稲妻強盗がいた!
明治時代に稲妻強盗がいた。かなり有名な犯罪者で、現在でもフィクションの世界で活躍しているようだ。
ただし明治や大正時代の犯罪スターの中には、歌や芝居、はては映画の題材にまでなっている者もいる。彼らの中に入ると、稲妻強盗の人気も少々霞んでしまう。犯罪スターランキングを作るとすれば、せいぜい真ん中あたりの人気であろう。稲妻強盗の人気がイマイチなのは、粗雑すぎる上にドラマがないからだ。あと単純にこいつが近所にいたら嫌すぎるというわけで、早速だが稲妻強盗が近所に住んでいるとどれほど嫌なのか、紹介していくことにしよう。
稲妻強盗の少年時代
通称稲妻強盗、本名坂本慶次郎は、明治時代の強盗である。一日に四十八里走るといわれた健脚と、比較的広い範囲で強盗をしたため、稲妻強盗と呼ばれるようになった。生れは茨城県の新治郡中谷村大字大岩田六七番地、なんでそんなことまで分かるのかというと、書籍に書かれているからである。住所はもちろん、家族の名前や年齢までも書かれている。
明治の人権意識は粗雑すぎて面白い。そして『稲妻強盗』は強盗の親も強盗、兄弟も泥棒、親類縁者の女も売春婦あたりだろといった非常に雑な倫理観を基調にして書かれている。
そんなわけがないのだが、明治の奴らはすぐに決め付けたりするという特徴がある。もちろん親戚も犯罪者である。
弟とか炭焼きしているだけなのに悪口書かれているし、とにかく酷い。
明治の奴らが泥棒の子供は泥棒って決めつけちゃったんだから、弟も諦めるより仕方ない。現代の目から見ると色々と倫理的な問題はあるんだけど、とにかく泥棒の子供である稲妻強盗は、12歳で小学校を退学、その後他人の家から無断で金を持ってきて、匕首(あいくち)を購入する。後に報知新聞探偵部の調査によって、匕首というのは誤認で12センチの西洋ナイフだったという事実が判明するも、実にどうでもいい情報であるから置いておくとして、とにかく刃物で脅して友達から金を奪うことにより、他人の家に忍び込むことなく金をゲットできるようになる。
ところが好事魔多しで、少年時代の稲妻強盗があまりに暴れすぎるため、父親が他家へと奉公させる。しかし稲妻強盗は、腹を立てると金を盗んだり、放火するという性質を持っている。燃えてる家を見て奇麗だ奇麗だと喜ぶような感性の持主であり、かなり強盗向けの人材だといえよう。
これではどんな人格者でも、雇ってはいられない。というわけで稲妻強盗は村に戻り、一応は百姓として働き始めるのだが、趣味は歩いている人の脛を棒で打ん殴り、苦しむ様を眺めることである。
稲妻強盗が主催する博打もすごい。稲妻強盗が人を殺すか殺さないかが賭の対象である。
まずこの時代、博打は違法であった。もちろん殺人も違法、ダブルで違法なわけだが、そもそも殺すか殺さないかを決めるのは稲妻強盗なのだから、賭けとして成立するのかという問題もあるし、全体的に狂っている様に思える。こんな奴が近所に住んでいたら実に最悪である。
村のイベント時にも稲妻強盗はやってきて、人体に火を投げ込んだり水をかけたりして村人が苦しむ様を見て喜ぶ。
当然ながら村中の嫌われものなのだが、気に喰わないことがあれば刃物を振り回し殺しにやってくるため、誰も文句が言えない。刃物を取り上げてしまえば良さそうなものの、昔の人は素朴である。刃物を奪うのは犯罪であるため、ほぼ犯罪者の稲妻強盗から刃物を奪うことができないという難易度の高い状況が発生していた。
そうこうするうちに稲妻強盗は17歳となり、祭文語り(三味線や法螺貝にあわせ、歌祭文を歌い銭を乞う遊芸人)となって半年あまり、千葉県、群馬県を歩きまわっていた。
稲妻強盗が稲妻強盗になる
祭文語りとしての半年間で、稲妻強盗は博打を覚えてしまった。村に帰ると博徒と行動を共にするようになる。丁よ半よと博打をし、負けたら村内の家に無断で入り金を持ってくる。その金でまた博打をする。なんだかんだで逮捕され、刑期を終えて出てくると、また博打、負けると盗むといったことを繰り返す。盗めば金が手に入るわけだから、博打なんかしなくてもいいような気がしないでもない。
稲妻強盗が気軽に泥棒をしたり人を殴ったり刺したりすることについて、疑問を持つ人がいるかもしれない。
実は稲妻強盗にはある目算があった。三年後には国会が開かれる。そうすると恩赦(特別な恩典により司法手続なしに刑罰権の全部、あるいは一部を消減させること)で無罪になるだろう……と考えていたのである。
どうせ恩赦で無罪だからと、正々堂々盗んでいく人物が近所で生活していればかなり迷惑であることは想像に難くない。事実、稲妻強盗の嫌われっぷりは相当なものである。
畑に地しばり(キク科の多年草)、田に蛭藻(ヒルムシロ、水草。葉は緑色、裏は飴色)、岩田(稲妻強盗の住んでいる地域)に慶二(稲妻強盗)が無けりゃ好い
という子守唄が故郷でヒットしたくらいで、物は盗む、刃物を振り回す、人を火や水で苦しめるといった悪行に、流石の村人たちも我慢の限界である。人間の屑を逮捕してもらおうという気運が盛り上がり、犯行の証拠集めをする人間も現われる。怒った稲妻強盗は証拠を集めの首謀者と、ついでに前からムカついてた奴二名を刺して村から逃亡、その後なんだかんだで逮捕され、北海道送りとなる。村の人々は良かった良かったと安心していのだが、稲妻強盗が無駄なバイタリティとコミュニケーション能力を発揮、脱獄で超有名な五寸釘の寅吉と友達になり脱獄する。一度は失敗するも脱獄ノウハウをゲットした稲妻強盗は再び脱獄にチャレンジ、無事に逃亡し故郷へと舞い戻ってくる。
ただでさえ稲妻強盗は、刃物ですぐに人を刺せるという能力を持っていた。祭文読みとしての活動で、故郷周辺の地理や人間関係にも無駄に詳しい。さらに脱走の過程でサバイバル術まで身に付けてしまい、ここに完全体の稲妻強盗が完成してしまうのであった。
稲妻強盗の犯罪の特徴
ここから脱獄し完全体になってしまった稲妻強盗の犯罪が始まるわけであるが、まずは稲妻強盗による『田中村の殺人』を紹介しよう。明治三一年の七月一九日の午前一時頃、千葉県の醤油屋に稲妻強盗が侵入した。まずは手近にあった一升枡で、龕灯を作る。
広辞苑第五版
今と比べると明治の夜はとても暗い。先に光を確保しておくことで、強盗を有利に進めることができる。侵入した家にあるもので、手早く龕灯を作るというのは、稲妻強盗の持つ特技のひとつである。主人の寝所へ行くと、蚊帳の四隅を切って落す。金を出せと主人を脅すと、逃げる素振りを見せたため、左の肋骨のあたりを刃物で刺して殺害してしまう。女房を脅して金を回収、握り飯を6個作らせると風呂敷に包む。主人の死骸を指差し「この病人は突き傷で重いから、今夜中に手当をしてやれ。俺も都合が良くなったらどうでもしてやるから」と云い捨て立ち去った。
やってることは完璧に強盗であり、金を盗んだり人を殺したりする最低最悪の人間ではあるものの、死骸を指差し「この病人は突き傷で重いから、今夜中に手当をしてやれ」という発言はなんとなく面白い。稲妻強盗はこの類の発言を多くしており、どうも少々刺したくらいで人は死なないと考えていた節がある。
この他の特徴としては、稲妻強盗は強盗をした家で、かなりの量の飯を食うというものがある。
場合によっては犯行前に飯を食う。これは北海道で脱獄した際に、なにも食わずに3日逃亡した経験から来ている習慣だ。稲妻強盗は、空腹の恐しさを知っていたのである。確かに飯を食えば強盗の成功率は下がってしまうことだろう。それでも飯を食っておけば、ある程度の時間は逃亡し続けることができるというわけだ。
もうひとつの稲妻強盗の魅力としては、犯行先での会話がある。同年八月十日午前二時頃に、稲妻強盗はとある荒物屋に押入った。いつものように龕灯を作ると、二名の小僧さんを叩き起こす。金のある場所に案内しろと脅してはみたが、残念ながら主人は留守である。小僧では金がどこにあるのか分からない。当日の売上金だけ懐に入れ立ち去ろうとしたところ、もう一人の小僧が寝ながら稲妻小僧の刃物をじっと見ている。稲妻強盗は「この小僧は度胸のいいやつだ。俺の弟子になるかハハハ」と打ち笑い、「俺が身上を持ったら礼に来るよ」とふざけながら立ち去ったという。またある時には、身体が大きく度胸のいい主人が素直に金を出すと、稲妻強盗は上機嫌となり、「お前は博徒みたいだ。博打は打つのか? 人を殺したことはあるのか? 強盗くらいはしそうだな」などと会話をしている。どうも稲妻強盗は、冗談や会話が好きだったらしい。この辺りの人間味に魅かれてしまう人もいたことだろう。
稲妻強盗の犯罪の特徴としては、事前の調査を怠らないというものがある。家族構成や住人の特徴などを調査した後に、仕事にかかる。例えば撃剣が得意な主人がいる家で仕事をした時には、まず主人を縛り上げ手首を切り落している。家の間取りなどもだいたい把握しており、犯行前には逃げ場所の確保などもしている。今となってはなんでもないようなことではあるが、明治の犯罪者としてはかなり慎重であったようだ。
これらの特徴を眺めていくと、なかなか魅力的な人物に思えてくる。素早く龕灯を作るという特殊能力も面白い。一日に四十八里走る健脚も合わせて考えると、明治の物語の主人公としてはなかなか出来が良い。主人公もなにも実在する犯罪者じゃないかと思うかもしれない。しかし当時は明治で娯楽の少ない時代である。特徴のある犯罪者は、ある種のヒーロー扱いされていた。稲妻強盗も主人公の資格十分といったところである。
稲妻強盗の善行
悪逆非道の稲妻強盗だが、『稲妻強盗』上下巻のうち3回だけ良いことをしている。
一回は最初に逮捕された時のことである。釈放される家に帰る途中、囚人服を着た父親が道路工事している姿を目にする。いったいどうしたことかと、近所の世話役に話を聞くと、父親は博打で捕まったのだという。これを聞いた稲妻強盗は、懐に入っていた一円で菓子を買いそっと父親に渡す(善行終り)と、その足で小松山という土地に潜伏、5日後には金十円を強奪したという。
もうひとつは、千葉の旅館に宿泊していた時のことである。酌婦(酌のほか、状況によっては売春もする職業)を相手に酒を飲みながら、身の上話を聞いていると、どうやら昔世話になった博徒の姪っ子であるらしい。詳しく話を聞いた稲妻強盗は、5円で身請けをしてあげるとともに、6円の小遣いを渡し、博徒のもとへと送り届けてやった(善行終り)が、その翌日には子供の腿にナイフを突き立てて引き摺り回している。
最後の善行は、荒物屋で仕事をしたついでに、米屋さんでも仕事をしようとした時のことである。米屋で金を奪おうとすると、主人が男泣きに泣く。この金を奪われてしまっては、明日から仕事ができない。それならと稲妻強盗は、荒物屋で奪った金を米屋に施す。稲妻強盗は侵入時に戸を外していたのだが、米屋の主人が寒いので戸を閉めてくださいと頼むと、戸を修理していずこかへと逃亡した。
以上が稲妻強盗の善行で、たまには稲妻強盗も良いことをするという事例である。
稲妻強盗は強盗で、人も殺せば女に乱暴もする。しかし善行をすれば特殊能力も持っている。まだまだ物語の技法が乏しく、主人公という存在が曖昧だった明治においては、なかなか魅力的なキャラクターであった。この辺りが、稲妻強盗の人気の理由なのだろう。
稲妻強盗の悪口を言うと稲妻強盗が殺しに来る事例
いくら人気があり、たまには良い事をするとはいえ、実際に稲妻強盗が来ると嫌すぎる。稲妻強盗はとにかく恐い。例えば家で稲妻強盗について話をしているとしよう。たまには悪口も出ることだろう。
そうするといきなり抜き身の刃物を持った稲妻強盗が殺しにやってくる。
こうなれば最後、もう逃げるしかない。
それでも稲妻強盗は追い掛けてくるわけで、稲妻強盗の悪口は避けたほうがいい。
稲妻強盗の頼み方がおかしい
稲妻強盗は強盗だが、やっぱり人に頼み事をすることもある。しかしその頼み方がおかしい。
なぜ頼んでいるのにコラと怒るのか? しかしこれはまだ礼儀正しいほうで、酷いとこういう感じである。
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鉄砲で反撃しても稲妻強盗がまたやってくる
稲妻強盗なんか所詮刃物を振り回してるだけだし、鉄砲で撃ったら死ぬだろと思うかもしれない。しかしその考えも甘い。
かって安食町で、五連発の鉄砲を駆使して稲妻強盗を撃退した男がいた。
よかったよかったと安心をしていたのだが、復讐に燃えてしまった稲妻強盗は無駄な辛抱強さを発揮、押入った家で鉄砲を探しまくり90日間かけてとうとう七連発の鉄砲をゲットする。
大喜びで稲妻強盗は、再び五連発の鉄砲を持つ家へと乱入する。
もちろん五連発では七連発で勝つことはできない。
最新式の鉄砲をゲットした稲妻強盗は、お婆さんにも迷惑をかけている。
ただまぁこの後、色々あって稲妻強盗は逮捕、明治三三年二月に絞首刑に処されている。めでたしめでたしといったところであろう。
『稲妻強盗』とは犯罪実録の傑作である
ここまで稲妻強盗を紹介してきたが、少しだけ明治文化の情報も掲載しておきたい。ひとつは書籍『稲妻強盗』がなんなのかということについて、もうひとつは犯罪実録というジャンルについてである。
書籍『稲妻強盗』は、犯罪実録という娯楽物語に属する作品である。犯罪実録とは、犯罪者の履歴や行動の記録を元した娯楽作品だ。このジャンルは特に確立されていたわけでもなく、呼び名も統一されていない。そのため犯罪小説や活劇講談、実話講談など、数々の呼び名があるのだが、ここでは便宜的に犯罪実録と統一しておく。
犯罪実録はかなり幅の広いジャンルで、新聞記事を元に書かれた比較的正確なものもあれば、女海賊が大暴れする完全なフィクションまで存在している。今回紹介した『●稲妻強盗 報知新聞探偵実話 前後編 (三新堂 明32.5 明治三二(一八九八)年)』は、正統派の犯罪実録の傑作のひとつとして上げることができる。当時の犯罪記事人気はものすごく、報知新聞は探偵部を作ったほどである。
報知新聞が探偵部を新設したのが明治の三十年、二年越しの探偵活動によって作製された書籍だということになる。
本記事とはあまり関係ない話になってしまうが、犯罪実録の不幸は探偵・推理小説の一部という扱いになっていることである。犯罪を扱っているから同じだろといった信じ難いほどの雑な区分けで、全く意味が分からない。例えるならば「ジョジョ」と「スーパー戦隊」は、共にヒーローが登場するから同じジャンルとして扱うようなもので、正しい価値判断ができるとは思えない。探偵・推理小説と犯罪実録は全く異質の存在であり、評価の基準は違うという点だけはここに書いておきたい。
稲妻強盗の構造について
『稲妻強盗』の書籍の構造についても解説しておく必要がある。
この本では前半で稲妻強盗の少年時代の悪行や、青年期の強盗修業時代が描かれている。この後、稲妻強盗の犯罪の履歴が延々と紹介され続ける。新聞記事を少し詳しくしたものの羅列といってもいいだろう。
現代人からすると少し違和感のある構成だが、当時は今よりもずっと新聞が魅力を持っていた。例えばひとつの事件を、ある新聞が連日に渡り報道する。事件に魅力があれば、新聞の売上に直結する。今では考えられないほどに、新聞や事件の記事は魅力のあるものであった。ある事件の記事をまとめたものが読みくなるのも、当然といえば当然であろう。そもそも犯罪実録が誕生した理由のひとつに、もっと詳しく長い新聞記事を読みたいという読者の欲求への返答というものがあった。新聞記事の羅列が以上な魅力を持つ時代が存在していたのである。
『稲妻強盗』の構造は、読者の要望に素直に応えたものであり、まさに正調犯罪実録といったところだ。ところがこの様な形式の犯罪実録作品はかなり数が少ない。これは新聞の記事を収集し、丁寧に編集するよりも、適当に犯罪者を主人公にしたフィクションを書いちゃったほうが面倒くさくないという事情がある。こういった本は批評にさらされることもなく、読者も読み捨てるような存在であり、面白きゃそれで十分といった雰囲気があった。
『稲妻強盗』のような作品が洗練されていれば、日本の犯罪ノンフィクションはさらに充実していた可能性がある。こう考えると、少々残念ではある。その一方で犯罪者を主人公にしたフィクションが書かれることにより、日本の娯楽作品は大きな進歩を遂げてもいる。稲妻強盗に関するものだと、彼は下記のような特徴を持っていた。
- 健脚である
- 事前調査をする
- 高速で龕灯を作れる
- 空腹の恐しさを知っている
『高速で龕灯を作れる』や『空腹の恐しさを知っている』というのは、江戸時代までの主人公たちが持っていた、格闘や武道、あるいは身体能力や戦術、はたまた妖術などといった特技とは性質が全く異なる。稲妻強盗はあくまで普通の人間であり、現実的な能力で様々な苦難を乗り越えている。娯楽物語の中にこの様な特殊技能を持ち込んだのは、恐らく犯罪実録が最初であり、物語に対する偉大な貢献だと言えようというわけで、こんな無名のつまらない作品であったとしても、我々の文化に影響を与えているんだねぇとでも思ってもらえれば幸いです。