河村北溟の『断食絶食実験譚』は、断食した人々に取材をしたルポルタージュである。とはいえ所詮は明治時代のいい加減な雑本だ。知人や友人の体験談が内容の大部分を占める。河村北溟は漢学を収めた人だから、登場するのは漢学塾の人々ばかりになってしまう。
その中で大山利之を筆頭に黒田清安、俵田六郎、海老原周助ら青年五名の断食旅行が紹介されている。無一文で麹町三番町から出発し、江ノ島、鎌倉、横浜を巡り帰ってくるという旅程で、その目的は鍛錬だ。
大山利之は鹿児島出身の士族、士官学校に入ろうとしたが、身長が低いということで不合格となった。そこで忽ち目的を変えて、国事探偵になることを決める。海外で探偵活動をする際、食料にありつけないまま大陸を踏破することもあるだろう。あらかじめ訓練をしておく必要がある。そこで企画されたのがこの旅行である。他の参加者は国事探偵を志望していたわけではないが、面白そうだということで旅行に参加、五人は二日かけてなにも食べず、百二十キロを歩いてしまった。
ここまでは明治の元気の若者によるなんでもない話なのだが、とある小説で大山利之に似た人物が大活躍しているのを発見してしまった。
柳煙漁史による『南京松 軍事探偵』には、織田出来輔という男が登場する。出来輔は熊本出身の漢学に凝った若者で、士官学校に入ろうと試験を受けるのだが、身長が低いということで不合格となり、井戸に飛び込み自殺しようとする。見兼ねた軍人が彼を助け、軍事探偵になることを勧める。出来輔は実に過激な人物で、その後も数学が出来ずに自殺しそうになるのだが、いろいろあって軍事探偵となり、清国に渡り日清戦争の勝利に貢献した後、姿を消して生死は不明、といったストーリーである。
- 清国人に変装し、清国兵士を爆破する織田出来輔
南京松は映画や浪曲にもなっている。それなりに人気はあったのだろう。
身長が低く士官学校を不合格になり、軍事探偵になった人物がそう多くいるとは思えない。さらに出来輔も利之も熊本出身の士族、出来輔を利之とするのが自然だろう。
大山利之という人物がそれ程までに有名だったとも思えない。恐らく彼の知人が『南京松』を書いている。柳煙漁史が誰なのかは分からない。ただ河村北溟、あるいは黒田清安、俵田六郎、海老原周助かと想像もしてしまう。もっとも彼らの正体も、明治に生きた人々であることくらいしか分からない。
どうでもいいような話だが、発見すると誰かに教えたくなってしまう話ではある。
参考文献 断食絶食実験譚 河村北溟 著 大学館 明治三五(一九〇一)年