山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

趣味としての自転車が嫌われがちな理由

趣味としての自転車に感じる嫌悪感

いろいろあって、自転車が趣味のひとつになりました。

しかし少し前までは、趣味としての自転車にはすごく抵抗があった。検索してみても、趣味の自転車を嫌ってる人はわりといるっぽい。

自転車を趣味にすると面白い上に得することが大量にあって本当に最高なんだけど、未だに趣味としての自転車にはちょっとした嫌悪感みたいなものを持っている。この嫌悪感がどこから発生しているのか、自分でもよく分からなくてすごくモヤモヤする。

ネットで自転車が嫌いな理由などを調べると、だいたい次のような感じだと思う。

  • 邪魔
  • 危ない
  • マナーが悪い
  • ロードバイクが不快
  • 自転車趣味の奴は値段の話ばかりする

これが趣味の自転車を嫌う合理的な理由なのかというと、ちょっと微妙だと思う。マナーが悪い奴は、なに運転してもマナー悪い。自転車だろうが飛行機だろうが関係ない。邪魔とか言い出したらマナーの悪い車のがデカくて危なく邪魔で不快である。

二輪車は自立できない物質だから、危ないというのはわかるんだけど、徒歩でも狂った車が突っ込んできたりするので、移動自体が危いという気もする。そしてロードバイクは不快になるほど見かけないし、そもそも他人の所有物なんだから不快もクソもない。自転車趣味の奴は値段の話ばかりするってのは確かに事実なんだけど、どんな趣味でも値段の話ばかりする奴は一定の割合でいる。自転車は割合が高いだけだと思う。自転車に限った話ではない。

強烈な体験があって上記のように考えるようになったってケースは別だけど、とにかく私にはあまり納得できる理由じゃなかった。むしろこれらはなんともいえないモヤモヤを合理化するために、無理矢理ヒネり出した理由なのではという感じもする。モヤモヤしてるのは気持悪いので、いろいろ考えてたり調べたりするうち、一応の結論みたいなものを出すことができた。

ひとつは自転車という存在から発生する理由、もうひとつは歴史から発生するものです。

自転車は多くの人にとって日常

ほとんどの人は自転車を利用してる(いた)。これが趣味としての自転車に嫌悪感を覚える理由のひとつだってのが、今のところしっくりくきている。

多くの人は自転車を今も利用していたり、かっては持っていたわけだから、自分は不自由ないくらいには自転車のことは知っていると考えている。漕いだら進むし、パンクしたら自転車屋に持っていく。カゴついてたら荷物入れるし、なかったらリュックかなんか背負う。そして夏は暑くて、雨が降るとウザい、これくらいの認識を多くの人は持っている。それで不自由は感じないし、なんの不満もない。いわば自転車は、身近な存在なわけです。

趣味の自転車っていうのは、上記のような感じとは少し違う。形も違うし利用方法も走る距離も扱い方も違う。自転車は自転車なんだけど別物感がある。知ってんだけど、別のものってのがあるってのは、ちょっと微妙な感じがする。

全く知らない趣味の気持ち良さや快感を語られると、ヘーってなる。人の趣味の話なんざ聞くのウザいって人もいるかもしれないけど、まあそんなもんなのねって納得はできると思う。

ところが普通に自転車に乗っている人が、趣味としての自転車の気持ち良さしさを語られると、結構な違和感と不快感が発生する。自転車というのは素晴しいものだから、普通の人が普通の自転車で気候の良い時期に坂道なんかを走ってるだけで十分に気持が良い。それだけで満足感がある。それよりも良い世界があるんだッ!!とか言われても、いや俺は今でも十分に気分良いしそれでいいじゃんってなる。

ちょっと良い自転車買うかーと思った時なんかもかなり難しい。趣味として自転車するなら、最低ライン10万だけど自転車としてはかなりレベル低いとか言われると、家の自転車19800円だけど必要にして十分な性能あるから10万とか払いたくないわ馬鹿かこいつってなると思う。

これがスキューバダイビングとかだと日常じゃないから、高くても納得できる。自転車は見た目すごい単純ってのも不利な点で、車なら日常だけどデカくて複雑だから、趣味とするには高額でもまあ良いかなって思ってしまう。

親しみがあるがゆえに趣味とするには参入障壁が高い、なんとも不思議な状況なんだけど、このあたりが趣味としての自転車に微妙な感情を持ってしまう理由なのかなって、とりあえず自分だけは納得している。

歴史的な理由

もうひとつ、趣味としての自転車は歴史的な経緯があって、不遇をかこってるってのもあると思う。

他の趣味でもいるのはいるんだけど、自転車趣味の場合、やたら値段について語る人が多い。これは一種の伝統だと思う。

明治時代中頃の自転車ってのは、今でいうと大型バイクを2台持つくらいの贅沢だった。とにかく高い。安いものを買うとすぐに壊れるし、安売りの販売店はいい加減だから対処もできない。こういう時代を経てどんどん自転車は普及していくんだけど、多くの人は自転車の価値を判断する基準を持っていない。だから値段が高いのを買っておけば安心っていう感覚を持ち続けていた。

こういう感覚を利用して、自転車商売がなされていた時代すらある。

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この記事はなかなか面白い記事なので、自転車が好きな人にはお勧めです。

自転車の正体 小売直の生れるまで 高いのは消費者の無智から

明治時代や昭和3年の感覚なんだから、今は関係ないだろって思うかもしれないけど、まあ多少残っているのかなって私は思う。

基本的に趣味ってのは高いレベルを求められてしまうものだけど、自転車趣味はそういう傾向が強いジャンルだと思う。技術的なものだけじゃなくて、走る距離やらマナー、あとお金、全てにおいて高いレベルが求められてしまう。それじゃ明治時代はというと、今とは方向性は違うけど、やっぱり同じようなものだった。

明治の自転車乗りを調べると、やたらに曲乗りに固執する。自転車で遠乗りするのなら、曲乗りのひとつもできなけりゃ危険であるといった感覚すらある。

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合理的に考えると遠乗りするためのスキルとして求められるのは、曲乗りよりもメンテナンス技術だと思うんだけど、メンテは自転車屋でって考え方が強かった。なんでこんなことになったのか、明治の自転車については今調べてるところなんで、はっきりとした理由はまだ分からない。ただ適当に翻訳されたハウツー本が流通してたのは、ひとつの理由なのかなって感じはしている。

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これは羊と出会った時の対処方法、イギリスの自転車本をそのまま翻訳しちゃってるから、こういう記述がガンガン出てくる。この様に 他国の様式や風習をそのまま持ってきちゃったから、多少の歪みが発生してしまったのかもしれない。

自転車趣味が持つ歴史由来の問題ってのは、道路だとかママチャリだとか、まだまだあると思うんだけど、私はその辺りには詳しくないので触れません。

それでも自転車はすごく楽しい。

こんな感じで私は納得しちゃってるんだけど、どこまで一般化できるのかはよく分からない。

それはともかくとして、私は自転車を今すごい楽しんでいる。

cocolog-nifty.hatenablog.com

中古で買った自転車を自分でまともに走るようにいじくってるうちに、自転車の楽しさと異常なまでの便利さ、そして可能性に気付いてしまった。ロードバイクを欲しいとは思わないし、一般的に認識されてる自転車趣味とは離れちゃってる気がするけど、とにかく楽しくて便利すぎる。

だから上記のような理由で、自転車をおざなりに扱うのはもったいないと思う。思うんだけど、趣味としての自転車に抵抗あるってのも分かる。私自身もまだ抵抗があり、自転車は好きなんだけど自転車趣味には多少の反感も覚えるという不思議な感じで、なんとも難しいところです。

ただまあそういった問題は置いといて、とりあえず今ある自転車のチェーンを掃除して、空気を入れてみると、あれ自転車って楽しいのかなって思えるかもしれないのでおすすめですよ。

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