山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

ありとあらゆる啓発書や生活法は社会とともにある

ここ数年、私は簡易生活という生活法を続けていて、昨年は本まで出してしまった。

今も続けているものの、社会の状況がかなり変ってしまい、私の生活にも影響がかなり出ている。

簡易生活は明治に発生して戦中戦後も生き残った手法なので、いかなる状況になろうとも実行不可能になったりはしない。それでも社会状況が良い時に実行したほうが結果は良くなる。社会が悪いと、普通よりマシくらいにしかならない。表面的な手法による生活法だと、実現すら不可能になってしまうかもしれない。

ここ数年は最低限度の物だけを持って生活するライフスタイルが流行していて、私もそれなりに物を減らしてみたりはしていたのだが、ある時に気付いたのはこの生活はかなり社会の状況に依存するものだなということだった。ハサミが一つでいいやと思えるのは、ハサミがいつでも入手できるからで、ハサミの入手に複雑な手続と長い時間が必要な社会なら、予備のハサミを持っておこうとなるはずだ。もしも自給自足の生活を送っていたとしたら、食物を保存する場所を確保しなくては命が危なくなってしまう。人類は様々な物質や知識を保存することで脆弱な肉体を維持してきたわけで、十分に豊かになった社会の余力で実行する生活法は、社会的な危機がやってくると成立させるのが難しくなってしまう。

小さな話になるが個人的な好みすら、社会からの影響からは逃れることはできない。私は買いだめが嫌いである。しかし昨年の4月あたりに、経口補水液の OS-1 とビタミンゼリーのようなもの、普段使っているのとは違う成分を使っている頭痛薬を購入した。万が一自分がコロナウィルスに感染した際に、2日程度を乗り切り病院にたどり着くために必要かもなと考えたのである。普段はしないことなのだが、社会の状況が変ってしまうと、嫌でもなんでも必要なものは必要だとなってしまう。国がポイントがどうのこうのと言い出したのも、わりと衝撃だった。ポイントカードで得するとしても、ポイントカードを持ち歩いている時点で損しているといった考え方の人も、今後国家がポイントを積極的に活用してきたら、ポイントと関わることになるかもしれない。

こういった変化を簡易生活的に解釈すると、受け入れるしかないということになる。基本的に簡易生活は、良いものならばなんでも受け入れる。その一方で悪い現実を受け入れる大切さも説かれている。明治時代のある時期に、下駄で汽車の乗り降りをするのは危険であると喧伝されたことがある。しかし当時の道路は舗装されていない。雨の翌日など革靴で歩くと泥水だらけになってしまい、すぐに劣化してしまう。つまり道路が整備されるまでは、靴より下駄のほうが合理性があったのである。便利なほうを選ぶほうが簡易であるから、当面は下駄でいるほうがマシである……といった考え方が簡易生活の手法だ。

なんにせよ生活法や思考法は、社会という基盤の上に存在しているもので、全てから超越しているわけではない。社会の状況によって変化してしまうのが当然で、良い時代には良い感じに、それなりの時代にはそれなりに運用していく他ないんだろうなと思っている。