山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

服の襟に意味はない

最近はたまに「(年相応に)襟のついた服を着たほうがいいですよ」みたいなこと言われることがあるんだけど私は絶対に襟のついた服を着たくない。なぜなら服の襟に意味がないと思うからで、絶対になにがあっても服の襟には意味がない。意味がないものをつける意味がないのだから、襟のついた服を着る意味がない。

なので襟のついた服を着ろ的なことを言われた際には「襟に機能的な意味があるんだったら着るけどそんなものはないし、これまで生きてきてああ襟がついていたら助かったのにティーシャツを着ていたばっかりに……なんてことに出会ったことがない。セーラー服くらいに超デカい襟には髪の汚れを防ぐといった意味はあったけど今だと洗濯を頻繁にするからそんな機能に意味はない。もうひとつの海上で襟を立てると音声が聞き取れる機能だが俺は海上で音声を聞く必要性がないし……」みたいなことを主張すると「ティーシャツを着ていたばっかりに」のあたりでああこの人は頭がおかしいんだって思われて二度とそいつからは「(年相応に)襟のついた服を着たほうがいいですよ」みたいなこと言われなくなるからよいものの、最初から襟を生産しないでほしい。

そもそもであるが襟がついてたほうがフォーマルみたいな考え方がおかしくて、意味なのいものをくっつけて喜んでいるんだから、日常的にディズニーランドなんかで売ってるアニメネズミっぽい作り物の耳を頭に固定する玩具を頭につけて歩き回っているのと同じだと思う。ディズニーランドでそのようなグッズで楽しむのは良いと思うけど、オッさんが職場で常にアニメネズミっぽい作り物の耳を頭に固定する玩具を頭につけて仕事してたら見た目は完全な異常者だと思う。

もちろん私も意味があれば襟のついた服を着る。一定以上の速度に到達すると形状が変形し、空気抵抗を減らす機能がついた襟(超軽量)が開発されたら明日からでも着ると思う。あるいは首あたりをつかんで人間を連れ去る怪鳥が大量に飛んでいるため、すごいつかみやすいけどすぐ取れる襟のついた服(手洗い推奨)を着て怪鳥から身を守るなどといった理由があれば、今日から襟のついた服を着る。しかし空気抵抗を減らす襟も怪鳥もいないのが現実であり、やっぱり襟に意味ないと思う。襟の意味なさはレースと同じくらいであり、とにかく襟とレースには反対をしていきたい。

https://cocolog-nifty.hatenablog.com/entry/2016/05/26/09300

とはいえ襟がついてたほうがフォーマルみたいな考え方が存在しているのは事実である。だから襟のついた服を着るといった考え方もあるはずだが、別に売れ残りの変な服を着て生活していても、人からお前の服装は変ですねと言われることはない。大抵の人はこいつ変な服を着ていやがるなと思っているだけである。変な服を着ていると思われたくないかもしれないけど、言われないと認識できないのだからないのも同じで、他人の中に変な服を着る自分は存在しているが、認識できないものはないのも同じと考える私が別に在るわけで、私がいまここにティーシャツを着て馬鹿丸出しの文章を入力しているということも、夢でないという絶対の保証はないから信じられないし、別に誰になにを思われてもどうでもいいと思う。

しかしながら消極的でも襟をついた服を着ることもあって、それは全員が背広を着ているような状況である。その時にティーシャツを着ているとあいつはこういう席でティーシャツを着ることで自分の個性を出そうとしているカスなのだなと思われてしまい、なんか気を使った奴が背広ではなくてティーシャツを着ているのは良いですねみたいな会話をしてくるのがウザいので、私も背広は2着持っています。しかし革靴はない。太極拳用のスニーカーと老人向けの散歩用の靴しかなくて、なんでそんなものがあるのかというと、足がデカくて運動が好きな知り合いの老人からもう太極拳と散歩は止めたからということでもらったんだけど、背広に変な靴を履いて歩いているとすごい違和感があるので背広を買う人は革靴も一緒に買ったほうが良いと思いました。