山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

近代の資料を見せられた時に

昨日の記事は私の現状認識が異常すぎたため、ちょっと分りにくいものになってしまったみたいです。そんなわけでより分かりすくなるように頑張って箇条書きにしてみました。

  • 近代の資料は扱いが難しいです
  • 昔は色々な人がいて様々な状況がありました
  • 普通の人が資料を検証するのは難しいと思います
  • だから異常な時代もあったって知っておきましょう

近代の資料は扱いが難しいです。いつの時代でも難しいのは変わりないんですけど、近代よりもう少し昔の資料になると、現存する全てのテキストを読もうと思えば読めます。しかし印刷技術が発達し教育の質が向上し書き手が増えた時代になるとそれは無理で、大量の資料があります。一分野のみに限定しても全てを読むのはかなり難しい。だからプロであってもわりと間違えます。

私は趣味で昔のこと調べてて、たまには論文なんかも読むんですけど、本職の人でも間違っていることがわりとあります。資料にあることが書かれていて、それは論文の趣旨と合ってる。しかし書いてるオッさんは無限健康法みたいなの開発してたりすることがある。その他、癌を光で直そうとしてたり、鶏の卵を売って金儲けするための本も書いていたりする。本当にそいつの書いてたことが信用できるのかっていう事態がわりと起きます。常日頃から話盛りまくってた新聞記者のオッさんの自慢話が、資料として引用されてたこともあります。プロでもこういうところまで資料を読み込むのはなかなか難しいです。もちろん本職の人たちですから、ある程度妥当という雰囲気は出ていますが、全面的に信用できません。もちろん私の書いてることも微妙なことが多いです。娯楽のことしか調べてませんし、娯楽に限ってみてもかなり怪しい部分が大量にあります。

昔は色々な人がいて、様々な状況がありました。大量の主張や記録が残されています。そして今は過去の資料に、誰でもアクセスできる良い時代です。

国立国会図書館デジタルコレクション

国会図書館最高なわけですが、自分の主張を通すために都合の良い記録を探し出そうと思えば、誰でも探し出すことが出来る時代でもあります。なぜなら色々な人の主張や記録が大量に残されているからです。アインシュタインの予言なんかが良い例だと思います。

しかしある資料が正しいかどうか、普通の人が資料を検証することなんか出来ないと思います。瑣末な文化や主張だと、どの程度まで普及していたのか、調べようとするとものすごく時間がかかります。だから異常な時代もあったってことを認識しておいて、資料を見たときに少しだけ疑ってみるくらいで良いと思います。その資料が残っている以上は存在していますが、それが正しいかどうかは分かりません。

誰もが様々な資料を手にすることが出来る時代になったのは、素晴しいことです。しかし情報ってのは兵器と同じように使うこともできて、最近はそういう人をちらほら見ます。これからも増えていく気がしています。別に害のないものならいいですけど、戦時中やその少し前なんかはかなり微妙なんで特にこういう記事を書いてみました。