山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

どうしても読みたい本を読むために10万円ほど使った

基本的に国立国会図書館デジタルコレクションを活用し趣味をこなしていた。しかし趣味の活動が成長し、国立国会図書館デジタルコレクションだけではまかなえないケースが出てきている。今回もそれで、どうしても読みたい本を読むために10万円ほど使った。私の人生では、最もお金のかかった読書だった。

読みたかったのは明治三五年に書かれた本で、数年に渡って古書を購入しようとしたが出品されない。当たり前だがないものは買えない。三つの大学図書館に収蔵されていることは知ってはいたが、私は大学生でもなければ研究者でもないので読むのが難しい。いくつかの手段はあるが、面倒くさいのである。

そもそもの話になるが、未読の本なので本当に読みたい本なのか読まないと分からない。タイトルと著者、出版年や出版社、そして広告文からおおよその内容は分かっているものの詳細は不明である。おそらく読みたい本だろうといった曖昧さしかない。貧民街関連の書籍でこの作品が取り上げられていたが、ちょっと私の目的とは異なる扱い方であったため、やはりよく分からない。私は明治三五年から四〇年あたりの本ならば相当の数を読んでいる。だからだいたいのあたりをつけることはできるのだが、古い本は読まなければ分からない。ルポルタージュとして広告されている書籍が、実際に読むと書き飛ばした小説なんてケースがままあるのである。

どうしたものかと考えていたのだが、趣味の活動がたまたまお金になった。

こんなことを調べてまとめようとしているのは私くらいかなといった感覚もあり、仕方なしに大学の図書館で読むことにした。移動にだいたい三万円、宿泊費が一万五千円、図書館を利用するために寄付してサポーターってのになる必要があってそれが三万円、七万五千円もかかるのかと考えていたのが昨年のことだったのだが、コロナ禍のゴタゴタで一年がうやむやになり私はサポーターではなくなってしまった。どうにも先が見通せないのである。電車の切符やホテルの予約をした後で、図書館が閉鎖なんてことになると、相当に面倒くさい。

今年もまだまだコロナウイルスの影響があり多少の迷いもあったが、どうしても読みたくてたまらないので再び三万円を払ってサポーターとなった。その後で思い出したのだが、私はオリンピックが開催されるのを失念していた。オリンピックの時期は面倒くさいので避けたほうがいいなと考えるうちに、あれよあれよと十二月、オミクロン株がヤバそうで、もう今のタイミングしかないという時期に大学まで足を運び、ようやく読むことができた。調査を終えた日の夜に、都内でオミクロン株の陽性者が出たと報道され、ギリギリのタイミングであったのかなと思った。コロナに関して私は慎重すぎるほど慎重なので、オミクロン株の陽性者が出ていれば今年も見送りといった判断をしたような気がする。

本の内容はというと、私が推測していた通りの内容で、当たりすぎるくらいに当たっていた。残念ながら十ページほど抜けがあったが、類似の本を多く読んでいるため内容はだいたい想像できるから問題ない。それとは別に二冊ほど読めなかった資料が収蔵されていた。たまたま気付いた形で、かなり幸運だった。

調べている際に、いくつか見落していたことに気付くことができ、今この文章を書いている最中に、ああそうかと思うようなこともあった。予想していた以上の成果があった。

ここから少し変な話になる。科学者や学者が、晩年に心霊現象や超常現象などのオカルトに強く惹かれるといったことがたまにある。その派生として小説家が宗教家などをテーマの作品を手掛けるようになるといったパターンもある。それらの現象を不思議に思っていたのだが、最近少し解ってきた。趣味とはいえ、それなりにある分野の調査を続けていると、どう考えても自分の能力で解決するのは無理だといった問題が、すんなり分かってしまうことがたまにある。一定の法則のようなものも自分の中で構築され、考えるまでもなく解ってしまうこともある。こういうことは霊的なことでもなんでもなく、大量の資料を読んだ結果でしかない。それでも不思議な現象として解釈できないこともない。

要するに続けていたからできるようになっただけの話なのだが、そこに至るまでの期間は長くかかるため、当たり前だが老化をしている。老化をすると知性が衰えるため、不思議に思える現象が起きると、霊的なものだと誤認してしまうような気がする。先にも書いたように私の場合はデジタル資料を中心に調査してる。紙資料より圧倒的に高速に調査することができるため、ギリギリ誤認しない程度の知性が残っている状態で、そういう状況に至ることができたのだと思う。

これは幸運であったような気がしないでもないが、不思議なことだと誤認して、全く別の方向に突っ走るのも面白かったのではないかと思わなくもない。

こんなことを考えるのも自分の知能の衰えを感じることがあるからで、頭がどんどん悪くなってきている。経験や知識は増えているので、衰えた部分をカバーするように考えることもできてはいるけど、やってることはさっさとまとめていったほうが仕事の品質は高くできるはずだ。どっちにしろ来年は調べてきたことをまとめてみたいなと考えている。