- はじめに
- 合理的で妥当な思考のトレーニングにインスタントラーメンが最適な理由
- 道具を用意する
- 合理的で妥当な思考の基本
- 調理について考える
- インスタントラーメンの中心を考える
- 実際に作ってみる
- 誰かとどこかで平等になるために
- まとめ
はじめに
私はあまり社会と関わらない地味な生活をしている。しかしそれでもコロナウイルスの影響を受けており、社会的な混乱も含め面倒くさいものになったものだといった雰囲気である。
こういう時に、マシな判断をしてくれる人が増えれば増えるほど、面倒くさい事が減っていく。だからマシな判断ができる人を増やすべき時だともいえる。
マシな判断をするために必要なのが「合理的で妥当な思考」だ。仕事や生活で一定以上の成果を上げる人は、細かいバリエーションはあるものの、だいたい「合理的で妥当な思考」をしている。思考法の本を何冊か読むと、表現の方法や誤差はあるものの、「だいたい同じ」内容じゃないかとなることがあるはずだ。これは人が「だいたい同じ」場所にたどり着くという事実の証左であろう。
私がそういうことに気付いたのは、明治から大正に発生した「簡易生活」と呼ばれる文化を調べていた時のことである。多くの人が「簡易生活」と称し、色々なことをするのだが、だいたい同じ場所へと進んでいく。その場所とは現在の人々と同じく「合理的で妥当な思考」だ。
簡易生活のすすめ 明治にストレスフリーな最高の生き方があった! (朝日新書)
- 作者:山下 泰平
- 発売日: 2020/02/13
- メディア: 新書
アマゾンは紙の本が品切れ、他のお店で購入してください。
「簡易生活のすすめ」は、「簡易生活」そのものを解説し、昔の人が「だいたい同じ」考え方にたどり着くまでの過程を紹介することで、多くの人が「合理的で妥当な思考」を獲得できるように書かれている。ただ簡易生活の紹介や、実行者たちの活躍に主軸を置いているため、実用書として使おうとすると不十分なところがある。
そんなわけでマシな判断をする人が増え、より住みやすい社会を構築できるように、「簡易生活のすすめ 補遺」として「インスタント袋ラーメンによる合理的で妥当な思考のトレーニング」を公開することにした。これを身に付けておけば、いざという時に冷静に行動するための助けにもなると思う。
これはもともと「簡易生活のすすめ」に入れようと思っていたのだが、明治や大正時代の資料を紹介している流れでいきなりインスタント袋ラーメン(以下インスタントラーメンと表記する)が登場するのは、ちょっと雰囲気的に異常な感じがするため削った部分である。今回、公開するにあたって、大幅に加筆した上で、分りやすいように写真も掲載した。
事前に「簡易生活のすすめ」を読んでいるとより分かるが、読んでなくても大丈夫といった内容にしてある。簡易生活はとにかく簡易なほうがよろしいといった考え方で、基本的に簡易なほうを選択する。それを続けていると自然に合理的な人間になるといった手法だ。ちょっと意味が分からなかもしれないが、この文章を読めばだいたい理解できると思われる。ちなみに1万文字くらいあるので、暇潰しにでも読んでもらえれば幸いだ。
一応は書いておくが、これはあくまで「インスタントラーメンによる合理的で妥当な思考のトレーニング方法」で、インスタントラーメンの調理法ではないので、具体的なレシピなどは期待しないで欲しい。
合理的で妥当な思考のトレーニングにインスタントラーメンが最適な理由
一時期、私は週末の昼にインスタントラーメンを作って遊ぶといった活動に勤しんでいた。それで思ったのはインスタントラーメン作りが、合理的かつ妥当な思考をするためのトレーニングに最適だなということである。インスタントラーメンが題材として最適な理由は次のようなものである。
- 失敗しない
- 型枠がある
- 正解が分かる
- 情報量が多い
インスタントラーメンを作るのは簡単で、まず失敗しない。小学生ですら頑張れば作ることができるだろう。そして失敗しにくいっていうのは、入門には良いことである。
なぜ失敗しにくいのか、型枠があるからだ。粉末や液体のスープが付属しており、麺を湯に放り込み3分か5分か、それは商品によるけど、とにかく待っていたら完成する。型枠の範囲内で工夫をする限りは、大きな失敗もない。食べたら一定の美味さがあるため、達成感も得られる。
もうひとつ、情報量が多いのも素晴しい。多くの人はラーメンを何度も食べてるため、美味いラーメンに関する知識も豊富だ。あそこのお店っぽい味が食べたいと思えたり、ああいう風にしてみようと考えることができるはずで、インスタントラーメンで色々やれる状態にある。ラーメンをお店で食べない人は、パッケージを眺めれば情報を増やすことができる。パッケージには理想的な調理例が掲載されており、それに近付ければ正解に近くなる。
さらに色々な商品があるため、選ぶ楽しみもある。それだけではない。ちょっとインターネットで検索すれば、『麺はほぐさないほうがいい』『火を止めてから粉末を入れる』など瑣末な情報で溢れている。選択肢や情報があればあるほど色々と遊べるのだなと実感すれば、インスタントラーメンから選択肢や情報量があればあるほど行動の自由度が増えていくという事実を学ぶこともできるわけで、実に優れた教材だと思われる。
道具を用意する
調理器具がない人は、鍋とラーメン丼とキッキンばさみを用意する。道具があれば買わなくていい。
ラーメン丼は別のものでも代用できるが、ラーメン屋っぽいものを買っておいたほうがいいかもしれない。盛り上がり方が違う。前は100均にラーメン丼が売ってたのだが、最近見掛けなくなり苦しいところではあるけど、とにかくラーメン丼があると盛り上る。
あの店で食べたっぽい見た目のものを作るかと考えることもできるため、やる気を出すためにも買ったほうが良い。キッキンばさみは 100均のこれがおすすめだ。フレッツで売っていたような記憶がある。
よく分からないがホームセンターで800円くらいで売ってた蟹用ハサミが、なぜか100円で売っていて、ヤッターと思い購入した商品で性能はそこそこ良い。鍋はラーメンが丁度入るくらいのものがあればそれで十分だ。
ここからが大事なところなのだが、道具が大量にあったとしても、鍋ひとつとラーメン丼だけで済ませるという制限をかけ、インスタントラーメンを作っていく。
- 「機能が最大限に発揮できるように使用する」ことで物が減らせて簡易である
制限があると作業の工程を予測しながらでないと、道具が足りなくなってくる。これが実に良いレッスンになる。
例えばもやしと卵をゆで煮豚を作り、インスタントラーメンにトッピングしようとする際に、どういう順番で作るとスムーズに作業ができ、洗い物が少なく済むか考える。
道具を少なくすることで、強制的に考えないと作れない環境を構築するというわけだ。
ついでにどういった動きをすると、温かく美味いラーメンを食べることができるのかなども考える。調理前に洗ってない食器は洗っておく、ラーメン丼を温めておく、先に机の上を片付け箸を出しておく、など色々あるはずだ。
合理的で妥当な思考の基本
簡易生活には基本的な考え方があり、それに従い行動すると自然に合理的で妥当な思考ができるようになっていく。というわけでインスタントラーメンを題材に、簡易生活の考え方を紹介していこう。ちなみに簡易生活を紹介している部分は、文頭に『・』がついている。
- 悪いより良いほうが簡易であるから「良くなるように心掛ける」
インスタントラーメンは不味いよりも美味いほうが、より良い状態である。だから美味くなるように行動する。
- 迷信よりも科学のほうが簡易であるから「科学的に分析する」
インスタントラーメンを美味くする方法は色々あるが、科学的でないものを採用するのは止める。地道に分析し、美味さにたどりつくようにする。
- 「理屈で考え合理的に行動する」ほうが迷い続けるより簡易である
情報がなにもない状態で、ものを考えることはできない。理屈で考えるためには、拠り所や情報が必要だ。というわけで、どうすればよりインスタントラーメンを美味くすることができるのかと考えるため、まずは調理の意味について知っておく必要があるな……というように理屈で考えていく。
調理について考える
簡易生活的にインスタントラーメンを考えるのであれば、先にも書いた通り、調理の意味を知る必要がある。なぜ調理の意味を知っておいたほうが良いのか解説すると、人間は意味のあることをする生物だからである。
まず事実として牛、馬、虎は料理をしない。なんで料理しないのか、彼らは十分に強いからだ。人間は弱い生き物で、生肉を8キロ食べたり、生米5キロ飲んだり、草だけ食い続けて筋力を向上させることは不可能である。消化器官や内蔵などが弱いため、調理で補わなくてはならない。
調理の目的は栄養だけではない。味覚や嗅覚は毒や身体に悪いものを見分けたり、栄養素の調整などためにあるわけだが、人類は頭が良いため美味い不味いを感じてしまう。なので調理によって、様々な味や香りを素材につける。そして食事は洗練させていくと、娯楽のひとつにもなる。
食は人類が長い時間をかけて育ててきた文化でもある。美味いものを食べて楽しむといったスタイルを覚えておくと、他人が作ったレシピや調理器具などの成果を味わうことができる。
- 向上した「他人の能力を利用を最大限に使う」
というのも簡易生活の基本的な考え方で、どうせ料理をするのなら、他人の能力を活用しながら、工夫してなるべく美味くなるようにしたほうがお得であろう……というように考えていくと、調理は消化と吸収を助けつつ、美味いものを作り上げ、遊ぶために存在していることが分かる。
この理屈からすると、大量のポテトチップスをコーラ2リットル飲みながら消費するのも、コーラでポテチ食うのを加速させ、本来なら取れないくらいのカロリーを摂取してるわけで、調理といえば調理に見えないこともない。つまり料理は思った以上に簡単だということになる。
インスタントラーメンの中心を考える
というわけでインスタントラーメンを作っていく。注意すべきなのは、調理によって美味さを追求すればいいのかといえば、そういうわけでもないということである。
- 続かなければ意味がないので「極端にならない」
自家製麺も趣味で始めるのなら良い事だが、今回の目的はあくまでインスタントラーメンを題材に合理的で妥当な思考方法を学ぶことである。だからその目的から逸脱しない程度の美味さを狙っていく。また簡易生活には次のような原則がある。
- 「機能を中心に選択する」と必要なものが選べるようになる
中心となっている機能を知るためには、インスタントラーメンのパッケージを観察し、どうデザインされているのかを考えなくてはならない。
調理法を見ると、基本的には 500cc のお湯を使い 3分で完成するように作られていることが分かる。このことからインスタントラーメンは 500cc の水を使い 3分で調理が完成する機能を持つ商品だと分る。機能を中心に選択するのであれば、500cc と 3分を基準にして調理を組立てていくのが正解だ。
そろそろなにを読まされてんだか意味が分からねぇよという方も出てきたはずだが、私も俺は一体なにを書いてるんだろうと突っ込みながら書き続けている厳しい状況ではあるものの、とにかくメインとなるのはラーメン部分なのだから、トッピングもインスタントラーメンを中心にして完成図を想像すべきだ。そうすると、3分以内に作業が終り、500ccのスープに見合う量にすべきだということが分かる。
さらにインスタントラーメンのパッケージの写真は、調理例としても掲載されているのであろうと推測することができる。というわけで、出来る範囲内でパッケージに近付けたものをラーメンの完成図としてしまえばいい。
このように物事を観察して、理屈で考え解決していくのは、やれば簡単なことなのだが、やってみないとできない。ある分野では出来るものの、他の分野では全くできないなんてこともある。そのあたりは練習をするしかない。
作業の前に完成図を思い浮べるというのは重要で、料理するのに慣れている人は、魚を焼いている間におひたし作り、そのダシでついでに味噌汁を作るというようなことをする。なぜそんなことができるのかといえば、最初に食事の味や見た目の正解を想像しておき、そこに至るまでの作業の手順や必要な時間を割出しながら調理しているからである。料理に慣れてないとこういうことはなかなか難しくて、複雑な料理、たとえばハンバーグだと、完成までの手順を想像するのは難しい。しかしインスタントラーメンならコンパクトだから、考えることができる。
余談になるが完成を意識して作業するのは、料理に限ったことでもない。なにをするにしろ、完成したところを想像しながら作業を進めていくと良い結果を得ることができる。ものすごく仕事ができるように見える人も、実際にはこういうことをしているだけなので、インスタントラーメンで覚えてしまえば生活や仕事の質も上がるはずだ。
実際に作ってみる
まずはインスタントラーメンの持つ実力を知るため、具材なしに普通に作ってみる。これがその製品の基準である。
それより美味くなったりまずくなったりするのが料理の不思議で、料理の経験がほぼない場合は、他の人にも作ってもらい、自分のものと食べ比べると発見があるかもしれない。この時に自分が苦労をして作ったのだから、自分のほうが美味いと思い込みたくなるのが人情ではあるものの、あまりお勧めできない態度である。
- 嘘は煩雑なので「正直にする」と簡易である
正直かつ客観的にインスタントラーメンを観察するのが正しい姿勢であろう。
何度かインスタントラーメンを作り、麺の硬さやスープの薄さなどを少し変えてみると、味も変わることが分かってくる。こうして実験をして観察を繰り返し、よりよい結果を出すように心掛けていく。
そのうち具材をトッピングしたくなってくるのだが、そういう時にはこれまで食べたラーメンを頭に思い浮べてみよう。チャーシューとメンマ、茹で野菜や煮卵などが乗せてあったと思う。なんでああいった具材が選ばれているのかっていうと、それぞれ歯触りが違うからである。パッケージで使われている具材を確認してみても、同じように選択されているはずだ。食感が違うものが入っていると、食べるのが楽しくて飽きない。歯触り違うものを混ぜると面白いと知っていると便利で、料理をする時にも応用できる。
もう少し面白くしたいのであれば、味にもバリエーションをつけてみる。歯触りと味が違うものがトッピングされていれば、食べ終るまで飽きることがない。ただし五味の全てをラーメンにぶち込むのは難しい。だから味についてはあきらめてもいいかな……というように考えながら、具をトッピングしていく。
最初は卵やもやしくらいで充分、モヤシはナムルにしておくと2日は使える。ちなみに餃子を作った際に余った皮を放り込むのも、食感が変わって面白いのだが、料理しない人が餃子の皮を余らせる可能性は低い。無理して買うほどのものでもなく、エースコックのワンタンメンなどで対処するのが懸命であろう。
インスタントラーメンの良いところは、具材のレシピが豊富なことで、一時期は味玉が流行っていたので検索したら山ほど出てくる。ナムルも煮豚も大量に出てくる。検索しまくってレシピを比較、どれが妥当なのかって考えたり、実際に作ってみて比べたりする。そういうことをするうちに、合理的に料理する人になってくる。
注意しなくてはならないのは、先に発見した 500cc 3分という基準だ。具材は素のインスタントラーメンを、より良い味へと導くためのものである。あらかじめ準備をしておくのは当然として、ラーメンの完成後に「ああそういえばあの具材もあったな」と思い出すことがある。こういう場合は諦めることが重要だ。
15秒くらいで済むのなら別だが、新たに具材を出して載せるなどしているうち かなりの時間が経過してしまう可能性が高い。まあインスタントラーメンって6分くらいは美味い状態で食べられるように設計されているはずだが、あまりにグズグズしていると素のラーメンの味が落ちてしまう。トッピングを入れることによって部分的には味が向上するかもしれないが、トータルの味が落ちてしまったら意味がない。「合理的で妥当な思考」をするのだから、自分の好みや感覚的な判断も妥当でなければ否定しなくてはならない。
もちろん、俺はどうしても3時間かけてインスタントラーメンをトッピングしたい、味など関係ないといった判断もありだと思う。しかしそれはトッピングに有り余る程の情熱がある者だけに許されることで、ちょっと好き程度であれば「合理的で妥当な思考」を選んだほうが出力の質は良くなるはずだと考えるのが「合理的で妥当な思考」である。
妥当性よりも好みを優先するのは、相当な胆力と情熱が必要な行為である。好みを優先した場合、多くは失敗する。我を通すわけだから、周囲との摩擦も増える。失敗や喧嘩は簡易ではないので本来ならば避けるべきなのだが、それでも俺はこれをするのだといった覚悟がいる。こういうことを私もたまにはして、今こんな意味の分からないことを書いている行為こそがまさにそれだ。別に自分一人損するだけなら問題ないが、非常時にこれをすると自分が怪我したり周囲を巻き込んだりするリスクは認識しておくべきであろう。
ズレてしまった話を戻すと、とにかくインスタントラーメンの中心は3分500ccで、これを元にして行動を決めてしまえば上手くいく。食事もそうで何品作ろうと中心になる料理がある。中心となる料理がカラアゲなら、カラアゲを最高の状態で出す、あるいは食べることを第一目標とし周囲を固めていく……というように、徹底的に中心を重視していく。
これは料理以外のことにも応用できる。服や住居の機能は外部からの影響を減らすため、食は命を維持するため、というように簡易生活では機能の中心を重視する。乗り物は走る、曲る、止まるが基本であり、製品を選ぶ場合にはそこを中心に考える。スマートフォンの中心は、椅子の中心はなどと考えていくと、商品を選択する際に役立つはずだ。
誰かとどこかで平等になるために
私は料理をし食べることが好きだ。しかし料理や食べることが嫌いな人は、他のことで楽しめばいいだけだとも思っている。
ただ飯は絶対に食べるんだから、料理できたほうが効率が良いような気がしないでもない。ついでに他人と住んでいて、家庭内で料理を生産しているのであれば、料理はできたほうがいい。なぜなら平等になるからだ。簡易生活には、次のような考え方もある。
- 他人の能力を発揮させるため「他人と平等に接する」
対等な立場のメンバーで仕事をしたほうが、概ね良い出力が得られる。だから簡易生活では他人と平等に接する。
- 平等にするため「自分のことは自分できるようになる」
同居している人間と同じ程度に料理ができると、家庭内での料理の出力が向上する。いやいや俺は料理できないけどサポートをしているみたいな奴もいるかもしれないが、料理できない奴による料理のサポートは品質が悪い。私なら他のことを担当してくださいと思う。ここが選択肢が増えるかどうかの瀬戸際で、料理ができない場合は、絶対に他のことをしなくてはならない。料理ができるのであれば他のことを担当するか、料理をするか選択できるようになる。先に情報量がれば自由度が増えると書いたが、出来ることが増えると選択肢が増えるといった当たり前の事象である。
興味もないし出来ないことは諦めて他人に委ねるというのも簡易生活の考え方で、もちろん私も考えることを放棄するくらいに苦手なことが大量にあり、そういうことは触らないし意見も言わない。
- 他人の能力を活用するため「他人の能力を上げるように行動する」
なんの情報もなく苦手で経験もない分野についての意見など、価値もなく無駄で邪魔なだけである。黙ることでしか、他人の出力が向上させることに貢献できない……というように考えると、全体の効率が上がるといった理屈である。
自分が部外者になってしまうのは少し寂しいような気もするが、そうしたほうが概ね上手くいくのだから、そういうふうにするのが正解なのだろう。
まとめ
ここで今回紹介した簡易生活の方法をリストにして並べておこう。
- 悪いより良いほうが簡易であるから「良くなるように心掛ける」
- 迷信よりも科学のほうが簡易であるから「科学的に分析する」
- 「理屈で考え合理的に行動する」ほうが迷い続けるより簡易である
- 「機能が最大限に発揮できるように使用する」ことで物が減らせて簡易である
- 向上した「他人の能力を利用を最大限に使う」
- 続かなければ意味がないので「極端にならない」
- 「機能を中心に選択する」と必要なものが選べるようになる
- 嘘は煩雑なので「正直にする」と簡易である
- 他人の能力を発揮させるため「他人と平等に接する」
- 平等にするため「自分のことは自分できるようになる」
- 他人の能力を活用するため「他人の能力を上げるように行動する」
- 悪いより良いほうが簡易であるから「良くなるように心掛ける」
- 迷信よりも科学のほうが簡易であるから「科学的に分析する」
- 「理屈で考え合理的に行動する」ほうが迷い続けるより簡易である
- 「機能が最大限に発揮できるように使用する」ことで物が減らせて簡易である
- 向上した「他人の能力を利用を最大限に使う」
- 「機能を中心に選択する」と必要なものが選べるようになる
- 他人の能力を発揮させるため「他人と平等に接する」
- 平等にするため「自分のことは自分できるようになる」
- 他人の能力を活用するため「他人の能力を上げるように行動する」
簡易生活のくせに随分とごちゃごちゃしているが、要するに客観的なデータを集めて分析し、経験をつみつつ改良を加え、良い出力を出して人生を楽しみ、他人も能力が発揮できるように、なるべく邪魔をしないよう暮していくというのが、「簡易生活」であり「合理的で妥当な思考」である。
誰もが無意識のうちにやっていることではあるものの、状況が変ったり混乱したり、自分が損して他人が得するかもなどと考え出すと人は間違えてしまう。私も、アーとかウワーなんてことがちょくちょくある。そういったことを減らすためには、自分がどういう経路で考え、判断した上で行動に移しているのか、意識的になっておいたほうがいい。
今はものすごく難しい時代で、普段は合理的な人も混乱してて不合理なことをしてしまったりする。常日頃から合理性から懸け離れていた人は、さらにヤバい人になる。個人がおかしくなれば、組織も狂ってくる。とにかく落ち着いて、自分の行動を客観的に観察する必要がある時期なのだと思う。
もっともこんな文章を読んだところで、全員が全員、今日からまともでマシな判断ができるようになるなんてことは私も思っていない。事実、私自身がこんな文章を書く程度には、血迷っている。ただ「インスタントラーメンで簡易生活を解説する」という世の中で最もニーズのないであろう文章を最後まで読めた人は、まだまだ心に余裕があるはずだ。そういう人なら自分や他人、集団の行動がまともかどうかについても考えられるのではないかなとは思っていて、そういう人が増えるといいですねといったところである。
最後になるが今回書いた文章は私が考えたことではなく、簡易生活を実行してきた先人たちによるものである。近代化つつある日本において、どのような流れでこういった考え方が形成されたのかは「簡易生活のすすめ」で描かれている。こちらも暇潰しにでも読んでもらえれば幸いである。
簡易生活のすすめ 明治にストレスフリーな最高の生き方があった! (朝日新書)
- 作者:山下 泰平
- 発売日: 2020/02/13
- メディア: 新書