山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

子供に説明するのは難しい

実家で妹の子供に質問されたんだけど、説明するのが難しかった。

妹の子供とは何回か会ったことはあったものの、これまでは普通に嫌われていて、私が刺身を食うと泣き叫ぶといった雰囲気であった。ところがなぜか今回はものすごい勢いで遊ばされて謎だった。

始めのうちは子供が100均のブロックで作った武器のようなもので殴りかかる真似をするたびに、私がウワーって叫ぶといった遊びをしていたんだけど、疲れるので体力がいらない遊びを考案することにした。机の上にブロック2つくらい重ねショボいものを作り、指で弾いて壊わすという遊びであった。

当初は全然面白くなかったんだけどブロック2つくらい重ねたショボいものがショボすぎで、酒が入っていたこともあるんだろうが、ショボいものを弾いて壊す行為がだんだんと面白くなってきた。結果的に子供がショボいものを壊わすと意味不明なオッさんが「しょうもないッ!」と叫び大笑いする仕組みが完成して、子供からするとショボいものを壊すとオッさんが「しょうもないッ!」と叫び大笑いするピタゴラスイッチの劣化版で遊ぶみたいな感じになり相互利益が発生し疲れずに遊べて良かったのだが、問題は「しょうもないッ!」であった。

30回くらい「しょうもないッ!」って言い続けていたら子供が急に真顔で「しょうもないってなに?」って質問してきた。これをどう説明したらいいのか分かなかった。

しょうもないとは仕様がないが転じたもので、始末におえない、馬鹿馬鹿しい、くだらないなくらいの意味合いで使われる。ところが「しょうもない」という発言には別の意味が付帯することがあって、今回の「しょうもない」はショボい構成のブロックを弾いて壊し、再びショボい構成のブロックを再現して弾く行為に意味はないのだが、あえてそれを繰り返す行為を「馬鹿馬鹿しい」と指摘しているものである。それに加えて「馬鹿馬鹿しい」行為をなんら改善することなしに繰り返すことで、面白みが重なっていく様をも含め「しょうもない」としているのだが、これを分かりやすく子供に解説できなかった。

今は知らないけどお笑い番組なんかで、普通の大人なら絶対にやらない行為を大人がすることで馬鹿馬鹿しさが発生し、「しょうもない」と突っ込みを入れるというようなのがあったと思うんだけど、あの「しょうもない」が今回の「しょうもない」に近い。そういう番組をサンプルとして観せることができればいいのだが……などと考えているうちに子供の興味がスマホで写真を撮ることに写って助かったんだけど、撮影された私の写真を見るとかなりハゲでいた。

私は自分の顔に興味がないので、顔を洗う時くらいしか鏡をみない。なので自分がどうなってるのかかあやふやなのだが、、写真の私はかなり髪の毛が減っていて面白い様子だったんで「ハゲだッ!」と叫んで大笑いしたら子供も真似して「ハゲだッ!」と叫んで笑ったんだけど、最近は他人の外見を面白がることは推奨されていない。ハゲで笑うようになるのはヤバい気もするのだが、自分の写真が面白いのは確実な事実であり、この面白さが幻想なら宇宙も存在するかどうか怪しくなってくる。だから面白がるのは問題ないんだけど、ちょっと注意しておいたほうがいいのかなって思ったものの、やっぱりなにをどう注意したらいいのかよく分からなかった。

私が私の写真を見て「ハゲだッ!」っていって笑ったのは、自分の外見が面白いからなのだが、別に自虐というわけではない。自分の外見に興味がない人間が、客観的に外見を見ると思いの外にハゲてた驚きと、撮影した角度などの要因から純粋に見た目として面白くなっていたので笑ったのだが、これがもし私自身ではなく他者の写真であったとしたら、「ハゲ」で笑うのは好ましくないといった意味合いのことを、どう解説したらいいのかなと考えていたら、子供は再びブロック振り回して遊んでいたので真っ直ぐに育って欲しいなと思ったわけだが、子供にどう説明してよいのかは今もよく分からないままである。