山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

現状とあるべき状態を混ぜると面倒くさいことになる

現状とあるべき状態を混ぜると面倒くさいことになり、話し合いとか折り合いを付けたりできなくなると思う。だから現状とあるべき状態は分けたほうがいい。

例えば私がアパート経営をするとしたら、女性専用にしたら面倒くさいことが減るだろうなと考える気がする。一応書いておくと実際にそういうことをするんならちゃんと調べるし、女性専用にしたらそれはそれで面倒くさいとか思わなくもないわけだけど、例えなのであえて雑な考え方をしている。で、なんで私が女性専用にしたら面倒くさいことが減るって考えたのかというと、男性より女性のほうが部屋を綺麗に使いそうだとか、全体的に丁寧だろうとか、殴り合いの喧嘩とかも少ないだろうと想像したからで、以上が現状である。

それじゃあるべき状態はどうかというと、部屋を綺麗にしたくない女性がいたとしたら別に汚くしていてもよいし、雑にしたければ雑にしてもいいし、殴り合いの喧嘩をしたい人はしたらいいっていう社会である。書いてから思ったんだけど殴り合いの喧嘩は犯罪なんで駄目だけど、とにかく女性はこうあるべきといった雰囲気は社会から消えたほうがいい。消えたほうが良い理由は、そっちのほうが人間としての性能を発揮しやすいし、発揮したくない人も生きるのが快適になるからである。そういう社会になると、性別についてあまり考えることもなくなるはずなので、私も女性専用のアパートは面倒くさいことが少なそうとは思わなくなる。

男女の話を例えに出したのでついでに書くと、明治あたりの日本の女性の社会運動はお金持ちの女性の暇潰しっていう側面がある。そういう集団に仲間入りする生活に余裕がない女性もいたりはするけど、基本的にはそういう感じである。

なんでいきなり明治なのかっていうと、私が明治のことを調べてるからなんだけど、とにかく余裕のある人々の遊びといった側面があった。もちろん中には熱中しすぎて生活が破綻する人や、死んじゃう人とかもいるんだけど、今でも遊びや暇潰しで死んだり社会から脱落する人って沢山いるから、そういうもんだと思う。

色々あるけど当時の社会で女性が社会運動をしようとすると、ある程度の余裕がないと絶対無理なんで仕方ない。しかしあるべき状態は、社会運動したいって思った人の全員が、社会運動できる状態だ。それじゃ明治時代の時点で、社会運動したいって思った人の全員が社会運動できる状態にできたかっていうと現実的には無理である。

しかし明治時代であっても、あるべき状態について考えることはできる。当時から今は不可能だけど、こうあるべきだって考えた人たちはわりといた。できないことを考える意味なんてなさそうだけど、そういった思索の連続であるべき状態はよりよいものになっていく。

だからあるべき状態について話しをしている人に、現状はこうだと説明をしても意味がない。話し合いをするのであれば、あるべき状態の精度を上げる方向に労力を使ったほうが効率が良い。現状を変えようとするのであれば、少しずつあるべき状態に近付ける現実的な方法をとるしかない。

難しいのは社会的な運動をしている人の中にも、こういったことを混ぜて行動している人がいることで、たまにこうあるべきだからお前らこうしろっていうのを見るんだけど、ものすごい細かいことを良くするのにも莫大な労力がかかるのに、なんでそこだけ一足飛びに良くなるって考えられるのか謎すぎる雰囲気がある。

とにかくものごとは少しずつ良くなっていく。最高に理想的なのは良くする必要がない良すぎる社会なんだけど、そうなるにはものすごい時間がかかるので、現状を認識しつつ良くしていくしかない。

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  • 発売日: 2016/09/12
  • メディア: 食品&飲料