ただの感想、自分の考えをまとめる用。
実用
私は Emacs を使っているが、最近ではユーザーが減少しており、そのうち情報が得られなくなって、まともに使えなくなるのではないかという不安があった。しかし、AI にコードを投げて「こういう感じにしてくれ」と頼むと、動作するように見えるものを書いてくれる。情報がなくても AI に書いてもらえばいいといった感想で、自分のスキルは低さが原因で長い時間をかけて調べればできるようなことを AI に頼むのは、ものすごく良いと思った。
AI によって Emacs で校正ができるようになったのも良かった。校正をするためにプロンプトを作成したんだけど、普遍性のない作業で面白くなかった。何度か使って様子を探るみたいなのは分かるんだけど価値のない作業といった感想。
AI を真面目に使うのは面倒くさいので、使う価値があるかどうか判断しないといけない。
そのうち個人的に使っている変なコードを書き直して、公開しようと思っていて、これは AI を真面目に使うだけの価値があるので真面目に使うと思う。
今は無銭旅行と苦学に関する本を書いていて、こちらの作業だと AI には校正と推敲くらいしかされられない。真面目に使えば多少は役立つんだろうけど、リターンが少なすぎる。これは AI がダメって話ではなくて、私が変なことを調べていてテキスト化された情報が今のところ存在していないとか、そもそも人文が相手にされてなくて開発リソースがそそがれてないからとか、そういう理由だと思われる。
今書いているのが終わったら、今度は子供が間違った教育を受けた時に抵抗する方法みたいなものを書こうと思っていて、こっちは AI を真面目に使うつもりだ。私の好みや考えたことなどは一切入れず、10歳くらいの子供でも読めて、翻訳しやすい構成にしようと思っているので AI を使うのが良さそうという判断である。
AI 関連の記事みたいなやつ
普通に使ってない人向けの感想。AI を勉強しようと思って、私のような低レベルな人間向けの記事を読むと、レベルが高くないというか、大袈裟なものが多いため、読むのをやめた。煽るような内容の記事も多く、AI に嫌悪感を持つ人もいるだろうが、実際に使ってみるとどんなものか分かり、精神的に安定すると思う。インターネットが一般に普及する直前には、特定の情報をまとめてプリントアウトして提供する商売があった。AI の使い方を AI に作らせて無の情報をネットで公開することも、そのような過渡期の商売の一部かもしれないが、それなら自分で AI に使い方を聞くみたいな感じで使ってみたほうが良いと思う。
玩具としても使えない分野と、バリバリ実用として使える分野の差が大きいのは、混乱が生じるひとつの要因な気がする。使えない分野にAI使ってAIは使えないって怒ってるのを、AIが使える分野で使ってる人が馬鹿にするみたいな感じ。
生成される嘘みたいなやつ
以下は印象。
- 自分が生成した嘘については指摘されない限りは事実として扱うことが多い
- 一貫性を重視するモデルでも、自分が生成した嘘や誤った Yes と No にひきずられてしまうことが多い
- ある AI で嘘を出力した質問を別の AI に投げても同じような嘘を生成することが多い
- 対話が多くなれば多くなるほど嘘を生成する可能性が高くなる
今の時点での感想
現時点でも、AI は Word や Excel より使いやすいと感じる。ワープロは執筆と修飾を同時に行うという誤った設計に基づいた邪悪なツールであり、エクセルは理解不能。しかし、こうしたツールを活用して業務を効率化する人々がいる。AI も同様に、何度も指示を出して何かを作るツールとして使われ始めているが、将来的には OS のような存在になり、アプリの概念がなくなるかもしれない。AI にコードを書いてもらいローカルで実行するみたいな行為は、プリントアウトした紙の文字をワープロで入力するのに似ている。こんなのがずっと続くわけがない。そうなると Word や Excel は普通の人間にとって理解不能な謎のテクノロジーになるかもしれない。いきなりだが AI の冗談は一切面白くない。なぜ面白くないのかは謎。