私は謎の話や出来事が好きなんだけど、そもそも謎の話とはなにかっていうと、どう考えてもこちらが先に到着するはずなのに、あっちが先に着いていたとか、絶対になにがあってもこちらの選択肢を普通の人間ならとるはずなのに、なぜ絶対に間違えるほうを選んだのかといったことや、なんでそれを持ってるの? とかそういう感じである。
謎の話は謎が解明しないことが多く、謎が残ることが多いものの、たまに謎が解明されこともあり、そういう現象の全てが良い。
謎の話で今のところ私が最も好きなのは、夏目漱石『硝子戸の中』に登場する『栗饅頭』の謎だ。漱石の家に旧友がやってきて、世間話をした後に二人で出掛けることになった。電車の中で起きたのが次の謎である。
電車の中で釣革にぶら下りながら、隠し(ポケット)からハンケチに包んだものを出して私に見せた。私は「なんだ」と訊いた。彼は「栗饅頭だ」と答えた。栗饅頭はさっき彼が私の宅にいた時に出した菓子であった。彼がいつの間に、それをハンケチに包んだろうかと考えた時、私はちょっと驚かされた。
「あの栗饅頭を取って来たのか」
「そうかも知れない」
彼は私の驚いた様子を馬鹿にするような調子でこう云ったなり、そのハンケチの包をまた隠しに収めてしまった。
『硝子戸の中 夏目漱石』
家で出した栗饅頭をハンカチに包みポケットに入れた様子がなかったのに、なぜか栗饅頭を持っている。ショボいながらも不思議な謎で私の好きな感じだ。これだけでも充分に良い謎なのだが、さらに良いところは謎が解明されている点である。後に友人本人が、謎について次のように解説している。
旧藩主の邸でお茶菓子に栗饅頭が出たのですが、私はそれをハンケチに包んだま、持つて夏目の家へ寄ると、そこでも栗慢頭が出たのですね。それから夏目と二人で家を出て電車に乗ると、『硝子戸の中』にも書いてあるやうに、夏目が私の持つてゐるハンケチの包みに目を附けて、「何だ」と聞くから「栗鰻頭」だと答へると、「何時の間にあの栗鰻頭を持つて来たのか」と驚いてました。私も別に旧藩主の邸から貰つて来たとは云わなかつたから、夏目君はとうとうそれとは知らずに死んだわけです。
『予備門時代の漱石 太田達人』
解ってみると「なんだそれだけか」って感想なのだが、なんだかよく分からない気持になるのが良い。漱石が謎の真相を知らずに死んでしまったのも良くて、別に知ったところで「なるほど」くらいにしか思わなかっただろうし、知らないまま死んだところで別に悔いになるようなことでもない。なんとも微妙な謎の気持になり、そういうのを含めて良い謎の話だと思う。