山下泰平の趣味の方法

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明治・大正の人々によるキリスト教に対する誤解を紹介する

明治や大正の人々の中には、完璧に間違っている目的でキリスト教に入信しようとする者たちがいた。

キリスト教に限らず情報量が少ないと誤解や勘違いをしてしまうものだから、仕方ないといえば仕方ないわけだが、それにしてもこれはちょっとダメだろといった勘違いをいくつか列挙しておく。

キリスト教徒になると金が儲かる

キリスト教徒になると金が儲かる。これはかなりメジャーな誤解である。そしてキリスト教徒になると儲かるというデマには一種の根拠があった。

当時、キリスト教を信仰している人は、比較的裕福で教養があることが多かった。そのコミュニティーに属することで利を得えようというのが「キリスト教徒になると金が儲かる」であった。

さらに牧師の中には、貧乏ではあるが教育を受けたい若者たちを支援しようとする者もいた。仕事の斡旋や海外移住のサポートなども行っており、実際にキリスト教徒になりお金を儲けた若者たちも多かった。

もうひとつ、当時の日本ではキリスト教関連の団体が、禁酒、禁煙の推奨をしていた。その効能の挙げられるのが、無駄遣いが減るというものであった。

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禁酒の勧め 山室軍平 著 救世軍本営 1912

酒や煙草に使うはずの金を貯金できるから、キリスト教は儲かるといったことを考える人もいたはずだ。もっと直接的なものとしては、キリスト教の団体による貧困者への支援もあった。

このように満足に教育を受けることができない当時の下層社会の人々が、誤解してしまいそうな要素がキリスト教にはいくつもあり「キリスト教徒になると金が儲かる」というのは納得できなくもない誤解であった。

聖書を読むと度胸がついて脱獄できる

聖書を読むと度胸がついて脱獄できる。正気を疑うレベルの曲解だが、本当にそう思った奴がいるんだから仕方がない。

明治十六年のことである。鍛冶橋監獄に十九歳の若き牢名主がいた。雇い主を絞殺し金を奪い、証拠隠滅のため放火したという男である。その罪の重さ故に一目置かれ、死刑員が集る部屋の牢名主として古参新米の一同から尊敬を受けていた。

ある日のこと、部屋に二十二歳の若者が新米として入ってきた。歳が近いこともあって牢名主は一種の同情心を起し「お前はどんな悪事をしたのだ」と問うと、若者が「私はなにもしておりません」と応えたため怒り心頭、首根っこを抑えつけ殴りつけたがなお青年は「私はかえって良いことをしたためにここに来たのです」と言う。完全にブチ切れた牢名主が古参新米の一同とともに若者を袋叩きにすると、半死半生になった若者は「私はここで殺されましても天へ参りますが、ここに居る方々は神を信ぜぬ罪人であります。 どうかこの方々の罪をゆるして下さい……」と祈っているではないか。

その度胸に驚いた牢名主は、青年を助け起し「おい貴様、どうすれば貴様のような心になれるのか」と質問する。牢名主のいう心は度胸のことなのだが、若者は信仰心ととらえたのであろう「耶蘇教の聖書をお読みなされ」と答えた。やがて騒ぎを聞きつけ駆付けた監守がやってきて、青年を他の監房へと引き連れていってしまったため、詳しい話は聞けず仕舞だった。後に青年は路上でキリスト教の布教をしていたため捕まり、手違いで重罪犯の監房に入れられたことが分ると、あらためて牢名主は彼の落ち着いた振る舞いを思い返し、その度胸にますます感心してしまう。

実はこの牢名主、脱獄を企てていたのだが、殺されかけているのに泰然自若としていた若者の胆力と、キリスト教の魔法……この時点で甚だしい誤解をしているのだが……を手に入れれば、破獄などやすやすと出来るだろうと思い込んでしまった。若者のアドバイスに従い早々に聖書を取り寄せ、同房の桜井というものに読ませてみると驚きである。『罪を悔い改めて正しき道を歩め』などとと書かれている。そして彼が出した結論は次のようなものであった。

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恩寵の生涯 好地由太郎 著 好地由太郎 1917

がっかりした牢名主は聖書を読むのを止めてしまうのだが、後に本当に悔い改め立派な牧師になってしまうのだから世の中分からない。

キリスト教徒になると無罪になる

「聖書を読むと度胸がついて破獄ができる」という勘違いの数十年後、牧師となった元牢名主の家に一人の訪問者がやってくる。目的はキリスト教徒になり無罪になる方法を聞き出すことであった。

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死獄 岡本学 著 日の出書房 1920

この男、若い頃には雑誌『中学世界』の編集をしており、学事顧問欄で受験生や苦学生にアドバイスをしていた。本人にも苦学の経験はあったものの、目につく実業家の家に押し掛けて支援を頼み、学校に行き始めると飽きて商売を始めるといったことを繰り返し、結局のところ学校もなにも出ていないといういい加減な人物である。その後、出版社で得たコネを活用しまくり実業界に進出するも、投資関連で詐欺行為を行い刑事告発されてしまう。

これはヤバいというわけで、私は無罪だと主張する本を出版し、病気で寝込んでいる写真を掲載している。

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死獄 岡本学 著 日の出書房 1920

その上でキリスト教の信者となればみんなが同情し、刑事告発から逃れることが出来るんじゃないかと考えたのであった。男が犯した罪がどの程度のものであったのかは不明だが、書籍に自分の悪事に関してはものすごく曖昧なわりに、他人に関してはあいつは俺のバケツを勝手に使いやがったなどとやたら細かい。本人はやましいところはないと主張しているものの、その行動と発言がやましすぎるため一切信用することができない。ちなみにこの男に面会し騙されてしまった乃木希典の感想はこれである。

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大遺訓 猪谷不美男著 明治出版社 1913

多少調べてみたののだが裁判の行方がどうなったのかはよく分からない。ただその二年に貯金と株式に関する書籍『貯金一新』を出しているので、病気で死ぬこともなかった上に、あんまり反省もしていなかったような気がしないでもない。万が一があるので『貯金一新』の内容を確認してみたが、当然ながらキリスト教に対する言及は一切なかった。軽薄さといい加減さも、ここまでくると気持いい。

まとめ

以上、明治・大正人によるキリスト教に対する誤解を紹介してきた。

だからなんだって話だが「聖書を読むと度胸がついて脱獄できる」という認識が面白すぎる上に、その数十年後に変な奴が刑事告発を逃れる方法を質問に来るという展開が最高すぎたため思わず記事にしてしまった。ただそれだけの話である。