普通の人は別にして脳が悪い人は所有物を少なくしたほうが良いと思う。脳が悪いっていうのは、部屋が片づかないとか物をすぐになくすとかそういう奴らです。
脳が悪い奴は物を持つなッ!! みたいな書き方をすると差別みたいだけど、まともな生活をしようと思うならわりとまっとうな方法だと思う。
私もあんまり脳が良くなくて、例えば電車に乗るのに運賃を調べるのが面倒くさいんで、昔は適当に200円くらいの切符買ってた。200円あったらだいたいどこでも行けるだろって感覚なんだけど、200円でそんなに遠くまで行けない。それで切符を改札に入れると出口でゲートみたいなのが閉まり、ファミコンのキャラみたいに詰まって出られない。ファミコンのキャラならいいけど、私は人間のオッさんである。駅でオッさん詰まってるの景観的に問題あると思う。
あとこれは未だにやってることなんだけど、切符は油断すると紛失するから、切符買うと右手の親指と人差し指で挟んだ状態でズボンのポケットに入れて心の中で『キップーキップー』って唄い続ける。こうすると切符紛失しないけど、電車に乗ってる間ずっと緊張していて最悪だと思う。私は電車が大嫌いです。
普通の人はこんなことしていないから、私の脳が悪いという結論が出る。脳が悪いと電車に乗るだけでもこんなに困難なんだから、普通の生活するのは無理だと思う。国からの支援必要だけど、国はマイナンバー?とかに夢中になってて、私たちを支援するところまで手が回らない。だから自分でなんとかするしかないとかそういう感じである。
私のような感じの脳の悪さある人は、普通の人みたく物を所有して生活するの難しい。だから物を減らして、まともな生活する訓練する必要あると思う。
物を減らすっていうのは筋トレと似ていて、結論としては自分の資質との対話である。筋トレとは自分の遺伝子の限界を引出すという行為で、物を減らすのは自分の遺伝子がどの程度の物を把握し、どうのように最適化すればまともに生活できるのかという行為である。自分の家事能力やら問題解決能力によっても、物の減らし方のプロセスが変ってくるしなかなか面白い。そういうことしているうちに自分の限界値みたいなの判明してきて、その範囲内で生活するとかそういう感じになってくる。
私も長く訓練した結果、だいたいの自分の能力が分かってきて、所有物の全てが把握できるようになった。
所有物が少なく効率的な生活は、脳をあまり使わなくて済むから良いけど、暇になった脳が他のことを気にし始め、不安で仕方ないといった生活を送ることになる。それでガス栓を常に閉めてたり、5つくらいある家電の電源を一瞬で切断できるようにしたりとかして安心感をゲットしてたんだけど、これはこれで不便だった。
あと物を買おうとするとどうやって処分するのかとか予め考えるようになって、物を買う喜びとかすごい減る。ついでに物を買うのが面倒くさくてたまらないっていう状況にも陥りやすい。最終的には私はビールやら飯といった消費出来るものしか買わなくなってしまっていて、それはそれで不便だった。
色々あったけど脳が悪い人間にとっては、それなりに便利な生活だったとは思う。思うんだけど、自転車を改造したりコーヒーメーカーを導入したりした結果、人生観が変ってきた。自転車とコーヒーメーカーごときで人生観変るってのもおかしな話だけど、物が少ないと導入した物について深く考えるようになるから、こういうこともあるのです。
色々とあって今はまた別の生活をしていて、わりと普通で問題ない。一度物を減らしたことで、自分の限界値が分かってるからだと思う。ただもっと便利さ追及することができるのではないかとか考えてしまう。私がなにかする場合、過去の経緯なんかを調べる癖があって、今は明治の生活改善ブームを調査しながらさらなる生活の改善を試みている雰囲気です。