山下泰平の趣味の方法

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渋谷のハロウィンと伝統

今年も渋谷のハロウィンが開催された。毎年10月31日に変な格好をして渋谷を練り歩くという趣旨を持つ日本の奇祭で、それだけならいいんだけど、2018年度は暴徒と化した変な格好をした人が奇声を出して暴れまわり、強盗したり軽トラを横転させたりした上に、菓子を歩き食いしてボロボロこぼしたため、普通の人々が大迷惑を被ってしまった。今やハロウィンは、社会問題となっている。

それじゃ止めろよって思うんだろうけど、どうしても渋谷でハロウィンをしたいっていう人がいるんだから仕方ない。なんで渋谷なのか、駒木町ではだめなのかなんて疑問が湧き上がるとは思う。しかし駒木町の人も渋谷のハロウィンがやってきたら迷惑なんで、とにかく変な格好をした人を渋谷に追い詰めて逃げ出さないようにするみたいな町内合戦の様相もあるわけだけど、なんでハロウィンが社会問題になるのかっていうと伝統がないからだ。

日本では昔から様々な祭が毎年開催されているが、古くからある祭でトラブルが大量に発生したりはしていない。トラブル発生する祭もあるけど、あれはトラブル込みで祭になってるんだから問題ない。長年開催されている祭は、トラブルに対処するためのハウツーが蓄積されている上に、利権やら町内の力関係みたいなものが確立されている。だから滞りなく祭は進行する。最近は伝統軽視の傾向があって、金銭でのトラブルやら、盛り上げ役の刺青したオッさんが御輿の上で暴れるが禁止になったりしているけど、祭が盛り下るだけでメリットなし、伝統の前では脳のスットロい奴の考えることとかは意味がないし考えるの止めていただきたいものですねぇといったところであろう。

それで渋谷のハロウィンに話しを戻すと、伝統が出来てくるとハロウィンも安全なものになる。毎年10月31日に日本の奇祭渋谷のハロウィンが開催されます。もともとハロウィンは秋の収穫を祝い悪霊を追い出す祭りでしたが、カボチャをくり抜き目鼻口をつけた提灯みたいなクダラネーものが娯楽の少なすぎるアメリカ人に大ウケ、夜には怪物に仮装した子供たちが近所を回り菓子をもらったりする祭となりました。日本には平成期に不景気とクソゴミみたいなことばかり実行される政策に苦しみストレス溜りすぎた市民たちが、海外のハロウィンの様子を真似て、奇妙な格好で奇声を上げながら渋谷で軽トラを横転させたことが始まりと伝わります。参加する人たちは、奇妙な服装で歩きながら飯を食い、奇声を上げてトラックを横転させて景気の向上を祈ります。軽トラを皮切りに、2トン、5トンと徐々に大きくなるトラックを横転させていき、最終的には25トントラック(積載重量も大幅オーバー)に挑むという勇壮な祭としても知られていますみたいになったら、社会問題にならない。

ただしここまで行くのはなかなか難しい。祭ではないものの、相撲は立派な娯楽に成長している。これもどこかのタイミングでミスってたら多分ダメになっていて、例えば土俵に女を上げないなんてルールを作って格式の高いものに仕立て上げている。昔は女相撲なんてものもあって、別に女性が土俵に上がるの問題ないような気もしないでもないんだけど、とにかくダメなものはダメ、そもそも女性が土俵に上ったら格式が下がるのかっていうとそんなわけないけど、やっぱりダメなものはダメなんだッ!!って決めちゃうことで高級感が出るわけである。今だったら逆に土俵に女性が上ってもいいよってしたほうが高級感が上がるんだろうけど、とにかくそういう風に伝統っていうものは作られていく。将棋なんかもよく似た感じの構造だと思う。

失敗した例だと火を持って歩くという行事があって、こちらは提灯行列として一応は残っている。火を持って行進するという奇行は、1873年に開成学校でミルレル教頭の誕生日を祝うために実施されたのが最初とされていて、1889年には憲法の発布を祝って学生たちがたいまつを持って行進をしている。後に木造建築の日本で火を持って歩くの危険すぎだろといった批判もあって、提灯行列になってしまった。どこで読んだのか忘れたのであくまで参考程度に留めておいて欲しいんだけど、学生が火を持って行進し始めてしばらくすると、あっちがたいまつならこっちはカンテラだとか、俺のたいまつが最強にデカくて燃えてるとか、行列の長さで威張るような馬鹿たちが発生、火の勢いが原因で大喧嘩となり怪我人が登場、こいつら狂ってるし危なすぎるだろみたいな雰囲気となり、火を持って行進するの禁止みたいなようなエピソードがあったような気がしないでもない。

それじゃ提灯行列がなぜ良いのかっていうと、まず火事の心配が少ないという明確なメリットがある。そして大きな事故の後、行列は4列まで、女子供は行列に加わることができず、酒気帯び提灯や馬や人力車にのりながらの提灯は禁止といったルールが誕生している。ルールが発生して行事が続くとノウハウが産れる。数十回も提灯行列を続けていると、流石に興奮しきったアホも減少し、やがては伝統になっていく。

その後も、提灯が長ければ長いほど良いんだッと思い込み行列の長さを追及するオッさんが登場したり、普段は普通の提灯行列でいいけど戦争に勝った時だけは提灯優美すぎるから昔みたいに火をボーボー燃やしなが行列すべきだとオッさんが主張したりと、様々な人物や意見が登場したが、なんだかんだで今の形に収まっている。ちなみにカンテラ行列については、カンテラに習熟しているという理由から慶應生のみ許されていて、昭和の初めくらいまで残っていたみたいだけどよく分からない。慶應生は全員がカンテラに習熟するってのも意味分からないけど、これも伝統の力なのだろう。

こういった過去の事例から学び、渋谷のハロウィンが伝統にできるのかっていうと、これはまた少し難しい。ハロウィンは西洋から来たものだけど、日本の風土に根付いたものにできなくはないような気がしないでもない。今じゃ提灯行列も日本っぽいけど、もともとは西洋からやってきたもので、ハイカラなものであった。そのため蛮カラ優勢の熊本の旧姓高等学校では、提灯行列反対派が主流、その中で賛成派が命懸けで提灯行列をしたみたいな話も残っている。続けているうちに、なんとなく日本っぽいものになってしまったというわけだ。だから渋谷のハロウィンも続けていたら日本っぽくなるんだろうけど、トラックを横転させるのが難しい気がする。日本には国民映画トラック野郎の影響もあり、みんながトラック大好きである。当り前だけどトラック横転反対派が優勢だ。懐の深い哥麿会の人々は許してくれるかもしれないけど、もちろん私もトラック横転に大反対、それでも圧政に抵抗した民衆たちが、トラックを横転させた気持は大切にしてあげたいような気もしないでもないけど、私の好きな祭はもっそう祭りです。

奇祭風土記

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