山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

サブリミナルでオリンピックエンブレム大不運

東京五輪エンブレムで佐野さんって人がメチャ怒られてて、マジ不運だと思う。

私があのオリンピックのエンブレムを作ったとして、まず考えるのは『エンブレム一回使われるごとに30円くらい金もらえそうだから1万回使われたら30万かーとりあえずアマゾンでプラモ12個買うぜ』みたいなことだと思う。もちろん塗料もふんだんに買う。なぜ12個なのかを説明しておくと、毎月ひとつ作るからです。それでプラモが届いたら、関連商品に復刻されたマイティーフロッグとトマホークが出てくるから、次はラジコンを買うと思う。どうせエンブレムで金入るだろって思ってるから絶対に注文する。お母さんに怒られるかもしれないけど、俺が東京五輪エンブレムだッて威張って切り抜けることができる。これは俺の場合だけど佐野さんも似たようなもんだと思う。佐野さんの場合は風貌がワガママっ子っぽいから、余計なものを買ってもお母さんは怒ってこないけど、奥さんが怒る。だけど佐野さんは「俺がオリンピック金メダル東京五輪エンブレムだッ!」とか絶叫して勢いでプラモ24個買うしゲームも買いまくるしこの夏の縁日には金魚すくいも10回連続でした可能性が高い。あと私も佐野さんも、買ったプラモはタミヤのものです。

この様に最高の日々を満喫していたところ、翌朝なにも知らずに起床すると、インターネットでメチャ怒られてるっていうのはマジ最悪だと思う。寝起きでよく分からねぇけど、みんながお前さっさと謝れドカスがって怒っている。ムシってりゃそのうちみな忘れるだろ放っときゃいいんだよって俺なら思うけど、偉いオッさんとかも血相変えて責任押し付けてくるし、もう謝罪するしかねぇってなって謝罪したものの、謝罪したら謝罪したで今度はお前今更謝って許されると思うのか絶対許さんぞクソがみたいな雰囲気になってくる。どうせ怒られるんだったら謝罪しなきゃよかったよなーって私なら後悔すると思うんだけども、佐野さんはどうなのか?

これだけならまだしも、オリンピックエンブレム大不運はまだまだ続く。よく分からないけど盗むという意味で『佐野る』とかいうゴミムシそっくりのクソサムい表現まで登場、佐野さんは別にサムいこと言ってないのに、常時クソサブ人間みたいになってしまった。本当に最悪としか言い様がない。

佐野さんも仕事をしているから、やりとりしている会社に出向くことがあると思う。そこで偉いオッさんと会話なんかをすることになるわけだけど、オッさんというものはウザい。OL(オフィス・レディー)の山本さんがお茶を出すとオッさんは「山本クン、瞬間接着剤を持ってきて」などとホザき、瞬間接着剤で湯呑みを机に固定、「ホラ佐野られると困るだろ、山本クン、佐野られると困るから俺は湯呑みを接着したのよ」などといつのまにかポケットに入っている塵芥のようなユーモアセンスを山本さんにアッピール、山本さんの舌打ちが聞えるなか打ち合わせなんかをするんだけど、佐野さんは瞬間接着剤で固定されてるの忘れて茶を飲もうとして前につんのめって机で頭を打ったりする。オッさんは「ホホー佐野るの失敗ですな、我が社のセキュリティーは万全だってわけかワッハッハッハー」などいった愚にもつかんコメントをなし、山本さんはこのクズ野郎の顔面の形が変るくらい殴りつけてやろうか、あと佐野もさっさと帰れよマジウゼーと思いながらも曖昧な笑みを浮べるのであった。

こういう風に佐野さんは、本当にかわいそうな状況にある。もうひとつの佐野さんの不幸として、日本はデザインというものが、理解されにくい土壌であるという点を挙げることができる。西洋では食前酒から、前菜、主菜、デザートと続き、コーヒー、食後酒というように時間に沿って推移していく。これは不可逆な流れで、デザートの後に主菜を食べる気にはなれない。なぜならそういう風に料理が設計されているからだ。ところが日本では、食事に明確な時事系列も中心もない。あってもゆるやかである。

一番分かりやすいのは鍋料理で、ダシ汁さえあればあとは具材を放り込みながら、いつまででも食べることができる。『鍋奉行』という言葉からも分かるように、調理すら食事の中に入り込んでしまっている。もちろんこれは料理に限った話でもなく、宗教もはやり同じで、キリスト教に産れ変わりはない。この様に西洋の文化では、時間が戻ったり循環したりすることがない。

デザインは、特定の機能を実現するために存在する。機能を実現するプロセスには、時間の流れが存在する。時間が戻ることのない西洋文化の中で生きている人々は、体感的にデザインを理解できる。ところが中心のない日本の文化で生きている人々は、デザインの意味をなかなか理解することができない。明治時代、西洋の学問を受容する際にも、デザインは芸術のおまけとして扱われている。最初期だと詩と絵画すら同じようなものとして認識されている。これは文人画なんかの影響もあるのかもしれない。

日本というのはこういう文化風土を持っていて、だから「デザインなんて人の好き好き」といった不思議な意見が普通に交わされてしまう。良いデザインは絶対のもので、好き好きなわけがないのだが、今の佐野さんが置かれている常に怒られ続けるといった状況はみんなが大嫌いだと思うし、こないだテレビを見てたら、佐野さんの顔がバーンって出てきて、こいつがデザイン盗用しやがったみたいな雰囲気の番組をしていて、人権がかなり薄味でヤバかった。だから私は個人的には佐野さんは本当に運が悪いよなって思ったし、佐野さんのことを庇うようなことをしようと思いました。あといろいろ分析みたいなことも書いたら、頭良さそうにみえるなって思った。だからサンフランシスコ?の山小屋みたいなところ(格好良い感じの家? 別荘?)で、この文章を書いています。なぜそんなことをしているのかというと、みんなからこの人は優しい上に、鋭い分析をする偉い人だと思われたいからで、そろそろみなさんがこの人は優しい上に鋭い分析をする偉い人だなと感心しはじめている頃合いだと思う。まあそれ程でもないんですけど、みなさんがそう思ったのなら、そうなんだろうなと私は思います。

それでテレビの話に戻るんだけど、とにかくテレビ見てたら佐野さんって人の顔がバーンって出てきて、こいつがデザイン盗用しやがったみたいな雰囲気の番組をしていてヤバかった。この国に正義はないのかと、私は怒りに燃えたわけだが、ところでみなさんはサブリミナル効果というのをご存知だろうか? 映画が映写されているスクリーンの上に、コカコーラのスライドを1/3000秒ずつ5分ごとに繰り返し二重映写するとコーラが売れるというものだが、佐野さんの場合は5分間ずっと写ってる。これをコーラに換算すると、計算するのが面倒だからだいたいで書くけど、サブリミナル映像の3000倍x5分くらいの勢いでコーラを買ってしまうということになる。だから私も佐野さんが泥棒だとは思っていないけど、サブリミナル効果でうっかりこいつ泥棒かって思ってしまう。

少し話は変わるんだけど、私は3年ほど前に、自転車を盗まれました。まだ犯人は捕まっていないが、ここにきて容疑者として浮かび上がってきたのが佐野さんである。なぜ佐野さんなのかというと、あまりにテレビで佐野さんがデザインを盗んだ盗んだと騒いでるから、サブリミナル効果によって俺の自転車も佐野さんが盗んだんじゃないかと疑い始めたという経緯がある。私の自転車は一五年くらい乗っていたもので、かなりボロかった。佐野さんは頑張って仕事をする人だから、自転車くらいすぐに買えるくらいには、収入はあるだろう。だから私の自転車を盗んだのはまず佐野さんではない。それは頭で理解できるんだけど、ついつい佐野さんを疑ってしまうのがサブリミナル効果の恐しいところだ。

私の意見だけど、佐野さんは東京五輪のエンブレムは盗作していないと思う。他のはいろいろあったんだろうけど、まあ悪気はなかったんじゃないのかな? だけどテレビで佐野さんはすぐ盗むとか放送していたし、私の自転車を盗んだ犯人の可能性は高い。テレビが嘘言うわけないからなッ! 謝罪している暇あったら俺の自転車を今すぐ返しにこいよ馬鹿野郎がと言いたいところだが、私の自転車を盗んだのは絶対に佐野さんではない。世界中の人間が佐野さんが犯人だと決め付けたとしても、私だけは佐野さんを信じている。そんなにみんなが疑うんだったら、3年前に俺の自転車が盗まれた日になにをしていたか、佐野さんに聞いたら疑いは晴れると思うけど、アリバイなんかいくらでも偽証できるからな、お前絶対に許さんぞってなるけど、私の自転車を盗んだのは近所の大学生だと思う。大学生の半分は人間の屑だから、もう犯人は大学生で確定ってことでよいと思う。でも3年前に佐野さんが大学生だった可能性も否めない。つか玉川?とかそういう美大で先生してるらしいな、大学生の半分は人間の屑なんだから、クズの総元締が俺の自転車盗んだに決ってんだろ絶対許さんぞといった様に、サブリミナル効果は人間を壊してしまう。あまりの危険性から米国連邦通信委員会で公聴会が開かれ、サブリミナル広告は禁止されることになった。日本では1995年に日本放送協会NHK)が、1999年に日本民間放送連盟が、それぞれの番組放送基準でサブリミナル的表現方法を禁止することを明文化したという噂すらある。佐野さんの取引先のオッさんがサブリミナル効果によって、佐野さんは佐野るから瞬間接着剤で湯呑みを貼り付けなきゃーなどとホザくのも致し方なしといったところであろう。

そんな疑惑とはどうでもいいとして、未だに佐野さんの不運は続いている。奥さんから毎日ローキック喰らわされながら「おいエンブレム野郎、お前この大量プラモどうすんだよ、作れよダボハゼが」とか罵倒され続けてると思う。小柄な女性とはいえ同じ位置ばかり執拗に蹴ってくるからダメージが蓄積されて、すでに足腰立たない状態になってる可能性があるし、とにかく悲惨としか言い様がない。私の自転車を盗んだ犯人は未だ不明だし疑わしい人間は1人しかいないが、この短期間で佐野さんは普通の人が人生で怒られる総量の5倍くらい怒られてるし、もう十分に罰は受けた気がする。

そういや私はこの文章を、佐野さんの状況が酷すぎるから擁護しようと思って書き初めたんです。だけど下手に擁護して頭に血が昇ったアホが突進してきて、俺まで怒られたら嫌だよなーなどといった人間として至極当り前の損得勘定が発生し、途中で佐野さんにちょっと説教するみたいなことも書いとくかとか思った。そうこうするうちに、私の盗まれた自転車の事を思い出し、書いてるうちにムカ付いてきたというのもあってこういう結果になりましたが、どうして俺はこうなのかな……好意でやったことなのにいつもみんなが嫌な顔をするんだなどといった、惨憺たる気持になりました。この様にサブリミナル効果と自転車泥棒は人間の心を壊してしまうわけだが、ボロいし誰も盗まねぇだろといった雰囲気で自転車に鍵をしてなかった私が悪いと思う。

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表徴の帝国 (ちくま学芸文庫)

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