山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです


私はこういう人です

戸澤雪姫を公開していきます

オッさんが政治的正しさに殴られないための考え方

オッさんの人体は人間よりも糞に近い

オッさんは全ての動きが鈍い。物理的な動作はもちろんのこと、脳もトロくさい。俺の脳はトロくさくねぇ!!!!!!!!って怒るオッさんいると思うけど、自分の脳がトロくさくなった事実に気付けないくらいに全体的に鈍臭くなってるわけで、とにかくオッさんはかわいそうだと思われる。

もっとオッさんを大事にして欲しいよなーってオッさんの俺は思うわけだけど、例えばオッさんと甲斐犬が同じ行動してたら、どっちの味方になりたいのか考えてみよう。オッさんが全裸でワーワー絶叫しながら四つん這いで走り廻ってたら、絶対にそのオッさんのこと嫌いになる。しかし同じことを甲斐犬がしてたら、メチャかわいくて絶対に好きになる。そういうことなんだと思われる。

かわいくなくて、体力も理解力も低下しているオッさんにとって、世の中はどんどん厳しくなってきている。最近だとオッさんは、政治的に正しい方法でガンガン殴られ続けている。 LGBT やら面倒クセー女とか移民とか若者とか、様々なものが弱ったオッさんを苦しめる。オッさんは常にピンチである。

ただ悪いんだけどオッさんが『女は全体的に糞馬鹿だッ! 』『LGBTは生産性がないから死ね!!』『オカマとホモは税金払ってるから生産的だろが馬鹿野郎!!』とか絶叫し、社会的に殴られのたうち回る姿を見るのは面白くて良い風景である。その一方でこんなことを続けてたら、そのうちオッさんはストレスで全員死んでしまい、日本の平均寿命が縮み西洋諸国に敗北してしまう。これは悔しいのでなんとかしたいなーっていう感想になると思われる。

加えて新しい社会通念を理解できないオッさんは、他人に迷惑をかける存在である。まず他人に殴られるようなオッさんが存在している時点で不快、殴られた結果不機嫌になったオッさんが舌打ちしながら街を闊歩するのも大迷惑、そして社会全体の不快さの総量が増加、ストレスを溜めた糞馬鹿野郎がオッさんを探しだしまたもや社会的に殴り掛かるといった最悪循環社会が完成する。こんな悲劇的な状況を避けるためには、オッさんが新しい状況を認識する必要があるのだが、一々学ぶのとか面倒くさいし無理だと思われる。オッさんはビールと野球と女の裸くらいにしか興味がないのだから、わりと絶望的な状況だ。

オッさんだって殴られたくない

オッさんは政治的に正しい知識を学び、自衛しなくてはならない。それが結果的に人のためにもなる。ただしこれはかなり面倒くさい。好きでもないのに、いいちいちクダラネー文化を勉強するのダルいし、難しいからオッさんには理解できない可能性が高い。

政治的にミスって殴られてる時に学べば良いのでは?って考え方もあるかもしれないが、殴ってる奴から学ぶ要素が皆無っていう大きな問題もある。かなりのクソバカでも頭が悪くのろ臭くなったオッさんに説教しても無駄だって理解できる。それでもなお果敢にオッさんに飛び掛り、説教をするような一点の曇りなき考えなし(金八の怨念の様な存在)から学ぶのは、難易度が高すぎる。

それじゃオッさんは一体どうしたらいいのかッ!!って話になるわけだけど、普遍性のある物の見方と、社会の現状を知っておくと、だいたいの危機を乗り切ることができるし殴られずに済む。私もオッさんですが、たまにしか殴られません。

一応書いておくと、以下は私が個人的な経験から好き勝ってに思い付いたものではなくて、なんかの本に書いてあったものやら、自分が調べた明治の娯楽文化の推移などから割出したものだ。だから私自身の考え方とは合わないところがあるんだな。それでも正しいものは正しいんだから、仕方がないかなって受け入れている感じです。残念ながらなにで読んだのかは、忘れたんで知らない。どうやって割出したのかは、書くのが面倒くさいのと、読むのはもっと面倒くさいとんで思いやりで書いてないですわけですが、ところでここまでが前置きで、ほぼ意味のないことを書き続けている。なんでこんなことをしたのかっていうとすぐに怒る考えなしを振り落すためで、こういった技術も殴られたくないオッさんは覚えておきたいものである。

生物は生きている

第一に覚えておくべきなのは、生物は生きていて、基本的には生存したいと欲しているという点だ。生きてることに意味あるのかッ!! みたいな疑問君もいると思れるが、お前今の時点で生きてんだろって感じがする。そりゃガラスの破片が「俺は生きてないけど最高にハッピー、生きてることに意味なんてなんだッ!!」って主張をしてたら、納得感あるけどガラスの破片はしゃべらないからな。ガラスの破片が発話するとか思ってる奴は西洋の子供向け童話(夜に玩具が踊るといった至極程度の低い物語)に毒された幼稚人間の可能性が高いが、とにかく生物は生き延びたいと考えている。

そして人間はギリ生きてるくらいだと、一人だけ長生きする方法を考える。しかし余裕が出れば出るほど、生物トータルで長生きさせようって方向に進んでいく。

ゲームなんかのプラットフォームに当て嵌めると、一時的には利益を独占したほうが良いけど、そのプラットフォーム全体が長生きしたほうがトータルでは儲かる。だから余裕が出るとプラットフォームを長生きさせる方法を考えるようになるみたいな感じなのかな。随分と雑な解説な上に、当てずっぽうで書いてるから間違ってるかもしれない。あと文化を意図的に長生きさせようっていう試みははわりと失敗しちゃうんだけど、だいたいそういう感じなのかなとでも思っていただければ十分だ。

多様性を維持するメリット

生命を長持ちさせようっていう欲望は、今だと多様性を確保するっていう方向に動いている。

ところで多様性を確保する理由ってのは、色々なところに色々なことが書いてある。オッさんは横文字が好きだから「さてはダイバーシティだなッ!!!」って思うかもしれないけど、そういうのは流動的な考え方なんで、好きじゃないならムシって良いと思われる。

色々な意見があるけど、人間が多様性を確保したがる理由とは、色々な種類の人間がいたほうが環境の劇的な変化が発生した時に、種が生き残りやすいって感じである。もっともこれは社会の成熟度によって変化していく現象だ。多様性を確保しようとすると全体的に死ぬ場合は、一部の人間が生き残りやすくするために、人間の種類を減らしていくって雰囲気が出てくる。かってそういう時代もありました。

それから色々とあって多少は余裕が出てきたため、今は多様性を確保しようっていう時代になっている。最近だと LGBT の人の理解が求められてるけど、それもそこに目を向けるだけの余裕が出来たからで、多分だけど宇宙人とかが攻め込んできたら LGBT とかどうでもいいから宇宙人なんとかしろよって状況になると思う。

だけど多様性を確保するっていうのは、宇宙人とかが攻め込んできた時のための対策である。想像も出来ないような異常事態の時に、どういう性格の人間が生き残るのか分からない。そんなわけで、余裕がある時には、多様性っていうのを確保しようとするわけだが、攻め込んで来た宇宙人に無事占領させた地球では、宇宙人が浮かせている玉(触るとメチャ痛い場合がありたまに死ぬ)を殴ると出世する。こういう状況だと、現在社会的に成功している人より、生活保護受けながら後先考えずにパチンコしてる人のほうが、高性能な存在になるだろう。

これが生物が多様性の確保しようとする理由である。

今のところ異常者みたいな奴らは逮捕されたりする。だけどもっと余裕が出てきたら、異常者が快適に生活できるような環境を作り出す。これも多様性を確保し、人類を長持ちさせるためである。多様性を攻撃する人も守るのが多様性だろがみたいな幼稚な東映一休みたいなことをホザいてる人(現状だとアホ、未来だともしかすると微妙になるかも)もいるけど、もっと世の中に余裕が出てきたらそういう方向に向かう。

とにかく多様性を確保したほうが、人類は長持ちする。人類とかどうでもいいし、俺が死ぬんだったらお前らも死ねよッ!!!! 馬鹿野郎!!!!!!!!!!!!!!みたいな身勝手な人もいて、まあ俺もそうなんだけど、生物の本能としてそういうものがあるんだから仕方ない。

さらに余裕が出てくると、人類が滅んだ時のためのバックアップとして、多用な生物がなるべく長持ちできるようにしようっていう風になる。今後は着用している服の線維によっては殴られたり、食べ物で殴られるといった状況も発生する。とにかく余裕の量が増えれば増えるほど、多様性もガンガン増えていく。

こういうことを知っておくと、多様性が求められた際、心が狭すぎてチッて舌打ちしそうになるオッさんだって、世の中に余裕が出てきたから発生したものなのだなってあっさり納得することができる。

ところで今ッ! 不景気なのにッ!! なにが余裕だッ!!! 馬鹿野郎ッ!!!! って思ったオッさんもいると思うんで、余裕についても解説していこう。

余裕とはなにか

現代に生きてる人間は、かなり余裕が出てきている。余裕が出来ることで、政治的な正しさが求められるようになってきたって考えてもいいだろう。

それじゃ余裕ってなんなのかっていうと、今の都市部だと大雨の日に傘をささずに歩行してても、別に死んだりしない。でも大昔だと、状況によっては死ぬ。これが余裕である。

昔は王侯貴族みたいな奴らがいて、みんながイイナーって羨しがってたわけだけど、今普通に生きていて、ちょっと高めのワンルームマンションで工夫しながら暮してる人のほうが、昔の金持ちより絶対になにがあっても快適な生活をしている。昔は風呂とか便所とか調理環境とか色々最悪だったからな。

明治時代としては最新鋭の大隈重信の家の台所ですら、こういう感じである。

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詳しく知りたい人は村井弦斎の「食道楽 春の巻」の冒頭に書いてあるんで読んでもらうとして、だいたいのところを書いておこう。大隈邸の台所はとにかく広く、かなり無理してガスを引いている。奥の真ん中にあるのは、イギリス製のガス台、多分だけどオーブンも付いているような気がしないでもない。多分っていうか8割くらいの確率で付いてるんじゃないかな。これがだいたい150円、今の金でいうと200万円くらいかな? ちょっと安すぎる気もするが、現在の中流家庭ならだいたい500万円くらいに感じられるっていうのが、当時の普通の人の感覚だと思われる。オーブンの右にあるのはガス式のカマド、真ん中に置かれている野菜は、自宅内の温室で栽培している。家がデカいだけに、住人も多い。だからここで毎日50人分の料理を作ってる。かなりメンドクセー暮しだが、当時としては理想の台所であった。

ところが今だと、ジタングある。

ガス台も22000円でメチャトロ火にできる上に掃除もしやすい超高性能なのが購入できる。

流通と農業が発達してるから自宅に温室もいらない。広いのは良さそうだけど、ワンルームのアパートに1人で住んでたら、50人分の料理を一度に作る必要なんかないんだから、狭くても問題ない。

あとなにかするために、人にワーワー命令するのもかなりウゼーと思われる。命令とかダルいだけなんで、普通の知性のある人間ならば、昔の王侯貴族みたいな生活は絶対にしたくないって思う。こういうことを考えていくと、平安時代に無限に金あって常に人が周囲にいる状況と、現在年収380万で一人ぼっちなのとどっちか快適かっていうと、もちろん現代なわけで、これが人類全体の余裕だ。

で、生物は余裕が出てくると、他人もなるべく快適に生活させようとする。なんでかっていうと、先にも書いたように、種として長持ちをさせたいっていう風に意識が向かうからである。

技術と文化の関係にも気をつける

余裕が出きたから、多様性を確保するわけなんだから、多様性ジャンジャン増えてくのは悪いことではない。でも、技術と文化の関係にもちょっとだけ気を付ける必要がある。これがかなり面倒くさい。

私の個人的な認識になっちゃうのだけれども、明治の40年代にもなると、技術的には普通の人が理屈で考え合理的な選択をなし、他人と話し合うことが出来るようになっていた。だけどそれはあくまで技術的にはって話で、実際にはなかなか難しい。

もうひとつの事例を出すと、明治三五年には、現在の娯楽作品の部品みたいなものは大抵揃っていた。理論的には今の漫画みたいな作品は描ける状況だ。だけど当時の作品を読むと、今とか程遠い出来栄えである。

当時と今とを比べると、社会の階級に隔たりがあったり、家長制度が強かったり、行動の自由度が低かったりと、まあ色々な差がある。だから技術的にはできるけど、人間にはまだ出来ないって状況が長く続く。その後色々変化があって、ようやく今に至るわけだ。変化が起きるまでには、随分と長い時間がかかっている。

これに関しては引用文とか出していくとメチャ長くなるのと、私も調べてる途中だから詳しくは書かないけど、とにかくかなり昔に技術的には可能だったってことはわりと多い。

最近の話だと、私は夫婦別姓ってもう普通に出来るんだろうなってずっと思い込んでいた。なんでそう思い込んでいたのかというと、社会の成熟度からいうと、夫婦同姓の役割は終っているからだ。昔は意味のあることだったけどね。でも今のところ出来ないらしい。不思議で仕方ないんだけど、とにかく今のところは出来ない。

今でもちょっと高額なもの、車やら家なんかを契約する際には、ハンコを何度も押して住所や名前を何度も書かないといけない。結婚して名前変った時なんかもそうだな。私なんかは割印とか幼稚園児の遊びかよって思うんだけど、これも今のところは大事なことであるとされている。

インターネットなんかを眺めていると、夫婦別姓の実現も、ハンコ押しまくりやら住所書かされまくりの廃止も、明日から出来そうに思えてくる。だから出来るんだからやれッ!! みたいな考え方が出てくるんだけど、ネットでやれッ!! って絶叫したところで、多分だけど世の中に変化はない。

なんで出来るのに出来ないのかっていうと、明治と同じで技術的には出来るけど人類の脳や社会が追い付いていないからだ。

今オッさんが殴られまくってるのも同じ現象で、昔から社外に出したらヤバいオッさんっていうのは大量に存在していた。完璧にブッ壊れたオッさんは特に珍しい存在ではなくて、そこら中にいるわけだけど、閉じられた場所では惰性でそれなりの役割り(他人の邪魔、あるいはずっと座ってる、昔の行為を超高速で繰り返す結果効率化された仕事をなしている等)を果してる。ただそういう存在を外に出したら絶対に駄目だな。完璧にブッ壊れているんだから。

ところが技術が発達しすぎて、完璧にブッ壊れたオッさんが、うっかり社会に飛び出してしまうようになりつつある。そんな野良に出たブッ壊れたオッさんに殴り掛る人っていうのは、出来るんだからやれッ!! みたいな考え方をすることが多いわけだけど、その行為は自分自身が社会にまだまだ適応できていない証左でしかない。

オッさんに限ったことでもなく、老若男女関係なしにヤバくなった奴の社会的な影響力を奪って、多くの目に晒さないようにするのは、技術的には可能な時代になっている。だけどそれを今日からしますってなったら、そこかしこから反対の声が上がる。やったほうが効率良いんだから、やったら良いような気がするけど、やっぱり駄目なわけである。

私個人の活動でいうと、今や技術的には機械が文字を読める時代だ。ついでに考えることも出来てしまう。だから私が趣味で調べている明治の娯楽文化なんか、金をかけて機械にさせちゃえば1年もあれば調べ終ってしまうような気がしないでもない。だけどこれも難しいことがいくつかあって、技術的には出来るけど、実際にはできない。

技術っていうのは日々進歩していくけど、オッさんに限らず人間や社会、そして慣習っていうのはのろ臭い。そんなこんなで混乱が起きているのが今の社会っていうわけであるだけど、この辺のことは書いたことがあるので、良かったらどうぞ。

cocolog-nifty.hatenablog.com

オッさんと社会

ここで話をまとめておこう。

  • 生命は長持ちさせたいって思う
  • 今は世の中に余裕が出つつある
  • 技術と文化にタイムラグがある

つまり現代は生命を長持ちさせるために、社会の成熟度と余裕に合わせて多様性を確保しようとしている時代なんだけど、文化や習慣が追い付いてないから色々な摩擦が起きているってことになる。

今はインターネットや社会に変な人たちが大量にいるように見えるんだけど、これは昔からあんまり変っていない。ただ顕在化しているだけの話にすぎない。技術に文化が追い付いてないから目立ってるだけなんで、これも仕方ないって思うことが出来る。

個人的には、上記のような考え方はあんまり好きじゃないし、内心反発するところもあるんだけど、弱ってきているオッさんとしては、こういう風に解釈するしかないよなっていうのが私の感想だ。そして個人の感想や好き好きってのは、巨大なものの前ではあんまり意味がなくなってきている気がしている。今後は自分の範囲で自分の好きさを追及するしかないのかもしれない。これも良いんだか悪いんだか分かんないけど、なんだか鬱々としてしまうわけで、なんかビールでも飲みながらスカっとするようなものを読みたいよなーって思うわけだけど、スカっとする読み物って探してみるとなかなかないよな。なにか良いものがないなーって思って探していたら、面白いし読めば自然に日本の異文化に触れることができる素晴しいものがありました。

note.mu

解説も付いている上に当時の挿絵までの掲載されている上に無料である。こんな良いものを一体どこの素晴しい人がネットに無料で公開してくれたんだッ!!って感動しちゃたんだけど、よく考えたら私でした今日も読んでくれてサンキュー。

野生の思考

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