山下泰平の趣味の方法

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私はこういう人です

福沢諭吉の合理性が大正時代には群馬の校長へと届いていた

学問のすゝめについて

明治時代の先鋭的な人々は、迷信を嫌う傾向があった。そして合理性を追及していた。彼らは時には病的なくらいに迷信を痛罵し、信仰を小馬鹿にしたりする。

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彼らが迷信を嫌うのには理由があって、誰もが筋道を立てて考えられる国にしたかったからである。この辺りのことについては、私がかって書いたものがあるので、興味のある方はどうぞ。

山下泰平のタンブラー — 誰もが筋道を立てて考えられる国 01

見様によっては明治時代は、普通の人が理屈で考えられるようになるための時代とすることも出来るくらいで、迷信は排除されるべきものであったし、人々は理屈で物事を考えられるようになろうとしていた。

この「誰もが筋道を立てて考えられる国」の実現に大きな役割を果したのが、福沢諭吉の『学問のすゝめ』なんじゃないかなというのが今の私の推論で、もっというと福沢諭吉の一番の功績っていうのは、迷信を嫌い合理性を追及するというスタイルを普及させたことではないかとまで考えている。

『学問のすゝめ』は明治5-9(1872-1876)年に刊行され、80年に合本とされた。合計で340万冊売れたとされていて、それが正しいとすると全国民の10人に1人が読んだ計算になる。

有名な『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり』ってのがあるけど、これを分かりやすく解釈すると次のようになる。

  • 人体というのは水分だか蛋白質だか炭素だか知らねぇけど同じ物質で出来てる
  • 細かいところを見ると違うけど人体とか物質としては同じだろ
  • 同じだったら同じだろクソ馬鹿野郎が理解しとけ

鉄を二つ並べ物質としての違いあるかっていったら、別に違いない。鉄製の工業製品を二つ並べれば、性能や形に優劣は出るものの、やっぱり鉄はただの鉄である。それは人体も同じことで、人体は人体なのだから変りはない。

ただし人体は、鉄と違って動いたり考えたりする。そしてわりと複雑な社会を作る。だからどうしたら良いのかっていうのが『学問のすゝめ』の大きなテーマであり、そこには冷徹なまでの合理性がある。

少年時代の諭吉の有名なエピソードに、仏像だかなんだかにおしっこかけて天罰ないの確認したり、地域の人が信仰してる石とその辺りに落ちてる石をすり替えて大人が石を拝むの眺めてゲラゲラ笑ったりとか、異常者丸出しみたいなものがある。

新訂 福翁自伝 (岩波文庫)

新訂 福翁自伝 (岩波文庫)

そういう人格と嗜好の持主が漢学を学んで脳を鍛え、蘭学で理屈を学んだ状態で、西洋へと遊びに行く。様々なものを見聞し驚き感動する。彼は文章が書けたから『学問のすゝめ』を出版し、それがたまたまベストセラーになってしまうっていうのも、なんとも不思議な偶然の重なりを感じてしまう。

良いことはなかなか広がらない

興味のある人は読むと分かるけど、『学問のすゝめ』には、今となっては当り前のことしか書かれていない。

学問のすすめ

学問のすすめ

『学問のすゝめ』が売れたのは、当時は当り前ではなかったからである。当り前にするために、数知れぬ人々が様々なことをしたりしなかったりする必要があった。

合理性を追及するということと、迷信を嫌うというのは似ているようで異る行為だ。しかし明治人はとりあえず迷信を排除しようとした。なぜなら合理性を持った人格を作り上げ、理屈で考えられる能力を養成するよりも、迷信を排除するほうが容易であるからだ。理想とかクソどうでもいいから手っ取り早くできることからやってしまえというスタイルである。

具体的にどうやって広げていくのか? 国による政策ももちろんあった。しかしフィクションの世界や日常の雑談等を経由して、いつまでも馬鹿馬鹿しい迷信や因習を信じているのは恥かしいことだという感覚が広がっていったことも忘れてはならない。

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何度も同じようなことを誰かが書き、同じようなことをだれかが語る。

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こうして化け物なんか存在しない、馬鹿馬鹿しい迷信にはこだわらない、といった雰囲気が流れはじめる。

大正時代にはどうなったのか

ひとつの考え方が発生し、徐々に世の中へと広がっていくまでには、かなり時間と手間がかかる。それでは福沢諭吉の迷信嫌いに限ってみるとどうだったのか? 大正2年の群馬にあった学校の様子を紹介してみたい。

まずこの学校の校長が、日本政府に完璧キレてる。なぜ怒ってるのか? 下記のような理由である。

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明治の40年代から大正あたりにかけて、神社の祭典への参加や、戦没者の墓へのお参りが奨励されるようになった。この動きに校長は怒っているのである。

そもそも明治32年の8月には『一般ノ教育ヲシテ宗教外ニ特立セシムルノ件』という訓令が出ている。これは学校では宗教的な教育や儀式を行なっては駄目だよっていうものである。なぜ宗教が駄目なのかというと、科学的ではないからだ。

宗教の教育が駄目なのに、なんで神社の祭典への参加は良いのって疑問が出てくると思うけど、国家神道は祭祀で宗教じゃないっていう理屈で強引に押し通している。これにも校長は怒っている。なぜなら理屈が通っていないからである。

教員たちの感想はこういう感じ、概ね馬鹿馬鹿しいっていう雰囲気がある。

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教師といっても、当時の中学校(わりと高学歴だけどすごく高学歴ではない)を卒業した程度の人間も存在している。まして大都会ではなく、群馬県の学校である。そういった場所にまで迷信は馬鹿馬鹿しいといった考え方が広がっていた。

校長はというと、やっぱりこの命令は理屈が通らないと考えている。

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そこでは校長は理屈で考えた。まず歴史上の人物を祭った神社の由来を生徒に教える。そして敬うべき理由があるから礼拝するのだと説明をした。神社を一種の記念碑として扱い、歴史上の偉大な人物を称えるという解釈を生徒たちに与えたのである。

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ここで前回に紹介した催眠術で教育勅語を徹底させろと主張した人間の話に戻ろう。

cocolog-nifty.hatenablog.com

なぜにこんな荒唐無稽な主張が受け入れられた、あるいは著者が受け入れられるだろうと考えたのかというと、もちろん催眠術が科学だからである。(ちなみに催眠術はオカルトはなく立派な科学だと捉えられていた)罵声を張り上げて暗唱100回するよりも、催眠術のほうが効果があるってのは、現代人からすると微妙なものの、一応は理屈として筋は通っている。

私は明治のこういう考え方が好きで、最も格好の良いところだと考えている。現在の日本では、科学が嫌いで理屈で考えない人が多い。教育勅語よりも、理屈で考えようといったスタイルを流通させたほうが、全体的には利益があるんじゃないかなと私は考えたり考えなかったりする。

教育勅語自体も、かっては教育のツールとして活用されていたことがある。教育勅語を暗唱や暗写させるのは、文字を覚え文章の組立方を学ぶという目的も存在していた。どうせ覚えなきゃならないのなら、教育にも利用しようといった至極まともな思考である。もっとも、後々その意味合いは変化してしまうのだが、教育のためのツールとしても利用されていたこともまた事実である。

もちろん今は教育のための技術も進歩して、様々な教材が存在しているのだから、そんなことをする必要はない。形式だけ昔に戻したところであまり意味はなくて、その背景にどのような考え方が存在していたのか、検討する必要があるような気がしないでもない。