山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

白ご飯世界

日本における代用食の歴史はとても長い。ただし本格的に代用食の探究が開始されはじめたのは、明治時代のことである。混ぜご飯やおからの活用などがあったが、最も盛り上がったのは玄米食だった。

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玄米は白米と比べ1.3倍の栄養があるため、消費量が7割で済む。玄米の栄養により医療費も減少し、精米費も節約できる。大正八年には、玄米奨励法案建議案が提出され、大阪では70万枚の玄米推奨広告が配られた。震災後には天皇陛下すら玄米食に言及しているのだから、その盛り上がりは推して知るべしといったところである。

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しかしどの代用食も、本格的な普及には失敗している。失敗の理由を考えると、日本人は白ご飯が大好きだからという所に着地する。基本的に日本人は米が好きである。ある時期には、日本の中心が米がといった位置にまで到達している。

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それでは昔の人はどのくらい米を食べていたのか? 明治30年代の学生は、1日あたり5合の米を食べている。好きでなくては、これほどまでに食べることはできない。とはいえ、彼らが食べていた白ご米は今と比べると美味くはないだろう。調理器具はもちろん、米の保存状態も今より悪いことは確実である。少し余談になってしまうが、昔の学生が自炊生活をしようとすると、共同生活、今でいうところのシェアハウスのような形態をとることが多かった。これはコストの問題で、一人暮しだとメリットがない。食材を大量に購入し、数人分の調理を一度にすることによって、金銭的時間的なメリットがようやく発生する。その際に起きるのが、誰が米を炊くのかという問題で、やはり技量に差があった。

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こういった状況は、米が大好きな我々にとっては許し難いことであった。誰もが米を炊き、美味い白ご飯を食べることができる世界が求められていた。

さらに金銭的に裕福な家庭とは違い、白ご米なんて滅多に口に入らないってな人々も存在していた。白ご飯が大好きな我々にとって、そんな状況もまた我慢のならないものであった。白米が好き過ぎるがために、誰もが美味い白ご飯を食べられる世界を作ろうという情熱を、かっての我々は持っていた。

現在、日本で生活していれば、どこにいようと美味い米を食べることができる。湿度と温度が管理できる優秀な貯蔵庫が存在し、発達した流通によって米が店頭に並べられる。パッケージもほぼ完璧、品種改良された米は、生産性が上がっただけでなく、どれも美味い。十万円以上する高性能な炊飯器も販売されているが、数千円の文化鍋を使いこなせば十分以上に美味い米を炊き上げることができる。

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それほど難しい技術が必要なわけでもない。

  • 米をとぎ水につけておく(1回目の水はすぐに捨てること)
  • 水は米の上1-1.5mm程度の高さ
  • 沸騰するまで強火、沸騰後は弱火で8-15分(パチパチした音が出たら火を止める)
  • 蒸らし時間は5-10分(なくてもいい)

単純に面白いので興味のある人は試しにやってみるのも良いだろう。

トオヤマ 亀印 文化鍋 16cm <2.5合>

トオヤマ 亀印 文化鍋 16cm <2.5合>

米にかける労力の、自由度も素晴しい。家庭用の精米機を購入し、良い水を使えば、異次元の美味さの白飯を食べることもできる。手間を省きたいのなら無洗米もあるし、それすら面倒ならばレトルトご飯で済ますのも良い。都市部ならこういうことが可能というのではなくて、日本であれば離島に住んでいたって実現できてしまう。

もちろん情熱と努力だけで、こういった環境を実現されることはできない。米自体が持つ性能も高い。私は定期的にホームベーカリーでパンを焼くのだが、室温や水の量、そして小麦の質などによってかなり出来が違う。予約機能を使うと仕上がりに影響がある。こういった要素は米にも影響を与えるものの、パンほどではない。米には安定感がある。

全てが今となってはなんでもないことだが、そこには異常なまでの技術と労力が使われている。我々は白ご飯が大好きで、日本全国四六時中、美味い白ご飯を食べられることこそが目標なのだという情熱がなければ、とうてい実現できる世界ではない。