵隊さんの苦労を偲ぼうといった意義もまだまだ残っている。

しかし面白くないことをするのが大好きな人たちは常にいて、日の丸弁当イベントは徐々に劣化していく。先に紹介した克己日の日の丸弁当のように、手段が目的化していくのである。当時もこの動きに批判的な人はいて『随筆 潜望鏡 毛利八十太郎 著 青年書房 昭和一六(一九四一)年』では、面白くなくなり本来の意義を失ってしまった日の丸弁をかなり強く非難している。

『潜望鏡』の著者毛利は、新聞に掲載された二枚の写真を目にする。ひとつは一人の子供が黒板に「オヤツヲガマンシマセウ」と大書するのを、保母さんが微笑みながら眺めている写真、もうひとつは未成年の工員たちが昼飯に日の丸弁当を食べている写真だ。

幼稚園の写真は国が大変なことになっているのだから、子供にもお菓子を我慢させてますといったアピールだが、幼稚園児の菓子を減らしたところで戦争に影響はないと毛利は主張している。それどころか『オヤツは発育盛りの子供には絶対に必用な栄養素』なのだから、将来的には虚弱な肉体の大人が増えて国益を損じるとし、この幼稚園の関係者は『頭もどうかしている』とまで書いていてなかなか手厳しい。

工員の昼食についても批判的だ。日の丸の旗は『我々が心から仰ぎ見る畏敬の表象』だが、『日の丸弁当はなんの感激』もないただの食品である。十分に栄養が満たせない日の丸弁当なんて『誰も食べずに済めば食べなくてもよい』。未成年の工員たちが『肉体的素地をつくるためには相当の栄養素』が必用なのだから、『出楽るだけ栄養価値のある食物を摂取して』丈夫な体を作り上げろとしている。

そういう人もいるにはいたが、形式を重んじる流れを止めるには至らなかった。『支那事変恤兵美談集 陸軍画報社編纂 陸軍恤兵部 昭和一五(一九四〇)年』ではこんな場面が紹介されている。

ある生徒は涙をぬぐい、ある生徒は卓を叩いて愛国の叫びをあげた。そしてある生徒はこう叫んだのだ。

「前線の兵隊さんは一週間も泥水にひたりがら戦争をしているという。兵隊さんの御苦勢を思うにつけ、われわれの日常の生活は大いに自粛自戒しなければならぬ。少しの贅沢も許されないのだ。そこで僕は提案する。今後一週間、日の丸弁当にしようではないか」

すると、他の生徒たちは拍手をうって、これに大賛成をした。

子供らしい真っ直ぐな純粋さを感じなくもないのだが、こちらも『先生ごころ』と同じ事例で、涙を拭い卓を叩いて愛国の叫びをあげる行為が正しいとされ、節約することは素晴らしいとされていたからそうしたまでで、深い考えはなかったはずだ。そもそもお前らがなにかしたところで大局に影響はないし、成長期なんだからちゃんと飯を食べろよといったところである。

その後、食糧難が劇化して白米すら贅沢品となり、日の丸弁当デーは自然消滅したらしい。そりゃそうだろうねといった感想だが、日の丸弁当デーのエンタメ要素を追求していたら、今も残っていたような気がしないでもない。

形式は目的ではない

克己日にしろ、日の丸弁当デーにしろ、当初は目的があったはずだ。その目的を達成するためには、それなりの論理と手法が必用だ。論理的な行動を促すためには論理的な言葉が不可欠なのだが、そこをすっ飛ばしてしまい、とにかく質素なら偉い、お前らは日の丸弁当を食べりゃいいんだ、といった雑な説明で済ませてしまうと、形式を追求するといった結末を迎えてしまう。

今回は戦時中の事例を紹介したが、こういったことはいつの時代にも起こりうることだ。例えば明治社会主義の組織の一部に、芸術家に招き講演会を開催、講演中にお前はブルジョアだから芸術とかやってるだけの人間のクズだ的な罵倒をしまくるといった風習があった。これはブルジョアをヘコませればいいんだろといった雑な理解から生れた奇行である。社会主義は科学なんだからちゃんと考えろよと言いたい所だが、色々な人が運動に参加していたので仕方ないっていえば仕方がないのかもしれない。

私は現在の出来事にはあまり興味がなく、コロナの感染防止についても、もっと良い手段はあったのかもしれないが、全体的に眺めると(政策以外の要因もあって))そこそこ上手くいってるんじゃないのかなといった認識だ。しかし雑な説明や理解が広がりまくると、形式だけが強調され息苦しいことになるんじゃないかとも思う。そんな中で「寄席は社会生活の維持に必用」などと宣言する人々が出てたのは、なにかちょっとした安心感のようなものがあった。