山下泰平の趣味の方法

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ゴールデンカムイに触発されて明治四十三年に書かれたアイヌのヒロインと不死身の豪傑が旅する講談速記本を24000文字くらいかけて解説することにした

ゴールデンカムイが面白い

人からゴールデンカムイが面白いとお勧めされたので読んでいる。グルメ漫画だと思い込んでいたんだけど、実際は人の皮を集めるみたいな話だった。少しビックリしたものの、確かにものすごく面白い。

今は石川啄木が出てきたあたりで、私は文学が基本的に好きだからちょっと嬉しい。そのうちアイヌと啄木つながりで金田一京助や知里幸恵、グラフ誌の関係で国木田独歩あたりが出てくるのかなと、楽しみにしている。国木田独歩がビリヤードをしていたら最高だと思う。

その他にゴールデンカムイの世界で活躍できそうな明治期の文学者として、パッと思い付くのは宮崎来城と伊藤銀月だ。

宮崎来城は恐らく北海道には渡ってはいないが無類の旅行好きで、旅の途中で伊藤博文を罵倒したりもしている。旅行好きが高じ、日露戦争に従軍したついでに馬賊としても少しだけ活躍しており多少の殺人は ok さらには水泳が上手く子供の頃に嵐の最中に海に落ちたけど6キロくらい泳いで生還しているといった人物なんだけど、晩年は漢文の先生として若者たちにメチャ慕われていた。この人ならゴールデンカムイの世界にいても、違和感はなさそうだ。

伊藤銀月は若い頃に無駄に身体が強く無茶な旅行を繰り返し旅行記を書き、一時的に人気者になった人物だ。俺は現代唯一の忍術研究者だと言い張って忍術の本を書いたもののパットせず、次に銀月式健康法を開発し、その普及活動に勤しんだ。

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銀月の顔

しかし生まれつき元気な人間が、健康法を提唱しても説得力がない。だから宣伝のため、俺は若い頃に病弱だったけど、健康法で無敵の身体を手に入れたなどといった完璧な嘘をついている。ついでに書いておくと、忍者の本を書いたのは恐らく堺利彦で、それほど忍術に詳しいわけでもない。嘘が多過ぎて意味が分からなくなってくるものの、実はこの人、一度は台湾に渡り国士として活躍しようと試みているのだが無計画すぎて失敗、帰国するためハッタリをかましまくり人に迷惑をかけまくった。ちなみに伊藤の健康法はわりとウケ、銀月式健康道場を開くまでに至っている。この人は北海道に渡ってはいるものの、残念ながら1910年あたりの出来事で、ゴールデンカムイとは少し時期が違う。だから微妙といえば微妙ではあるな……などと、ダラダラと考えてしまうくらいにはゴールデンカムイが気に入ってるんだけど、明治四三年に少しだけゴールデンカムイに似た冒険活劇が書かれている。

  • 大力無双宍戸源八郎正国 玉田玉秀斎 講演[他] 博多成象堂 明治四三(一九一〇)年
  • 大力無双後の宍戸源八郎 玉田玉秀斎 講演[他] 大阪講談小説出版協会 明治四四(一九一〇)年
  • 最後の宍戸源八郎 大力無双 玉田玉秀斎 講演[他] 大阪講談小説出版協会 大正一(一九一二)年

題名が長いためここでは『源八郎物語』とでもしておこう。『源八郎物語』のどこがゴールデンカムイに似ているのかというと次の通りである。

  • アイヌ人のヒロインとほぼ不死身の武士が登場する
  • 二人はともに旅をする
  • 「可哀想なアイヌではなく、強いアイヌ」が描かれている
  • ロシアが登場する

ストーリーはなかなか複雑で、主人公の源八郎は色々あって戦場でアイヌの英傑シャマケンを生け捕りにし武士に取立てる。社間憲太郎と改名したシャマケンは、悪侍の計略で窮地に陥った源八郎を助け出し、その勢いで悪侍たちを源八郎とともに殺害、一度は切腹しようと考えた源八郎であったが、人間の屑を殺した程度で切腹するのは嫌だと、シャマケンの罪を引き受けてロシアに渡り、シーソヌイ(力持ち)源八として陸軍大佐となり、ロシア軍を助け清国軍を撃退する。戦争の後、暇つぶしのため海外に渡った豪傑たちの足跡を巡った後に帰国、本来ならば死罪となるが徳川幕府を脅しつけ無罪放免、旅先でシャマケンと再会し二人で神の化身を燃やして殺すといった物語である。

ヒロインは誰なんだって話になりそうだが、もちろんシャマケンである。

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ヒロインを取り抑える主人公

シャマケンは身長2メートル12センチある怪力の大男で、熊を生け捕りにしたことは100回を越え、遊び半分に鉄の棒をねじ曲げることもできる。50人くらいの日本刀を持った侍を素手で殺せる能力を持っており、戦場での武器は 70kg くらいある大マサカリで基本的に死なない。かなり強いアイヌであり、まず人間としては限界に近い強度を持っている。普通なら主人公として活躍できる存在であろう。

ところが主人公の源八郎は、基本的に腕力で負けることはなく、弾丸を日本刀で真っ二つで切ることが出来る上に、戦場では320キロの鉄の棒を振り回し、1000キロくらいは持ち上げることも可能、まず地上の生物には負けないといったさらなる化け物であり、相対的にシャマケンがヒロインに見えてしまう現象が発生している。

『源八郎物語』は、かなり面白い明治娯楽物語なのだが、私の本では紹介していない。

なぜならポリティカル・コレクトネス的にちょっと扱いが難しいからである。今と比べると明治時代の文化程度は低く、ポリティカル・コレクトネスなんてほぼ見当らない。そんな時代に書かれた娯楽作品に、ロシアや清国、アイヌの人々が登場するのだから、現代の感覚でいうともっての外の出来栄えになっている。

一方のゴールデンカムイは、政治的な部分をものすごく上手に処理しているように読める。そこにも関連する話なんだけど、実はゴールデンカムイを読み始めた当初、ちょっとした違和感があった。なんとなく、これまで読んできた漫画とは質的に違うなと思ったのである。

私は良い漫画読みではないので曖昧な話ではあるが、漫画はある時期から教育を受けた人、社会や組織の制度やルールが普遍的なものだと信じ始めた人向けのものになったような気がしている。私が一番にそれを感じたのが『幕張』という漫画で、そのあたりで私はついていけなくなり、漫画を本格的に読むことはなくなってしまった。このような種類の漫画が好まれる状況は(私の中で)かなり長く続いている。この種の漫画も細分化していて分類できそうだけど、そういうことはすでに誰かやっているかもしれない。

ここ数年でヘーって思ったのが、面白くなるためだけに描かれたような漫画で、韓国や中国で創ってる漫画のようだった。この種の漫画はすごくて、全然興味がもてない内容でも読んでしまう。実に上手くできているなとは思ったが、少々不気味でもあった。

ゴールデンカムイは、以上の二つとはちょっと違っていてるんだけど、残念なことに上手く説明することができない。言語化できる部分で『源八郎物語』に関係する部分だけをあげておくと、人間の醜いある部分が徹底的に漂白されているような雰囲気がある。あくまで私の感想でしかないが、登場人物の行動には善悪があるのだけれど、基本的には善人しか登場しないように見える。だから登場人物はアイヌだろうと和人だろうと、同じような立場で会話もできるし、共に行動することもできる。こういった傾向が他の漫画にもあるのかどうかは知らない。もしかすると最近の主流なのかもしれない。

色々な狙いや事情があるんだろうけど、ゴールデンカムイはものすごい計算をして描かれているような気がしている。私が好きな明治娯楽物語はというと、そういった工夫や計算はほぼない。あまり頭の良くない人間が、思いついたことを思いついた順番に書いていくので、現在の価値観からするとかなり危うい雰囲気だ。そんなわけで『源八郎物語』は紹介するのを避けていたのだが、別ジャンルの文化を調べ新たな知識を踏まえて再考してみると、いくつか気付くところがあった。さらにゴールデンカムイに刺激を受け再読したことで、また別の視点も発見できたので、ようやく今回紹介してみることにした。

明治娯楽物語における北海道の扱い

『源八郎物語』は北海道を舞台にした明治娯楽物語である。そこで明治娯楽物語において、北海道はどういった位置付けだったのか、そのことについても書いておこう。

北海道が登場する明治娯楽物語は少なくない。なぜなら北海道は娯楽物語の舞台として、思いの外に便利であったからだ。

なにが便利なのか、ひとつには北海道は東京や大阪から遠く情報の伝達が遅いと、当時の読者は考えていたからである。あくまでこれは『考えていた』ことであり、現実は少し違う。当時も新聞や雑誌を使って情報のやりとりはなされていたため、情報の種類によっては山奥の村よりも札幌のほうがずっと広く普及していたりする。それでも読者がどう思っているのかが大切で、北海道は情報の伝達が遅いという思い込みは、なかなか便利な道具であった。

どう便利なのか、一例を上げると『娘玉乗り : 探偵実話 無名氏 編 金松堂 明治三四(一九〇一)年』では、国内でどうにもならなくなった犯罪者たちが、北海道へと渡って保険金詐欺で一儲けしている。しかしその内容は幼稚だ。綺麗な服を着て高級旅館を訪れた犯罪者たちは、茶代をはずんだ後に「我々は東本願寺の関係者だが、仏教生命保険会社を設立することとなった。ついては株金を集めようと思うのだが、まずは1株につき2円だけ保証金を払ってもらおうと思う」と語る。宿屋の主人は金儲けになりそうだとその気になり、周辺のお金持ちから保証金を集めるため奔走するが、もちろんこの話は真っ赤な嘘で犯罪者たちは集めた保証金を懐に高飛びする……といった内容だ。

今なら馬鹿馬鹿しくてお話にもならない詐欺の手法だが、明治三十年代の人々にとっても馬鹿馬鹿しい事件であった。ただし明治の十年代ならば成立するような事件ではある。当時の人々は実に素朴で、洋服を来て官僚っぽい口調で話すと、偉い人なんだとすぐに騙されるといった者がまだまだいた。もっともこれは素朴さだけに起因するものではない。肩書自体が曖昧な時代は、『良い服を着ている=偉くて高貴な人であろう』といった考え方が普通に流通するものだ。

とにかく明治三十年代には幼稚に感じられる「良い服を着て信用させれ詐欺を働く」といった古臭い事件も、情報の伝達が遅い(と読者が思い込んでいる)北海道を舞台すれば、なんとなく読者たちは納得してしまう。

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完全なる偏見

そこまでしてなぜ古臭い事件を使うのかというと、明治娯楽物語は基本的に書き飛ばすもので、難しい事件を考えるのが面倒くさいからである。だから北海道に限らず田舎の人は素朴だからなどといったロジックで、「良い服を着て信用させれ詐欺を働く」事件が様々な物語に登場している。

もうひとつ、物語に監獄が登場すると、自動的に北海道が登場するといった事情もあった。いくども脱獄を繰り返したことで知られる『五寸釘寅吉』(明治大正犯罪実話集 : 五寸釘寅吉・高橋お伝 春江堂編輯部 編 春江堂 昭和四(一九二八)年)は、物語の中で海賊房次郎に脱走の相談をして断わられている。当時、海賊房次郎は誰もが知る犯罪者ヒーローで、芝居や映画、『重なる悪事の数々は 高瀬伝馬につみきれぬ その名は荒波房次郎』なんて歌となり人々に愛されていた。

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逃亡する五寸釘の寅吉、すぐ捕まりそうである

実はこの場面に海賊房次郎を出す意味はない。「明治大正犯罪実話集」は、明治時代に流行した犯罪実録と呼ばれるジャンルの総集編のようなもので、犯罪者ヒーローの代表である海賊房次郎が出るだけで大喜びする読者が存在していたのである。

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犯罪者スター 海賊房次郎 : 活劇講談 大川屋書店 大正九(一九一九)年

ようするに単なる読者サービスだ。ちなみにゴールデンカムイに登場する稲妻強盗も、犯罪者ヒーローの一人である。

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とにかく犯罪実録には監獄がつきものであり、自然に北海道が登場する。

最後は遠い国への憧れ、いわば異国情緒を出すために北海道を活用するというケースだ。『吹雪巴 : 近世実話 遅塚麗水 著 金槙堂 明治三四(一九〇一)年』は北海道で病院の院長となった男の立志談、内地の出世物語は平凡だが、北海道を舞台に男が成り上がる出世談は珍しいだろうといったくらいの志で書かれた物語である。当時は珍しい物語ならウケるといった傾向があり、東京の話より北海道の話のが珍しいだろといった雑な戦略が採用されることも多かった。

このように明治娯楽物語には、北海道がしばしば登場する。しかしアイヌの人々が登場する作品はかなり少ない。たまに登場したとしても、特に偏見に満ちた描かれ方はされていない。なぜなら作者に知識が欠如していたからだ。明治娯楽物語を書く人々は、教育水準がそれほど高いわけではない。その上まだ印税の概念もなく、収入を確保するためには、質を上げるより量を稼いだほうが効率が良い。だから書き飛ばす必要があり、アイヌについて学ぶ時間がない。ようするに知らないんだから、偏見もなにもないといった状態である。

知らないことだから、他の作品の登場人物の雛形を使いアイヌを描く。善良な人物であれば農民、悪人であれば駕籠屋や山賊のように彼らはアイヌの人々を描いている。違いといえば悪人が毒矢を使うことくらいだ。もちろん未開の民族、あるいは野蛮な人々といった書かれ方はしているが、こちらも先に書いた『田舎の人は素朴』といった扱いと似たり寄ったりである。

このような時代と状況の中で書かれたのが『源八郎物語』だ。

源八郎とヒロインの出合い

今回紹介する『源八郎物語』は、講談速記本と呼ばれるジャンルに属している。講談速記本とは、その名の通り講談を速記したものであり、基本的に実話として描かれる。なぜなら講談は「事実」を語る芸能で、その講談を速記した講談速記本も実話ということになるからだ。しかしそれはあくまで建前、完全なフィクションといった作品も多い。この物語も作者が取材した実話だとしているが、確実にフィクションであろう。

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幕府を憚って語り継がれなかった物語としている

ちなみに本作は、盗作の可能性が高い。当時はヒット作品をちょろっと書き変え、別の出版社が講談速記本として出版するといった荒技が存在した。タイトル変えてあるしバレねぇだろといった感じである。現代では通用しない手法だが、とにかくそういった作品がままあった。

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一文字変えてあるしいいだろ感

盗作している作品の特徴としては、解説や豆知識が多く、ストーリーが講談速記本としては珍しいなどがある。本作も講談速記本としては面白すぎる上に、物語に豆知識や解説、作者の意見が大量に入っておりオリジナル作品だとは思えない。このあたり色々あるのだが、かなり混沌としており複雑なので、より詳しく知りたい人は私の本を読んでみてください。

というわけで『源八郎物語』を紹介していく。

八代将軍吉宗の時代のお話、松前の下江差にある沢茂尻海岸で浜役人をしている男の息子、宍戸源八郎がこの物語の主人公だ。ちなみに浜役人とは名主のようなもので、身分としてはそれほど高くはない。

宍戸源八郎は生まれつき一枚肋[いちまいあばら]の持ち主で、肋骨に隙間がなく板のようになっている。講談速記本の世界では、一枚肋の持ち主は基本的に怪力だというルールがあるため、宍戸源八郎ももちろん怪力、どの程度の怪力かというと生涯本気で力を出したことがないといったところである。

物語の舞台が北海道である理由としては、北海道が多少ブームだったことと、北海道なら江戸時代のルールを多少破ってもいいという点をあげることができる。江戸時代に本州を舞台に合戦を描くことはできない。しかし北海道ならば、戦場の場面を登場させても問題はないといった理屈である。

『源八郎物語』において、アイヌの人々は、野蛮であるが善良で正直、力は強い反面、臆病であるものの、熊を素手で殺すことが出来るほどの破壊力を持っている。体格は小さいことが多いが身長2メートル10センチを越えるシャマケンのような化け物もたまに産まれ、馬乗に異常に長けているといった設定である。矛盾が感じられないではないが、面白い場面を大量に作ろうと作者のオッさんが頑張った結果だから、そういうものとして納得するより他ない。

主人公の宍戸源八郎は子供の頃から力量抜群、北海道に生まれアイヌの人々とももに成長した。日常的に猟を楽しむうち、十二歳の頃には熊を素手で殺すことが出来るようになる。物語の中でアイヌは馬術に異常に長けているということになっているため、源八郎も馬術の達人で裸馬の身体の上で大の字になり睡眠をとりながら高速で走り回ることすら可能だ。

ある日のことである。アイヌ集落の人々が網を引きニシン漁をしていると、タントと呼ばれるアイヌ人がやってきてニシンを強奪しようとした。タントは悪逆非道の悪人で怪力の持ち主、集落の人々は恐れていたのだが、源八郎に投げられた後に殴られて死ぬ。

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一瞬で死ぬタント

本作では様々な強敵が登場するのだが、源八郎が強すぎるためタントと同じくすぐに死ぬ。

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主人公のセリフとは思えない

源八郎が唯一苦戦したのはシャマケンを生け捕りにしようと試みた時と、悪天候、そして神の化身くらいだ。

タントを殺した源八郎は、さらに強くなるため北海道の福山で修行するため旅に出る。途中でアイヌの人々が狼を神の野獣だと恐れていたため、その辺にある大木を引き抜いて狼二匹を殺したりしながら福山に到着、ここで源八郎はシャマケンと土俵で出合う。

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狼もすぐに死ぬ

なんでそんなことになったのか、十勝に住むアイヌの人々が、シャマケンがあまりに強すぎるため、その腕力で松前藩をブッ潰そうと考えたからである。

しかしアイヌの人々の中には、不安を持つ者もいた。確かにシャマケンは強いが、日本にも勇士がいるかもしれない。それならばというわけで、小手調べに相撲大会を開き、シャマケンに勝つ者がいなければ、戦争を始めようではないかといった結論に至る。

松前藩にシャマケンに勝てる勇士はいなかったのだが、運の悪いことに源八郎が修行のために在住していた。シャマケンは鉄の棒を縄のようにねじることが出来る怪力の持ち主であったが、源八郎は鉄の塊を握ると指の跡が残るくらいの怪力の持ち主だから到底勝目はない。シャマケンはそれなりに善戦はするものの、源八郎に投げられ半殺しにされてしまう。源八郎が本気で人間を投げると普通は身体が粉微塵になり死ぬのだが、シャマケンもかなりの勇士であるから半殺しで助かったといったところであろう。

殺し合いの後で友達になろう

相撲で勝利した源八郎は、さらに強くなるため武術修行のため仙台へと向かう。旅の途中で家老の供頭に息子を殺されたお百姓さんのため、家老を半殺しにして供頭の首を切ってあげるなどの親切行為を続けながら仙台へと辿り着く。

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親切行為がこれである

師匠の元で修行を始めるのだが、すでに師匠よりも強くなっており、はっきりいって修行などする必要はない。入門当日に師範代となり、人々に剣術を教える日々を送っていると、シャマケンたちが松前藩に攻め入るため、戦争の準備を始めていると、北海道から便りが届く。

ここで注目したいのは蝦夷人の戦力についての描写で『彼等は野蛮人とは云え、馬に乗る事、槍を使うこと、弓は毒矢を射掛ける事巧みにして、なかなか侮るべからざる勢力である』とされている点だ。アイヌの人々は、あなどれない相手なのである。

明治から戦前にかけて、海外の人々と日本人が戦う物語が数多く書かれた。ポリコレ的に見るとどう考えてもアウトな物語が多いのだが、多少なりともまともな作家による作品の場合、一方的に海外の人々を蔑むようなことはされていない。なぜなら敵が弱ければ、物語として成立しないからだ。だから本作でもアイヌの人々は、松前藩にとっても強敵だとされている。それに加えてシャマケンもいるのだから、源八郎がいなけりゃ負けてしまう可能性が高い。だからこそ源八郎を手紙で呼び寄せたというわけだ。

大急ぎで仙台から北海道へと帰国すると、3000人のアイヌとシャマケンによって、上の国の城はすでに落されていた。師匠に急き立てられ源八郎は、その日のうちに戦争に行く。普通なら疲れているが、源八郎は頭がおかしいため嬉しくてたまらない。身支度を整えると、そのまま戦場へと向かう。

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なぜ疲れない?

松前藩の戦力は500人、普通であれば援軍が欲しいところだが、源八郎がいれば問題ない。適当に暴れた後で、シャマケンと一騎打ちの勝負をすることとなる。

源八「ヤア、シャマケン珍しや、松前家に宍戸源八郎正国あるを忘れたるかッ。サア一騎打ちの勝負だ。イザ来[こ]い来[き]たれッ」

と、鎗をピタリと身構えた。シャマケンも源八郎と聞いては油断せず、

「オオ、先年の仕返しだ。思い知れい」

と、大鉞を真っ向上段に振りかぶり、勢い烈しく打ち下した。源八郎は心得たりと、ヒラリ馬を乗り回し、ここに両人は千変万化、電光石火と戦いました

大力無双宍戸源八郎正国 玉田玉秀斎 博多成象堂 明治四三(一九一〇)年

これが二人の初めての会話、なんとも殺伐としているが、実はこれ講談速記本における合戦のシーンそのままだ。はっきりいってコピペに近い。ページ稼ぎのためか、気が向いて合戦のシーンを書きたかったのか真相は不明ではあるが、とにかく激しい戦いを続けるうち、源八郎はシャマケンを生け捕りにしようと考え始めた。殺すのは簡単だが、源八郎はどうしてもアイヌの勇士を立派な武士にしてみたい。そこで苦労して生け捕りにしたのであった。

江戸時代に反乱を起したのだから、普通なら死罪である。しかし源八郎と同じく、殿様も強い男が好きであり、シャマケンの腕力に惚れ込んでしまう。結果的にシャマケンは社間憲太郎(しゃまけんたろう)という名前をもらい、100石の近習役ということになった。源八郎も同じく近習、同僚となった二人は仲良く働き始める。シャマケンは勤めを果しつつ、源八郎とともに武道修行をし学問にも励む日々を送るわけだが、シャマケンが改名し日本の風習に適応、日本人として生きている展開に、同化政策を感じる人もいるかもしれない。このあたりはなかなか難しい話になるので、ちょっと詳しく解説してみよう。

源八郎がロシア人になった理由

実はシャマケンと同じく、源八郎も後にシーソヌイ源八と改名し、ロシア人として警察官となり治安を守り、ついでに戦争に参加した後でヨーロッパを漫遊している。つまり主人公の源八郎は、ロシアに同化してしまっているのである。

明治娯楽物語にも様々な作品が存在しているわけだが、粋でイナセで強くて渋けりゃ、国籍や人種は関係ないといった思想が、明治の日本にはあった。私が知る限りだと、日本と中国、朝鮮の正義の少年たちが中国の海賊船(構成員には日本人もいる)に爆弾を仕掛け、皆殺しにしするような小説が存在している。だから源八郎がロシア人となり戦争に参加するのも問題ないし、シャマケンが侍となり悪人退治をする展開にも全く違和感はない。

それだけでなく国籍や男女関係なしに、人間は成長するといった感覚もあった。一例を上げると『空中軍艦 探険小説 町田柳塘 著 太洋堂 明治四〇(一九〇七)年』に、恐らくフランスに雇われたスパイ『カーレー』が登場する。

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悪いカーレー

彼は日本の義勇団が作り上げた空中軍艦をダイナマイトで破壊しよう試み、失敗してしまう。死刑は免れないと諦めた『カーレー』であったが、空中軍艦を設計した天才少女の龍子は『カーレー』の度胸を評価し、その罪を許し義勇団への参加を許す。

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龍子の格好良いセリフ

龍子はいわゆる女豪傑といった人物で、明治娯楽物語には男らしく格好良い女ヒーローといったものが多く登場している。

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義勇団の人々と共に行動するうちに『カーレー』は大和魂を手に入れ、飛行艇の船長としてピンチに陥ったダライラマの救出に貢献する……といったなんだかよく分からないストーリーではあるが、とにかく国籍がなんであろうと成長できるし、極悪人であったとしても改心すれば大和魂が持てるといった思想の元に書かれていることだけは理解できるはずだ。

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綺麗になったカーレーの心
もちろんこれは西洋人限定というわけでもなく、義勇団のメンバーには清国人も存在している。

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国籍関係なく強い奴は強い世界

ついでに書いておくと『空中軍艦』のカーレーは大和魂を手に入れ一種のヒーローに生れかわるわけだが、実は大和魂も万能ではない。『遺恨十年日露未来戦 原田政右衛門 著 武侠世界社 大正2』では今の堕落した大和魂は、研ぎ澄まされたスラブ魂の前では危ういとされている。

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スラブ魂賞賛

明治や大正の人々は私たちが思っている以上に合理的であり、『日本人なら全員大和魂があって強い』なんて幼稚な設定に満足はしない。だからロシアにはスラブ魂やコサック魂があるし、大和魂も劣化すると考えるわけだ。

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劣化した大和魂

先にアイヌの軍勢が強敵として描かれたことを指摘したが、これも一種の合理性であり、歴史的な事実はさておき、シャマケンという英雄を頭にしているのだから、弱いわけがないと彼らは考える。明治人の合理性については、別の本で別の方向から考察しているので、興味のある人はどうぞ。

少々話がズレてしまったが、『源八郎物語』も一種の合理性追求と、成長の物語としてとらえることができる。源八郎はロシアに渡り知見を広め熟考した結果、日本の弱点を見出したため、なんとか海外から援護射撃をしようと奮闘する。その一方で登場当初、腕力一方だったシャマケンは、学問を修め武芸を習得し本物の豪傑へと成長する。そして彼らは共に不合理な旧弊を破壊していく。

源八郎とシャマケンが仕えていた松前藩には、古参の者が新参者をいじめる伝統があった。例えば昼飯時に古参は茶を飲んでもいいが、新参者は禁止されている。部活なんかでよくあるやつだが、このような馬鹿馬鹿しい旧弊は全て源八郎が腕力で破壊してしまう。

ところがシャマケンには、元アイヌという弱味があった。これは新しいものを受け入れたがために発生する摩擦だとすることもできるわけだが、シャマケンは古参から嫉妬まじりの嫌がらせを日々受けている。その内容はというと、シャマケンの弁当を隠れて食うという幼稚なものだ。

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弁当を食われて泣くシャマケン

かってのシャマケンであれば殴り殺してしまったのだろうが、今は主を持つ身である。怪力無双のシャマケンも、弁当を食べられ悔し泣きするしかない。これを知った源八郎はシャマケンを慰め、弁当泥棒を捕まえ腕力で懲らしめる。

新参者とアイヌ人にやりこめられた古参の悪侍たちは、さらなる嫌がらせを開始するも、ことごとく二人に撃破されてしまう。25人力の茶坊主をけしかけ、シャマケンに喧嘩をふっかけたこともあったが、25人力程度に殴られたところで痛くもない。茶坊主を殴り殺そうとする源八郎を、シャマケンは逆に諫めるほどである。

明治の物語であり時代的な限界なのだろう、作品の中でアイヌの人々は、迷信深く文化的に劣る存在として扱われている。ただし豪傑同士の交流は格別で、社間憲太郎となったシャマケンの誇り高い態度に、源八郎は魅せられていく。

源八「自分が叩かれながら、当人を庇ってやられるとは恐れいった。なかなか出来ないことでござる。イヤ、人は貴公を馬鹿にするが、誠に良い心掛けだ」

源八郎はシャマケンを助け、シャマケンもその恩に報いることを繰り返すうち、二人はいわば親友となる。ここで面白いのは悪役たちが、一貫してシャマケンに理解を示さないという点だ。

古参「己れッ、不届き千万の奴だッ、蝦夷人の分際で日本人に意見がましい事を吐かすとは癪に障る。飽く迄許しておけない」

単純で痛快な物語の中で民族や人種などといった細かいことにこだわる人間は、奸佞邪知だとされてしまうのは仕方がない。この侍たちも後に源八郎とシャマケンに殺されるわけだが、明治娯楽物語のヒーローたちは、小さなことにこだわったりはしないのである。

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シャマケン賞賛

シャマケンは源八郎のため奔走し源八郎はロシアへ渡る

悪侍たちは源八郎とシャマケンの二人が憎くて仕方がない。なんとか苦しめてやろうと相談し、黒姫と呼ばれる家老の娘と源八郎を結婚させる運動を始めた。黒姫の色は鉄よりも黒く、髪の毛は半分、身体は巨大で性格が悪く、遊芸も武芸などなにをやっても全く上達しないわりにそこそこ力が強いため、逆上して暴れ出すと手が付けられないといった人物である。悪侍たちは黒姫は抜群の怪力を持っていると噂を流し、源八郎と結婚させれば、大豪傑が産まれるはずだと殿様を説き伏せる。シャマケンを家臣にしたように、松前藩の殿様は怪力の豪傑が大好きだ。源八郎と黒姫の結婚に乗り気になり、家老も源八郎ならばと大賛成、ところが源八郎はどうしても黒姫と結婚したくない。しかし君命だから断われない。苦悩のあまり源八郎は、病気になり寝込んでしまう。

源八郎を気の毒に思ったシャマケンは、自分が身代わりになると申し出て、家老の家に赴き黒姫に剣術の稽古を何度かつけてやる。そのうちなんだかんだで黒姫を口説いてしまい、良い仲となり結婚することとなった。これで悪侍たちの陰謀は阻止されてしまう。アイヌと家老の娘の結婚もかなり革命的な出来事であるが、とにかくめでたしめでたしといったところだ。

それにしてもである。このやり方は酷すぎると、人徳者のシャマケンも実は密かに憤慨していた。ある日のこと、なに食わぬ顔で悪侍たちを船で沖合に連れ出すと、全員海に投げ捨ててしまう。そこに登場したのが、源八郎であった。シャマケンの様子がおかしいと心配し、密かに後を追っていたのである。

いくら人間のクズであったとしても、殺してしまうと後が面倒だと源八郎は溺れる悪侍たちを助けやるが、どこまでも心根が腐っている悪侍たちは、隙をみて船上で源八郎に斬りかかった。これに腹を立てた源八郎は、悪侍たちを完全に殺してしまい海に捨ててしまう。

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ひどい

いくら殿様のお気に入りでも、八人を殺したのだから死罪は免れない。源八郎、一度は潔く切腹しようと考えたのだが、どう考えてもこんな奴らを殺した程度で死ぬことに納得できない。ここでもシャマケンは身代わりになると申し出るも、もともと武者修行がしたかった源八郎は良い機会だとばかりに、そのまま船で本州へと逃亡する。ところが嵐が起きて遭難、源八郎はロシアのイワノフ船長に助けられ、ロシアで生活することとになってしまった。

ロシアの人々と出会い、源八郎が最初にしたのは怪力を見せ付けることであった。これは源八郎なりの戦略で、自分は身形が異なり言葉もしゃべれない外国人なのだから、最初に圧倒しておかなければ馬鹿にされると考えたのであった。助けられた翌日には、1200キロの錨を持ち上げ船の上を歩き回り、船員たちから恐れまじりに尊敬され丁寧な扱いを受けている。

シャマケンを松前藩の武士に取立てた源八郎が、ロシアではイワノフ船長の世話になり、ロシアの生活に染まってしまう展開はなかなか面白い。服装はもちろん洋服、名前もシーソヌイ源八に改名する。

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格好良い名前である

色々あってロシア語も話せるようになり、イワノフ一家が強盗30人に強襲されるも一人で皆殺しにしている。

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他の方法もあったのでは?

源八郎の強さを知った地元の警察署長は源八郎を巡査にスカウト、源八郎は日々強盗を捕まえたり殺したりして日々を送ることとなる。

そんな日々を送るうち、源八郎にも海外の事情が分かってくる。そして日本の将来に、不安を覚えるようになってきた。鎖国だなんだと言っているが、西洋の軍艦がやってきたら日本などひとたまりもない。そこで源八郎は圧倒的な力を使い悪人を退治し続けることで、西洋人に恐怖を与え外敵を退けることを決意する。

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悪人が主人公と闘い始めるとだいたい5行以内に死ぬ

ちょっと理屈が分からないと思うので解説をすると、源八郎が1000キロの物を持ち上げたり、一人で悪人を100人くらい殺すことで、西洋人たちは源八郎は強いと恐怖する。

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殺人を楽しむ主人公

源八郎は西洋人に私の強さは平均レベルで日本にはもっとヤバい奴がいると伝える。結果的に西洋人は日本人に恐怖を覚えるようになるという戦略である。

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にこやかに殺害

源八郎は日々暴れ続けその武力はロシアの警察官の間で響き渡り、ついにはロシアのアヤンに砦を築き、手下を集めている国事犯のヤコフを捕まえるための選抜隊に選ばれることになる。ヤコフは元軍人で武勇に優れ、50キロ程度の鉄棒を振り回して戦うという男である。

一般人としては強く警察では手に余る相手であるが、鉄を縄のようにネジるシャマケンや、1000キロの錨を持ち上げる源八郎にとっては、遊び半分でも勝てる相手だ。人がいると邪魔なので、一人で砦に殺しに行くと話す源八だったが、危険すぎると押し止められる。別に大丈夫だけどと譲らない源八郎、そこで源八郎の強さを調査し、一人で殺せるかどうかテストすることとなった。まずは殴りかかってくる警官50人を適当に投げ、日本刀で弾丸と牛の首を切る実演を観せるとみなも納得、無事に砦を陥落させた功績で軍人へと出世する。

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戦争の場面ではロシア人も清国人もこういう感じになる

軍人になってからも連戦連勝で、やがてその強さに興味を持ったエリザベス女帝の前で、象を一本背負で倒し日本刀で真っ二つに切るショーを披露する。

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ロシアでも委細畏って候である

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なぜすぐに殺すのか……

これでニホン人はヤバいと噂がロシア全土に流れ、日本に手を出しては危険だという政治的な判断が下されることとなった。

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誤解

日本が長く鎖国を維持できた一因には、源八郎が西洋人を脅しつけていたこともある……といったストーリーで、この物語は一種の架空戦記の様相も呈している。

学習漫画的側面

実は『源八郎物語』は、学習漫画的側面も持っている。例えば象を殺した源八郎は、その手柄によって陸軍少佐となり、プロイセンとの戦争に参加している。こんな展開から、ロシアはかってこんな戦争をしていましたよと、読者に知識を伝達することができる。先にロシアのアヤンが登場したが、こちらも聞きなれない海外の土地を紹介し、一種の知的な喜びを読者に与える要素となっている。

プロイセンとの戦争が終ると、なぜか源八郎は仲人としての活動に熱中し、その過程で殺した悪人の生首を警察長官に見せるなどといった活躍もみせ、娯楽物語としても読者を飽きさせない。

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長官の部屋に入る源八郎、最早化け物である。

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生首を見せるのが好きな主人公

なにはともあれ仲人活動に成功し満足した源八郎は、ヨーロッパへと旅立ち、漫遊しつつ海外に渡った英雄豪傑たちの墓参りに勤しむ。その流れで伊東マンショや支倉六右衞門など、海外に渡った英傑たちの略歴が紹介され、鎖国時における日本の消極性が批判される。

なにしろこの時代にあたって、日本の政治が改まって、徳川幕府が海外に手を広げ出したならば、それこそ四方は皆主人のなしの国ばかりで、南はヒリッピン群島、北は樺太西伯利亞、どこの土地でも取り次第、まるで落ちているものを拾うより仕安かったのでございます。

植民地政策につなげたくなる人がいるかもしれないが、『源八郎物語』においては、どちらかといえば日本にこだわる消極主義が批判されている。

外国は何時も弱い。日本を常に強いと思って居るは、これ少量の考えにして井の中の蛙と一般

明治娯楽物語におけるこのあたりの表現については、かなり解釈が難しい。というわけでこの物語が書かれた当時の社会の状況を紹介しつつ、『源八郎物語』を別の視点からもう少し詳しく観察してみよう。

苦学生という存在

『源八郎物語』は日本の大豪傑とアイヌの豪傑が悪人や西洋人から日本を守るといったストーリーで、作中で幾度も江戸時代の鎖国政策が批判されている。解釈の仕方によっては、同化政策や植民地政策を賞賛しているということになるのだろう。ところが本作が書かれた当時の社会の状況を考えると話が変ってくる。しばらく全く関係ないような話になるが、しばらくお付き合い願いたい。

明治30年から苦学ブームというものが長く続いた。多くの若者たちがほぼ無一文で故郷を飛び出し東京に出て、学問を修め出世をしようとした熱狂の時代である。しかしそれを実際に実現することができたのは、明治35年あたりがギリギリで、それも5年間もの期間を過酷な労働をこなしつつ学問を続け、食事は焼き芋だけを食べ続け無病で活動できるといった強靭な意思と肉体の持ち主でなくては達成できない状況だった。

おまけに苦学を志す青年を、安価な労働力として活用する詐欺グループも存在した。仕事も学校も寝る場所も世話してやるからと入会金を払わせ、一文無しになり行く場所もなくなった青年を過酷な労働環境に派遣するというものであった。

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成功 20 第4月號 余が悲慘なる苦學生活回顧 杉本卯月 成功雑誌社

苦学生の多くは新聞配達を生業としたが、明治40年代に苦学した人はこんなことを書いている。

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苦学実験物語 松尾正直 著 大文館 大正六(一九一六)年

また学校を出たところで、それ相応の就職先がないといった問題もあった。それならばということで登場したのが、海外への出稼ぎだ。現実的に考えると国内での苦学はほぼ不可能だが、海外ならばまだ可能性があるといった理屈である。

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力行会とは何ぞや 島貫兵太夫 著 警醒社 明治四四(一九一一)年

それなりの数の若者たちが、海外へ希望を見出していた時代に書かれたのが『源八郎物語』だ。真面目な学生は別にして、出世を夢みて働く新聞配達員や人力車引き、お店の丁稚さんは講談速記本の読者層でもある。だから『源八郎物語』の内容を、ロシアの歴史や過去に海外に出た日本人について学ぶついでに、異文化に順応しつつ活躍する主人公に胸を踊らせるものだとしても、それほど不自然さはない。『源八郎物語』は娯楽物語なのだから、当時生きている人々にウケる物語に仕上がっている。だから当時の世相を写した作品になるのが当たり前で、国策の影響も当然あるが、他のブームも組み入れているに決まっている。

ついでに書いておくと『源八郎物語』のような作品は、かって一律軍国主義的だという雑な批判をされ、黙殺されてしまった歴史を持っている。これはあくまで個人的な思いにしか過ぎないが、過去の物語を批判するのであれば、当時の社会の情勢を考慮に入れつつ、他ジャンルの調査も行った上で、慎重に価値を判断することが、創作者に対する最低限の礼儀だと考えている。

源八郎とシャマケンの旅

話があっちに行ったり、こっちに行ったりで長くなってしまったが、ようやく『源八郎物語』も結末に近くなってきた。

ロシアで陸軍大佐となった源八郎は、日本に帰り諸外国の現状を徳川幕府に報せるため、死罪覚悟で帰国することを決意する。船長の家で髪の毛を伸ばし丁髷[ちょんまげ]を結って日本に帰国、帰国直後に通行人に襲いかって日本服を手に入れると、その足で徳川幕府に説教に行く。将軍家重の前でヨーロッパの事情を語り、将軍や重臣たちを感心させ、なんだかんだで死罪を免れる。これでお話は終ったようなものなのだが、作者は源八郎とシャマケンこと社間憲太郎が邂逅し、二人で旅をするというエピローグで物語を結んでいる。

徳川幕府に説教を終えた源八郎が北海道へ帰ろうと歩行をしていると、罪人籠にのったシャマケンを発見する。話を聞くと江戸表で源八郎が罪人になっていると聞き、なにもできることはないが、せめて一目でも顔を見たいと江戸へと旅に出たものの、無実の罪で捕えられたとのこと、怒った源八郎がシャマケンの手錠を素手で破壊すると、シャマケンも縄をちぎる。

憲太「オオ宍戸殿、かたじけない。もうこれなら大丈夫だ。サアどいつこいつの容赦はない。何百人でも来[う]せてみろう」 と大手を広げて仁王立ちと相成った。源八郎も共に喜び、 源八「ウム、憲太郎抜かるなッ。手向かう奴を殴り据え、一先ずこの場は逃げ出そう。ソレ片っ端から叩き伏せッ」 と両豪傑が暴れ出したから堪らない。みるみる一五六人の役人は、張り倒されて気絶する。

無事に逃亡した二人は仙台に着き、しばらく剣術の師匠のもとに足を留める。ある日のこと師匠の娘とシャマケンとともに塩釜明神をお参りにいくと、丘の上で五六十人の道楽者たちが遊んでいた。遊びといっても酒を飲んで唄って飛び跳ねるくらいの下等なもので、箱入り娘にはおかしくてたまらない。思わず声に出して笑ってしまう。

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楽しくピクニックをしていた道楽者たちを嘲笑う浪江

これに怒った道楽者たちは「我々を馬鹿にしやァがるとは太い阿魔だ。サア云い分があるなら云ってみろい」と娘に詰め寄る。確かに娘の笑い方が失礼すぎるのだから、怒るのも当たり前だなと思わないでもないのだが、道楽者たちの無礼に怒ったシャマケンは人間を溝に投げ込むという遊びを始める。

源八「ヤア、憲太郎しっかりいたせッ。その様な蛆虫共は踏み潰してしまえッ」

憲太「ナアニ、ご心配には及びません。今に残らず溝の中に埋めてやります。しばらくそれにて御見物あれッ」

道楽者相手にはしゃぐシャマケンと、ニコニコ見守る源八郎、二人がやっていることは殺伐極まりないが、数年ぶりに再会した二人の活躍を読んでいると、微笑ましい気分になってくるからなんとも不思議だ。

源八郎、シャマケンの二人は楽しいかもしれないが、道楽者たちはたまらない。しかし喧嘩をどっかと座り眺めている男がいた。彼らの親分塩釜六兵衛である。塩釜六兵衛こそがこの物語のラスボスで、作中で最も手強い相手だ。彼は身体一面に細かい文字で『塩釜大明神』と入れ墨をしているため、踏み潰そうとすると「塩釜大明神を踏むのか」と喧しく言い、武士が斬ろうとすれば「塩釜大明神を斬れるものなら斬ってみろ。神様の罰が当たるぞ」と逆捩[さかね]じを喰わせる。

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スケールは小さいものの手強い敵である

塩釜大明神は伊達家の氏神様であるから、伊達家すら手を出せないという底知れぬ強敵だ。ロシアで戦争に参加したりしたわりに、最後の敵はこのショボさかよといった雰囲気はあるが、とにかく塩釜六兵衛は一種の神の化身でありこれにはシャマケンもお手上げ、塩釜六兵衛とその子分たちは大威張りである。

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こういうことは言わないほうが良さそう

ここでまたしてもシャマケンを助けたのは源八郎だ。源八郎はシャマケンとともに、松葉と枯葉を集め、何本もの枯れ木に火を付けると、簡易火葬場を作成し「お札を切ったり踏んだりしては罰があたるが、お札を焼き捨てる分には差し支えあるまい」と、塩釜六兵衛を火の中へ捨ててしまう。

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焼いたらいいだろ感

塩釜六兵衛は燃えて白骨化、子分たちはピクニック気分も吹き飛んでしまい逃げ去ってしまい影も形もない。酒を飲み悪酔いしグタグタとからんだのは確かに悪いが、燃やしてしまうのはやりすぎである。源八郎、シャマケン、師匠の和泉、そして娘の浪江の感想は次の通りだ。

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生命が軽い

豪傑と師匠たちの感想も酷いが、娘の他人事感もなかなかのもので、お前がもとで発生したトラブルなんだからもっと当事者意識を持てと説教したくなってしまう。

この後、三人で船旅しピストルで鮫を殺した後に、浪江は源八郎と結婚する。人を燃やすような男の妻になるのも意味が分からないが、まあそういう人であったのだろう。

子供も出来て家庭が落ち着くと、源八郎は北海道を漫遊し、その勢いで樺太へと乗込みロシアから日本を守るなど様々なエピソードはあるものの、その話はまた次回、とりあえずこの物語は大団円といたしましょうというわけで、続編が示唆されているが発売されなかった。『源八郎物語』がそれほど売れなかったのか、あるいは作者が続きを考えるのに飽きてしまったのか、そのあたりのことは謎である。

もうひとつの似ている点

『源八郎物語』は個人的にお気に入りの作品で、シャマケンもかなり好きなキャラクターである。それでも、これまで深く紹介することはできなかった。政治的な部分を上手く解説できる気がしなかったからだ。

もうひとつ、『源八郎物語』に限った話でもないのだが、はっきりと分からないこともあった。本作を始めとする明治娯楽物語の中には、国籍や人種、あるいは性別なんてものよりも、強さや男らしさといった格好良さと、正義を愛する心が大事だという世界観で書かれた作品が多い。その上で人間は誰だって成長できるんだという底無しの明るさがあった。この考え方がどこから来たのかが、いまいち理解できなかったのである。だからここの部分は、これまでボカして書いてきた。

ところが別のことを調べている過程で、社会の状況に応じて物語は作られていくものだなと実感することがあった。当時の若者たちは、いずれ俺も偉くなってみせると、現実はどうあれ希望を持っていた。そんな彼らの望みが反映し、明るい物語が書かれたと解釈することに無理はない。『源八郎物語』も、それに類する作品だととらえることができる。

ただ格好良さ、正義の心、そして明るさが重要視された理由は、それだけではないようにも感じられ、今はもっと普遍的な理由があるのではないかと考え始めている。私は冒頭で『源八郎物語』は、ゴールデンカムイに少し似ていると書いた。あそこに挙げたものの他に、もうひとつ、少し似ているなと感じる部分がある。

ゴールデンカムイについて『人間の醜いある部分が徹底的に漂白されているような雰囲気』『行動には善悪があるのだけれど、基本的には善人しか登場しない』と表現した。これは明治娯楽物語のある部分、強くて男らしく、そして正義の心を持っていれば、他の細かいことは関係ないといった姿勢が、時代に合せて変化したもののようにも思えなくもない。

ゴールデンカムイの主人公はアイヌの少女と出会った際に、かなり自然に会話をしている。外国人に対しても、基本的に登場人物の態度は変らない。源八郎もシャマケンと初めて会話する際に「ヤア、シャマケン珍しや、松前家に宍戸源八郎正国あるを忘れたるかッ。サア一騎打ちの勝負だ。イザ来い来たれッ」と自然に話かけ、シャマケンも「オオ、先年の仕返しだ。思い知れい」と大鉞を真っ向上段に振りかぶり勢い烈しく打ち下しており、そこには豪傑同士の闘いしかない。

私は明治娯楽物語を大量に読んでいるのだが、正直なところ物語に偏見や差別を持ち込まれていると、ノイズとなって面倒くさい。痛快な活劇には痛快な人物が必要で、出身地や属性でゴチャゴチャ細かい区別をつけるヒーローなど興醒めだとするより外ない。あくまで私が読んだ範囲内の話になってしまうが、出来の良い物語は概ね明るく、時代的な制約などの要素を取っ払い巨大な目で見てみると政治的に正しい物語に仕上がっている。

まだ確信は得てはいないものの、ある種の正しさは出来の良い冒険活劇を描くために必要なものであり、形を変えて各時代に普遍的に存在しているようにも思える。そしてそれが正しいとするならば、分りやすい事例として、ゴールデンカムイと『源八郎物語』を並べ紹介する価値はあるなと考え、今回長々と紹介したというわけである。