山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

明治30年代の自転車事情と自転車が好きすぎた男

日本で本格的に自転車が流行しはじめたのが1900年あたり、ただしまだまだ高価で明治30年だと国産自転車は50-100円、海外製のものになると80-200円くらいした。無理矢理現代に当てはめると、大型バイクを複数台所有するのにも似た贅沢な趣味だった。ちなみに下の広告は当時の自転車の広告である。月賦支払い可能で95円、ドロップハンドルを上下自在ハンドルとしているのがなかなか面白い。

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お金はないけど自転車には乗りたい、そんな人々の需要に応えるために貸自転車屋さんも流行する。料金は1時間あたり30銭、現代だとお昼ごはん10回分くらいの感覚だろう。明治は貧富の差がかなり激しいが、普通の人なら無理すればなんとか借りられないこともないといった値段で、自転車は身近なものになりつつあった。事実「おだてと自転車には乗りたくない」なんていうちょっとした流行語もあったくらいだ。

みんなが興味をもっている高価な贅沢品、そんな存在だから自転車泥棒も今よりずっと過激で、拳銃を持って自転車を盗む人すらいた。

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今では想像できないことかもしれないが、自転車はそれくらいに人々を熱狂させる存在だった。

自転車文化も、今とはかなり違う。明治時代は娯楽で自転車に乗ることは贅沢だと認識されていて、現代よりも厳しい目が向けられていた。技量がないのに自転車に乗り続けた男が接触事故を起してしまい、告訴を取り下げてもらうかわりに一年間の乗車禁止を命じられるといった事件もあった。

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仕事で乗ってる小僧さんが車夫と事故を起し、主人に対して賠償金を請求なんて事件もある。まだまだ自転車黎明期、混乱があるのも当然だった。

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当時の自転車ガイドブックを読んでいると、妙な記述も散見される。例えば自転車に乗り放牧されているヤギに出会った時には、犬の泣き声を出すと安全に通過出来る……といったテクニックである。

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海外の書籍を意訳しているから、こんなことが書かれているのだが、混乱した読書もいたことだろう。

不思議なのは曲乗りが出来なければ、自転車乗りとしては半人前というものという感覚、よく分からないが今より曲乗りが流行してたらしい。

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上記のように明治時代に自転車文化は、少々歪んだ形ではあるものの、受け入れられつつあった。そうなってくると、自転車マニアも登場する。有名なのは日本自転車史でたびたび取り上げられる二人の少年たちだ。

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この二人、関西と関東で遠乗り勝負をやっている。記事からもなんとなく分かると思うが、彼らは恵まれた環境に生まれ、自転車熱に浮かされた父親の影響を受け遠乗りに挑戦した少年たちだ。これはこれで微笑ましい話、しかし私が好むのは持たざる者が無理矢理楽しむ姿である。というわけで最後に自転車で破産してしまった大工さんを紹介しておこう。

明治35年6月の小石川で、当時宮内大臣だった田中光顕(みつあき)宅の新築工事が行なわれていた。工事に従事する大工の一人に長谷川政治(まさじ)という19歳の青年がいた。この政治、大工よりも自転車が好き、大工の腕より自転車の腕のほうがずっと上、織るが如き雑踏の中を自転車で駆け抜けることがなによりも好きという男であった。

19歳の大工の息子、それ程お金があるとも思えない。彼は高価な自転車をどう手に入れたのか? 父親が仕事のために購入した自転車なのかとも思ったが、大工という商売に自転車が役に立つとも思えない。大工であるなら手先は器用だろうから、中古で購入した自転車を自分で直して乗っていたのだろうか? それとも無計画に月賦で購入したのかもしれない……というように、このどうでもいい事件、なぜか想像力を掻き立てる。

政治は仕事もせずに一日中自転車に乗り続けているため、自転車の技術は無駄に向上するも、大工仕事のほうはかなり疎かになっていた。ちなみに当時の多くの若手大工は道具を持っていないため、レンタル料を払って仕事をしていた。政治は自転車で遊びすぎ、大工道具の賃料すら払えなくなる。さて困った。

順当に解決手段を考えるのならば、自転車を売るということになるのだろう。しかし政治はあまりに自転車が好きすぎた。その上、大工仕事への愛情はあまりない。だから他人の大工道具を盗み出す。一時は騒ぎになったため、大工道具を隠しておき、ほとぼりが冷めたころに持ち出した。大工道具を十文字にくくり、愛車で走り出せば気分は最高、イラストもこの笑顔である。

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自転車マニアの政治だから、道具を売った金で自転車用ランプ、あるいは調子の悪い部品のひとつも買ってやろうとでも想像していたのかもしれない。

ただし政治は、根っからの悪人ではない。自転車が好きすぎただけの男であるから、行動も浅はかである。工具の行方を探していた刑事にあっさり捕まり、そのまま自転車とともに警察署へ引き立てられてしまう。これでこの事件は終りである。

当り前だが政治の行動は、褒められたものではない。ただ私はなぜかこの男を憎む気になれない。ここまで好きなのだから、出所後は大工から自転車屋へと華麗に転職していてくれればと願うほどである。

しかしこれは少しだけ昔のどうでもいい小事件、もちろん続報は発見できない。だから自転車が好きすぎた男のその後は、よく分からない。

参考資料 朝日新聞復刻版 明治編 日本図書センター 新式自転車独修 岩田可盛 叢書閣 1900 如何にして生活すべき乎 開拓社編 開拓社 1900