山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

無為無策だとどうなるのか試してみたら普通に無為無策なことをしたような結果だった

『忍術漫遊 戸澤雪姫』を電子書籍にした

大昔に、アマゾンジャパンには電子書籍を売る機能がなかった。その時にルールの穴のようなものをついて、強引に電子データを売ったことがある。なんでそんなことをしたのかっていうと、したかったからしただけで深い意味はない。その時は色々宣伝のようなことをしたので、まあまあ売れたけど、お金はあんまり儲からなかった。そこそこ楽しくほどほどに苦痛であった。

今ではそんなことをしなくても KDP(Kindle ダイレクト・パブリッシング) っていうのを使うと、個人が普通に電子書籍を販売することができる。電子書籍自体も普及して、私の本も出版社の人たちが電子化してくれて販売されている。

強引に電子データを販売した時のことを今になって考えると、私にとっては意味があったけど、文化にとってはあんまり意味のある行為ではなかったなと思う。今では私の知識量もわりと増えて、文化的に意味のあることができるようになってきているような気がしている。そんなわけで今回は『忍術漫遊 戸澤雪姫』を自分で電子書籍にして販売することにした。これは note で公開してる『忍術漫遊 戸澤雪姫』をもとに KDP用のデータにしたものである。

『忍術漫遊 戸澤雪姫』 は note で多少は話題になった。

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しかしほとんど読まれなかった。正確には解説までは読んでもらえるんだけど、最後まで読んでもらえないっていう感じである。

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数字で見ると全国でだいたい180人くらいの人が『忍術漫遊 戸澤雪姫』を読破したといった雰囲気だった。

読みにくい、他の娯楽のほうが面白いっていうのが大きな理由なんだろうけど、私の感覚だと人は無料のコンテンツをそんなに一所懸命に消費しようとしないといった傾向があると思う。『忍術漫遊 戸澤雪姫』は昔の子供向けの物語で、ほとんどの人は文体になじみがない。あと正直なところを書いてしまうと、任天堂のゲームのほうが1000倍くらい面白いと思う。それでいて役に立つわけでもない。最後まで読むための難易度は、普通の本よりかなり高いはずだ。

そんなわけでお金を払ったら無理してでも読む人もいるのかなと考え、KDPで電子書籍にしてみた。面白いのは『忍術漫遊 戸澤雪姫』に値段をつけたことによって、note で公開している『忍術漫遊 戸澤雪姫』にも640円が無料といった価値が付いたことで、価格っていうのは変なものだなと思った。

note.com

自分で電子書籍にしてみて、やっぱりプロの編集がいないとダメだなって実感した。誤字脱字はあるんだろうし、解説の表示の仕方などももうちょっと工夫できるはずだと思う。

それとは別に試してみたかったこと

『忍術漫遊 戸澤雪姫』 は2018年に公開して、ずっと放置していた。まあこれでもいいかなっていう感じであった。

ところが最近になってちょっとした事情があり、テキストファイルを EPUB 形式に変換するスクリプトを書いた。その時に、そういやこれ使ったら『忍術漫遊 戸澤雪姫』を KDP で売れるのかって思った。『忍術漫遊 戸澤雪姫』は『春江堂 大正十二(一九二三)年』を底本に、解説を加え電子書籍化したものである。読み取れない場所、イラストの位置などは、『忍術漫遊 戸沢雪姫 春江堂 大正十五(千九二六年』 『忍術漫遊 戸沢雪姫 春江堂 昭和十(千九百三十五)年』『忍術戸沢雪姫 千代田文庫 キング出版社 無刊記』で確認をしていて、わりとテキスト化に手間がかかっている。その上で当時の関連文化の解説なんかも書き加えた。

なんでそんなことをしたのかっていうと、どっかの出版社が『忍術漫遊 戸澤雪姫』を出そうと思ってくれたら、より良い品質で『忍術漫遊 戸澤雪姫』が流通するからなんだけど、今は文化にお金が流れない時代なんで、そんな酔狂な奴らはいなかった。このまま放置しておくのは惜しいなと思い、公開に到るといった感じである。

note で公開した時には、それなりに読まれるように色々としてたんだけど、今回は無為無策で売ることにした。EPUB に変換するスクリプトを作ったり、『忍術漫遊 戸澤雪姫』を読み直して修正したり解説を加筆したりするのがダルかったのと KDP が思ってたより面倒くさくて疲れたのが一番の理由だけど、なんもしないとどうなるのかちょっと試してみたいなっていうのがあった。

個人的な考えだけど明治時代から戦後しばらくまで楽しまれていた物語の世界を1万人くらい知っている社会と、そんな文化はなんも知らんっていう社会と比べると、前者のほうがずっと良い社会だと思う。なので私は明治娯楽物語の解説なんかを書いたりする活動を続けているんだけど、直に読んでもらうのが一番だよなってわりとずっと考えている。『忍術漫遊 戸澤雪姫』は大正時代に明治の技術で書かれた古くさい書籍ではある。しかし20年くらい子供に読まれ続けた物語だ。それなりに価値があるんだから、なんもしなくてもそれなりに読まれてもいいんじゃないかなとか思っている。

もうひとつは立川文庫とその類書に対する社会の評価も知りたかった。『忍術漫遊 戸澤雪姫』も、立川文庫の類書である。

立川文庫の再評価がされ初めたのが1960年代、その後も何度かブームのようなことがあったんだけど、作品ごとに評価がされることはほとんどなかった。今は2020年代で、そろそろ立川文庫とその類書に対する評価の精度を上げてもいい頃だと思う。

猿飛佐助が登場する真田幸村の物語は確かに名作なんだけど、荒唐無稽っぷりの面からすると三郎丸シリーズのほうが優れている。『忍術漫遊 戸澤雪姫』は立川文庫とその類書の中では、標準的で平凡な物語なのだけど、忍術使いのお姫様という異色の設定であり、一定の評価を得てもいい。そういった判断や批評が、もうちょっと出てきてもいいくらいには、今は文化が成熟してきているのかなと感じなくもない。だからなにもしなくても『忍術漫遊 戸澤雪姫』が、売れまくってもいいんじゃないかとか考えた。

これが売れることで立川文庫とその類書の、まともな選書が出るとかになったら最高だと思う。ついでに5000冊くらい売れたら、もっとマイナーでウケが悪そうな作品を個人的にテキスト化してみたいというのもある。それじゃちょっと宣伝してみようかなって思った反面、どうしても無為無策でやってみたいという気持があって、要するにどうなるか知りたいのである。

あと社会には有形無形の広告といったもので溢れていて、けっこう疲れるっていうのがあった。私自身も作為的に色々とすることが多い。今回も KDP の仕組みを調べたら色々できるんじゃないかとダークサイドに陥りそうになったんだけど、たまには無為無策もいいんじゃないかと思った。ついでに広告なしでも売れるわみたいになったら、広告が減って面白い。

残るは純粋な好奇心で、とにかく無為無策だとどうなるのか知りたくてたまらず、無為無策で売ってみたら5冊くらいしか売れなくて、やっぱり無為無策では駄目なのかーっていう感想であった。

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人生のある一時期に社会学に興味があったからなのか、私はこういう実験のようなことをするのが好きで、結果がでるとヘーってなる。5冊くらいしか売れてるのは私がツイッターで宣伝したからで、この部分は無為ではなかった。宣伝のツイートもしないくらいに無策を追求できなかったのは残念で、科学的な行為ではなかったなと反省している。なにはともあれ最近はこういうことをしていなかったので、こういう感じだったよなと思い、なかなか満足感があり楽しかった。

その他の感想としては、今回の作業をしながら立川文化とその類書の評価を上げるみたいなことを考えるのが、予想以上に面白かった。本当に立川文化とその類書の評価が変ると、人間の価値観も多少は変化してますます面白そうなので、来年度もまた違う形でなにかしてみようかなとか思ってるけど、年が明けたら忘れてるかもしれない。