かって国産ワインは健康飲料だった。
京城日報 1918-10-26
規那鉄葡萄酒は違和感のある名前だが、規那(きな)はキニーネの原材料となる植物、鉄はそのまま鉄分で、ようするに超健康に良い葡萄酒だということなのだろう。
京城日報 1918-04-18
赤門葡萄酒は東京大学の赤門だろうか? よく分からないが健康にはなりそうである。
京城日報 1916-01-21
なんの工夫もないネーミングの天然葡萄酒でも貧血虚弱や産前産後に最適な栄養料だとされている。
今でも販売されている蜂印香竄(こうざん)葡萄酒も、滋養強壮剤のような意味合いで販売されていた。
京城日報 1919-08-02
京城新報 1911-03-12
赤玉ポートワインに至っては、コレラに効くといったコピーまであり、最早万能薬といってもよいくらいである。
京城日報 1917-10-26
ワインは健康飲料といった感覚は広く普及していたらしく、ノンアルコールでワインよりも美味いと称する滋養強壮剤まで存在していた。
京城日報 1915-10-01
ただワインが健康飲料になった理由がよく分からない。
実のところワインは、日本でなかなか普及しなかった。当時の日本人にとって、ワインの酸味は強すぎたのが理由らしい。だから明治の国産ワインは甘かった。また飲酒文化の違いもあった。日本において酒は酔って連帯感を強める役割も持っており、食事とセットでワインを飲むスタイルはなかなか普及しなかった。こういった状況が、滋養強壮飲料としてのワインにつながるのかというとちょっと疑問が残る。
血が増えるとしている広告が多いのは、ブドウ酒がイエス・キリストの血を表現しているから……ってのは考えすぎかもしれないが、赤い色からの連想はあったんだろうなとは思う。
そんなことを考えながらダラダラと葡萄酒の広告を探していたら、もうひとつ意外な要素が発見できた。
肉である。
京城新報 1911-02-22
かって肉エキスをそのまま注入している葡萄酒が存在していた。
1911-11-11.
実際のところこのワインにはハーブが入ってただけらしいが、ワインは赤いし肉も赤いから肉エキス入れてもいいんじゃないかなんて考え方はあったのかもしれない。ちなみに牛肉ソップ(スープ)は食品としても扱われている。
朝鮮日報 1905-02-25
薬食(くすりぐい、やくじき)なんて言葉もあったので、肉は薬の一種といった感覚がまだまだ残っていたのだろう。ついでにいうと蜂印香竄葡萄酒を生産していたのは牛久葡萄園(現在の「牛久シャトー」)だ。そのあたりから牛を連想した人がいてもおかしくはない……などと色々な理由を考えてみたが真相は謎である。白ビールは健康に良いといった広告もあり、結局は酒飲みの言い訳といった要素もあったのかもしれない。
京城新報 1910-05-15