山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

国立国会図書館デジタルコレクションが便利すぎて知能が無理になり頭が狂いそうになったのでなんとかした

国立国会図書館デジタルコレクションを使い始めてもう15年になる。昔は牧歌的な時期もあり、面白そうなタイトルを選び、チビチビ楽しみながら読むといった感じであった。ところが国立国会図書館デジタルコレクションが際限なく良くなっていくため、どんどん読み方が変っていった。

今の国立国会図書館デジタルコレクションは便利すぎるため、アクセスする資料の数がものすごいことになってきている。ここ数日のアクセスした資料を抽出してみたら、平均すると1日500あたりで、もう人間の能力では処理できない。

どう読んでいるのかというと、先にブラウザのタブで必要なものが掲載されていそうな資料を10-20程度開いておいて読み進め、必要ならページをめくるとデータを読み込む時間が発生するので、別のタブに移動してまた読むみたいなのを繰り返している。この読み方だと基本的にタイトルや著者といった情報は頭に置かない。データの断片があるだけっていう感じである。その断片の中から必要なデータをメモして記憶するみたいなスタイルなんだけど、ちょっと困ったことになっている。

まずデータを必要だと判断するのは自分で、不必要だと判断するのも自分である。ところがデータを超高速で読み続けているため、数時間単位で情報の体系というか収納すべきものが広がっていく。そうすると判断の基準も変化してきて、一日から数時間前に不要だと判断したデータが必要なデータになるといった状況が発生する。基本的に私が調べている対象は、明治の娯楽文化と生活、そしてイベントである。もともと明治の娯楽文化からスタートし、長い時間をかけて生活、そしてイベントというように広がっていったんだけど、今は便利すぎるため興味と対象が拡張する速度が上りまくっていて、頭が追い付かない感じになっている。

今も「村長から東京の繁盛について話を聞いていたが、実際に来ると話以上のものだった」的な記述と、「私も講義録で勉強した」というデータが必要になっているんだけど、なにに書かれていたのか分からない。講義録がどうのこうのは30分くらいで特定、村長のほうはまだ見付かっていない。30分もあればもっと資料が読めるのに意味ない作業が発生しいる状態で、イライラしてきて頭がおかしくなりそうになり全く良いことがない。

考えてみると紙資料の場合、一日に扱う数はものすごく多くてもせいぜい200冊程度、一冊に使える時間はせいぜい1分程度で、読むというよりめくる感じになるはずだ。ところがデジタルライブラリーの場合は物理的な制約がなくなるため、30秒で1ページくらいは読めてしまう。紙の時代とは全く異なる感覚だ。こういうことをすでに体験している人類が大量にいたら知見が得られるんだろうけど、今のところそういう人は少なそうなので他人の意見も参考にならない。

物事を間違えたやり方で処理し続けていると、突発的に良いものが発生することもあるけれど、基本的にはあまり良い結果にならない。私の失敗事例はこういう感じ。

なにかを始める場合に無駄になる時間を用意しておくと効率が良い - 山下泰平の趣味の方法

だから頭がおかしくなりそうな状況に対し、なんらかの方法で対処しなくてはならない。今これを書いてるのも考えをまとめるためなんだけど、徐々に考えがまとまってきた。

最初は日付が変る瞬間にブラウザの履歴から国立国会図書館デジタルコレクション関連のアクセスデータを取得、自動で保存していくみたいなことを考えていたんだけど、これだと情報を特定するのは無理な気がする。結局のところ問題なのはメモを取る際にある心理的な抵抗があることが問題であった。基本的に私はこういう感じでメモをとっている。

南蛮流誉柔術橋本一夫斎 伊東潮花 講演[他] 朗月堂 P96 明治三三(一九〇〇)年 1900

2022-06-27 15:29:49:唯今では学校に科目を置いて習字は習字、読書は読書、画学は画学、算術は算術と受け持ちの先生があって稽古をしてやり、又成績証というものをやる。それだから自分の倅の成績が分かります。コノ子は書をよくするから書家になるだろう。コレは画学がいいから画工になるだろう。アノ子は読書がいいから学者になる。算術がいいから商人になる。或いは測量師にするとか、又この子は体操がいいから軽業師にする……其はどうだか……昔は手習いに来て

書誌データと記録した時間は自動で記入(シェルスクリプトで作ってる)、メモだけは手書きという感じである。これまでこういったメモは、ダウンロードした書誌データを読みながら取っていた。ところが国立国会図書館デジタルコレクションに大量の便利機能が付いたので、ブラウザで読む頻度が増えてきた。ブラウザで読む場合には、こういう感じでメモをしていた。

人生の迷路に立ちて 関露香 編 大鐙閣 大正六(一九一七)年 1917 P175

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/959046/

2022-07-02 19:29:08:p054詐欺師の田中。岡本米蔵?

基本的にはメモの内容は短かい。そして URL が加わる。私にとって読書メモは重要なもので、検索してデータを抽出したもするけれど、普通に読んだりもするため、どうでもよさそうだけど一応はメモしておくか的なものが大量に追記されていくことに対して抵抗がある。URLもメモを読んでいる人間にとっては意味のないノイズで、読んでる時には目にしたくない。

というわけでダウンロードした資料用のメモと、ブラウザで読んでる時用のメモを分割することにした。1mmでも気になったら記録するといった方式である。その上で情報量も増やした。

醒めよ国民 増島六一郎 著 教化的国家社 昭和二(一九二七)年 1927 P142

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1269259?keyword=%E4%BB%98%E3%81%91%E5%B1%8A%E3%81%91&page=52

標題 / (0003.jp2)目次 / (0007.jp2)世界の日本人たれ / 1 (0008.jp2)バハイズムと其特徴 / 23 (0019.jp2)日本人嘘つき論 / 48 (0032.jp2)正求堂文庫と古き想ひ出 / 64 (0040.jp2)今日の辯護士 / 75 (0045.jp2)日本人の乞食根性 / 98 (0057.jp2)漢字排斥論と羅馬字論者 / 120 (0068.jp2)人を造る敎育と古典精神 / 159 (0087.jp2)多數者の專制 / 173 (0094.jp2)吁、日本の外交官 / 189 (0102.jp2)藪醫者論 / 211 (0113.jp2)米國から日本を顧る / 235 (0125.jp2)

2022-07-05 16:02:35:怒ってる

目次が加わると思い出しやすくなる可能性が高いといった考え方だ。これに加え表示されているページもスクリーンショットを取っている。

メモを眺めてスクリーンショットの中から必要な情報を探すといった感じで、あとは1mmでも気になったらメモ用のスクリプトを実効する習慣を付ければ完成である。

ここ数年はデジタルライブラリーが進化すると、未知の経験がやってくるといった日々を過していて、最近は別に好きでもなんでもない「苦学」関連の情報がバンバン出てくるので困った状態であった。もう「苦学」のことは知りたくないが、面白い情報が出てくるので調べるのが止めなれない……みたいなことになっていてマジに意味が分からなかった。

ようやく一段落つきそうなんだけど、調べれば調べるほど面白いものが書けるのかっていうと微妙なところもある。加えて一定の長さの文章に対して使用する資料が過剰になるとどうなるのかだとか、まだ未知数なところも多い。私個人の情報処理能力はたいしたことないけど、デジタル化によって強制的に情報処理能力が上りすぎてる状態なのかもしれないが、面白すぎてこういうことをするのを止めることはできないので今後もなんとか対処していきたい。