簡易生活があった!
ここ最近、簡易生活というのを調べている。明治から終戦くらいまで流通していた今でいうところのライフハックなんだけど、かなり広い分野に影響を与えていてなかなか面白い。
私が以前から調べている『講談速記本』と同じく、知らなきゃ明治の文化は正しく理解できないんじゃないかなって思う。
日本の文化にはとても良いものが多いんだけど、太平洋戦争っていう大事件を挟んでしまい、かなり歪んだ形で現代に伝わってしまっているものも多い。簡易生活もやっぱりそれで、本来の姿を知っておくと、現代文化を理解するのにも役立つかもしれない。
簡易生活の難しさ
明治から大正昭和初期の文学作品、エッセイ、実用書や雑誌から、建築関連の書籍にまで、簡易生活という文字列がよく出てくる。しかし多くの人は、それを単純に『簡易な生活』と認識してしまい、簡易生活という概念があったとは思わない。もちろん私もそうだった。難しいのは当時の人々にしても『簡易生活』を『簡易な生活』の意味で使っている場合もあり、常人では区別を付けるのは難しい。
さらに簡易生活という概念が明確ではないという問題もある。明治の簡易生活と大正の簡易生活、そして昭和の簡易生活ではかなり隔たりがある。後述するが簡易生活は、守備範囲が広い使い勝手の良い考え方で、様々な思想や事象を抱合させることができた。そのため変化の度合いがかなり大きい。
こういった事情があり、簡易生活の分からなさ、難しさが発生している。これから明治大正昭和あたりまでの『簡易生活』について解説していくわけだけど、実はあまり自信がない。あくまで現時点での私の理解を記述したものにすぎないし、なるべく客観的に書こうとは思っていたのだが、どうしても私の偏愛から強引に事実を捻じ曲げてる部分もあることだろう。というわけで、気になった方は一次資料にあたってください。この辺りの注意点については前に書いたので、興味のある方はどうぞ。
簡易生活とは?
簡易生活とは、明治時代に発生し長く流行した生活法である。生活から繁雑さを除き、簡易に生活をすることを目的とする。単純生活、簡単生活、蛮勇生活などとも呼ばれる。
以下、長々と書いているが最近は長文を読むのを嫌がる人が多いので先に簡易生活の概要をまとめておく。
- 近代化を果すため個人が合理的で幸福な生活を送るためのツールとして簡易生活が誕生した
- 報徳思想やキリスト教、科学的な知識などを受容するためのツールとしても簡易生活は使用された
- 戦時体制の際には国家主義のためのツールとしても使用され終戦後に有耶無耶になってしまった
色々あったのだが、簡易生活は合理的で効率的な生活を送るための道具として発生している。簡易生活の具体例を挙げてみると下記の通りとなる。
- 貧素で不便な建物は簡易ではない
- 借金をするのは面倒であり不安であるから簡易ではない
- 挨拶は面倒だがしなけりゃ摩擦が発生するから簡易ではない
- 病気になると苦痛であり治療をしなくてはならないから簡易ではない
以下、読むのが面倒な人は、かってこういう考え方が流通していて、戦争を経て妙な形で今も残っているのだということを頭に入れておいて、明治大正の創作物、現代社会を眺めてみると色々分かることが多いと思う。
以下は簡易生活の詳細と雑感。
その始まり
簡易生活とは"質素単純な生活"である。近代化、つまり西欧化のひとつの手法として発生したもので、日本に存在している旧弊を打破し、より効率的な生活を送ることが簡易生活の本旨である。
様々な手法が存在するが、要約すると以下のようになる。
- 衣食住を簡単にする
- 交際を単純にする
- 時間を節約する
簡易生活の最終目的は多少のトラブルが起きても動じない経済力を持ち、健康で効率化された毎日を送ることによって、個々人の能力を最大限にまで発揮させることにある。生活を簡易なものとすることで、仕事や趣味に集中できるようになり、楽しく安定した生活が送れるという理屈だと考えると分かりやすいだろう。
発生したのが何時なのか明確には分からないが、明治28(1895)年に民友社より『簡易生活』が出版されている。民友社は徳富蘇峰が設立した出版社で、『簡易生活』は社会叢書の第二巻にあたる。
民有社版の『簡易生活』が出版される一年前に、フランス人牧師チャールズワーグネーによって、『シンプルライフ』(Chares Wagner 『LA VIE SIMPLE』)なる書籍が書かれている。民有社の『簡易生活』とワーグネーによる『シンプルライフ』の関係は曖昧で、内容はかなり異なる。
ワーグネーはプロテスタントの牧師で『シンプルライフ』もその影響を色濃く受けており、実生活にそのまま転用できるようなものではない。例えば彼が秘かに尊敬をしている質朴で働きものの石工に対する言及に一章が割かれており、どちらかというと修養書に近い。
一方『簡易生活』では、日本人の食事について下記のように具体的な批判と改善法が書かれている。
- 日本の調理時間は長い
- 食事をする時間は短かい
- 効率も悪く健康にも良くない
- よって調理を簡易化し、ゆっくりと食事をすべきである
調理時間の短縮の方法としては、メニューの簡略化はもちろんのこと、台所や調理器具の改善をも含まれている。そして台所の改善のためには、住宅の西欧化も求められる……といった風に、登場当初の簡易生活は西欧化のためのツールとして利用されていた。
明治三十九年には、上司小剣が雑誌『簡易生活』を発刊している。こちらは未読だが、虚偽虚飾を排し、身分や建前を超越して、合理的に暮すべきだという主張をしていたらしい。同人はに幸徳秋水、堺利彦、大杉栄などがいて、合理性を追及する簡易生活と、社会主義は相性が良かったのかもしれない。ちなみに民友社に所属していた国木田独歩も、『婦人画報』を創刊している。『婦人画報』は家庭生活の改善に一定の役割を果した雑誌であり、こちらにも『簡易生活』の影響が伺える。
先に紹介したワーグナーの『シンプルライフ』だが、その当時は『第二の聖書』と呼ばれるほどに人気があった。ルーズベルトの愛読書でもあり、作者はホワイトハウスで説教したりもしている。当然ながら日本でもそれなりに受け入れられて『簡易生活』の後に発生した簡易法に大きな影響を与えている。
ちなみにワーグナーの『シンプルライフ』は国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができる。いくつも翻訳があるのだが、口語で読みやすいものを紹介しておくので興味のある人はどうぞ。
ルソーやらソローもわりと関係がある。だけど日本の簡易生活への影響は微妙。
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簡易生活が社会に与えた影響
明治大正時代の実用書には、簡易生活という単語が頻出する。それなりに流通してた生活法であり、影響を与えた分野はかなり広い。
建築分野では、大正以降に登場した文化住宅が分かりやすいだろう。これは都市部に住む中流階級向けの住宅で、洋風の外観をもっていて、明るい板間の台所や茶の間、テーブルや椅子を使い生活できるなどの特徴を持っていた。先に簡易生活のための住宅の改善について紹介したが、明治中頃に発生した簡易生活運動の結果が大正となり花開いたともいえる。
文学にも影響を与えており、例えば芥川は生活にまつわるわずらわしい雑事に悩まされていた頃に、芸術に没頭できる静かな日常に憧れを持っていた。その生活を芥川の婦人は簡易生活と呼んでいる。
西洋皿一枚と缶詰の簡易生活をしたいという主人の希望
芥川らしく簡易生活のスタイリッシュな面に魅かれていたのだろう。なぜ簡易生活なのか、この簡易生活の結果どうなったのか、なかなか面白いのだが本筋ではないので省略する。興味のある人はこちらをどうぞ。
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ちなみに芥川の師匠である夏目漱石は、木曜日を弟子との面会日とし、木曜会と称していた。実はこちらも簡易生活で主張されていたことであり、漱石も簡易生活の存在を認識していたことが伺える。このように簡易生活は近代文学の世界にも多少の影響を与えていた。近代日本文学はキリスト教の知識なしに正しく理解することが難しいのだが、同じく簡易生活を知っておかなくては理解できない部分も多い。
卑近なところでは明治三十五年に、新聞広告に年始の挨拶とともに禁酒宣言をする人間が増えてきたという記事が掲載されている。
年始の挨拶にやってきてもお酒は出さないよという宣言で、これも無駄を省くための一工夫であろう。さらに住所は印刷、挨拶は代筆といった年賀状への批判もある。
この様に簡易生活を実行する人々がいたものの、やはり反発する人もそれなりにいた。そもそも本来の簡易生活の考え方に従えば、年賀状なんて廃止してしまえということになってしまうのだが、ある概念が普及するためには摩擦と混乱、そしてとても長い時間が不可欠である。これは簡易生活に限った話でもない。
瑣末な状況や事例を挙げはじめるときりがないので、ここらで止めておこう。とにかく簡易生活は、数多くの人々が実践し、様々な人間の手によって改良が加えられ、より洗練し先鋭化した姿へ成長していく。
簡易生活の変化
『簡易生活』の考え方というのは、それ単体で発生したものではない。明治のベストセラー福沢諭吉『学問のすゝめ』によって普及した合理的な考え方の影響はかなり大きい。
そして簡易生活には、様々な文化を内含できる懐の深さがあった。だからこそ、広い影響を与えてしまったと考えることもできるだろう。
事実、保険や貯金、二宮尊徳の報徳教からキリスト教の受容まで、様々な思想や事物を普及させるためのツールとして簡易生活は利用されてもいる。
細かい差異はあるものの、生活を簡易なものとすることで仕事や趣味に没頭し、楽しく安定した生活を送ることこそが本来の簡易生活であった。当然ながらその生活には将来の展望があり、生活レベルの向上も期待されている。
ところが不景気や戦争などの影響から、簡易生活は逃れることができなかった。社会情勢が悪化するにつれ、徐々に企業や国家に都合の良い思想になっていく。時間の節約と厳守、生活から無駄を省くこと、貯金をすることなども組織にとって都合が良かった。
本来はより良い未来へのテクニックだったはずの簡易生活も、分を過ぎない生活、現状に満足し黙って働けといった方向へと進んでいく。もちろん日本の簡易生活が、そういった思想や要望を受け入れるような要素も持っていたというのは事実である。
さらに『シンプルライフ』では、しきりに自分の幸福を他人へ分け与えよということが主張されているのだが、この主張が戦中の義捐金へとつながっていった側面は否めない。簡易生活なしに報国号(国民の寄付によって作られた戦闘機)はなかったというのは言い過ぎだが、とにかく簡易生活にはそういう側面があった。
もっとも大正の終りあたりまでは、一個人が誇りと喜びをもって生活するための簡易生活も存在し続けていた。不思議な健康法を考案しこれこそが簡易生活の極意だと主張をする者。
食費の削減のため米に変わる主食を考案する者、様々な人物が登場した。
しかしそれも開戦が近付くにつれ消滅してしまう。本来は個人の自由を確保するための合理的な生活方法であった簡易生活が、精神論や滅私奉公のためのツールとなってしまったのは残念でならないのだが、事実である以上は仕方がない。
備考と感想
簡易生活は、最終的に国家のためのツールに変化してしまった。過去に起きたことであるからこんなことを書いても仕方ないのだが、もしもそれがなければ日本の簡易生活は、より洗練されより珍妙なものになって私たちを楽しませてくれたはずである。
病気になると繁雑であり、簡易ではない。簡易生活のため、絶対に病気にならない方法を開発したという狂った中年が大量に存在していた。
簡易生活経由で発生したオッさんたちの狂気によって、うっかり定番の健康法が誕生してしまい、人類の平均寿命が伸びていた可能性すらある。
『簡易生活』は徹底した合理性によるものであるのだから、今の社会の状況も変っていたことだろう。非効率な残業などなく、ブラック企業もなかったかもしれない。心をこめてトイレを手で掃除すれば、人間的に成長するなんて考え方も消滅していたことだろう。
手で洗うなんてのは時間の無駄で、性能の良い洗剤やブラシがあるのならばそれを使えばよろしいというのが簡易生活の考え方である。かって紹介した赤津政愛もやはり簡易生活者の一人であり、ひとつの究極形を表現している気がしないでもない。
簡易生活を追い求めるあまり狂った結論に至り、異常な熱量で思想を書き残してくれたオッさんたちは、私に十分以上の喜びを与えてくれている。
それでも彼らはもっと先に行けたんじゃないのだろうかと私は思う。実現しなかったものは仕方ないのだが、かって簡易生活というものがあり、歴史的な限界の中でよりよい社会を目指し奇妙な活動に勤しんでいた人々がいたことは認識しておきたい。