山下泰平の趣味の方法

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舞姫の主人公をボコボコにする最高の小説が明治41年に書かれていたので1万文字くらいかけて紹介する

舞姫の主人公をボコボコにする小説が明治41年に書かれていたので1万文字くらいかけて紹介したいと思います。

舞姫の主人公を殴れば解決するのでは?

森鴎外による舞姫っていう小説がある。舞姫の内容を知らない人のためにあらすじを書いておこう。

子供の頃からずっと勉強してた太田豊太郎は22歳になると国費でベルリンに留学、ところがヨーロッパの文化に触れ近代的自我に目覚めてすごい苦悩をする。色々あって豊太郎は踊り子のエリスと仲良くなるんだけど、ついでに無職になってしまう。親切な友達の紹介で職をゲットしたらエリスが妊娠、なんだかんだでロシアへ仕事に行くことになる。エリスはメチャ手紙を書くけど豊太郎はだんだんうっとうしくなってくる。そんなある日、ナイスタイミングで友達が日本に帰国したら金ゲットできるって耳寄りな情報をくれたので、じゃあそうしよっかなーって思ってるうちに病気になって気絶してたら、雰囲気読めない友達がエリスに豊太郎は金儲かるから日本に帰ると報告、エリスは豊太郎が自分よりも「金」を選んだこと知り狂人となってしまう。ヤバいから豊太郎は日本へ逃亡するんだけど、船の中でまあ雰囲気読めねぇ友達の責任だろみたいな荒っぽい責任転嫁するといった物語である。

ところで舞姫を読んで、豊太郎ボコボコに殴ったら女の病気なおるんじゃねぇか? 殴ったらいいんだろがボコボコにしろよ糞馬鹿がって思った人もいると思うんだけど、そういう小説を明治の41年に書いてる人がいる。豊太郎絶対に許さんぞって思った人は、やっぱり明治にもいたわけです。

作者は星塔小史、小説の題名は「蛮カラ奇旅行」で、題名の時点で「舞姫」より名作であることが伺える。私はこの作者が好きで至るところで紹介してるんだけど、正体は不明、東京専門学校(今の早稲田大学)の卒業生ってことだけは分かっている。

「蛮カラ奇旅行」の主人公は島村隼人、正統派の蛮カラで、外見はこういう感じ。

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BMというのはBankara(蛮カラ) Man(メン) の略、蛮カラとはなにか、身なりや言動が粗野なことである。あとすぐに人を殴るという特色もある。蛮カラは基本的に一般人より強い。その蛮カラの中でも島村隼人は特別無駄に強い。柔道の達人である上に、パンチ力もあるし、武器も扱うことができる。そしてハイカラをものすごい憎んでいる。性格はこういう感じ。

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豊太郎とは正反対の人間である。

ある日のこと、島村隼人はそもそもハイカラとはなにかと考えた。ハイカラを一言で説明すると、西洋風に生活する気取った人間だ。だったらハイカラの元凶である西洋人を殴ったら蛮カラの勝ちでは?白人殴るか殺すかしたらハイカラとか絶滅するだろ、直接殴ったら終りじゃという狂った結論に達してしまい、島村隼人はハイカラ討伐の旅に出る。

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別に極端に書いてるわけじゃなくて、本当にそういう物語であるというのが最高であり、島村隼人は悪い奴はすぐ殺害するヤバい野郎である。

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舞姫の主人公の太田豊太郎は近代的自我に苦しんだけど、蛮カラ奇旅行の主人公島村隼人なら近代的自我とか2秒で殺せるわけで、いよいよ世界蛮カラ旅行へと出発するのであった。

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冒険旅行ブーム

少しだけこの作品の歴史的な位置付けを書いておくと、明治の三十五年あたりから、冒険旅行が流行していた。有名なところだと、中村春吉の自転車による無銭旅行なんかがある。中村春吉の作品は実話とされているわけだけど、この時期は実話と虚構の境目が曖昧だから、小説と同じような位置付けって考えてよい。今もたまにあるジャングルの奥地で大冒険なんてスタイルは、すでにこの時代には確立していた。とにかく斬新な旅行物語を書いたら勝利だろっていう風潮があって、エスカレートしすぎて裸体で旅行したりする奴も出てくる始末であった。

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裸体旅行

様々な冒険譚が書かれネタ切れ寸前の時期に書かれたのが「蛮カラ奇旅行」である。物語のコンセプトは単純明解で、読者も無銭旅行や冒険旅行なんかの物語に飽きてきてるから、現在の貨幣価値で50万円ほどの金を持って海外の都市を普通に旅行しながら、しかしメチャ強い奴が外人を殴ったらウケるだろといった荒いもので、殴る以外は一周回ってただの旅行になってしまってるんだけど、そういう状況って今もあるからそういうものなんだと思う。もっというと「蛮カラ奇旅行」よりさらに普通の旅行をしてる奴もいる。

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帰省旅行

こういう時代もあったんですねぇといったところである。

島村隼人、エリスに刺されそうになり豊太郎を殴ることを決心する

様々な意見があると思うが、とにかく島村隼人はハイカラを殴り歩くため海外へと出発、船内で金髪碧眼の女に刺し殺されそうになる。汚い画像で申し分けないけどナイフを持っているのがエリスです。

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エリス人相ヤバいし普通だったら慌てるけど、島村隼人は蛮カラだからな。柔術でナイフもぎ取ると、ザックバランに質問するわけである。

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こういう感じの会話をしているうちに、狂女の母親がやってきて事情を説明する。これは私の娘です。日本の留学生と婚約したものの、男は黙って日本へと帰国、母と娘は日本にまで出向き、なんとか留学生の実家を探し当てたが、男は許婚と結婚したというけんもほろろの挨拶でした。もう男は帰ってこないと知った娘は、とうとう頭が狂ってしまい男と姿形の似ている日本人を見るとナイフで刺そうとするのですと涙ながらに語った。実に悲しい物語だが、星塔少史の章題はもちろん荒い。

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悔しくて悔しくて仕方がないと語る母親に同情した島村隼人は、蛮カラ奇旅行の後、絶対にその日本人を探し当てボッコボコに殴ろうと決意する。

舞姫との差異

実はこの作品、よく読むと舞姫と設定が色々と違う。

舞姫の舞台はドイツだが、蛮カラ奇旅行のエリスはシェークスピアの墓の近所に住んでいる。また舞姫の主人公の父親はこの世を去っているが、この作品では親父がメチャ元気に生きてる。あとエリスはイギリス人なんだけどなぜか雪枝さんって名前で、太田豊太郎は織部欽哉(おりべきんや)となっている。現代人なら舞姫と全然違うし関係ないだろって思うんだろうけど、この作者はお前ら現代人の常識を超えていい加減な奴である。この人はシャーロックホームズシリーズの翻訳もしてるんだけど、作中で清水次郎長一家が活躍したり、ホームズの名前が堀見射六(ほりみしゃろく)になってたりする。

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ホームズの翻訳が出来るんだから、当然ながら英語は読める。知らないドイツを舞台にするよか、自分が知ってるイギリスを選ぼうってのは自然な成行である。あと「蛮カラ奇旅行」は漱石の「坊ちゃん」の微妙なパロディーも出てくる作品である。親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている坊ちゃんは親父に勘当されそうになって清が謝罪してくれるが、子供の頃から狂っていた島村隼人は女教師の尻をバッドで殴り付けたため父親から勘当され陸軍大尉の叔父の元で蛮カラ修行をして無駄に強くなるといった感じである。こういう作品だから、舞姫の要素が入っていても不思議ではない。

もっと言うとこの作品は、海外の小説の一部分を適当に翻訳して切り貼りして書かれている。こういういい加減さは、現代の感覚だと理解しがたいかもしれないけど、昔はそういう小説が存在していた。というわけで細かい差異とかは抜きにして、雪絵がエリスで織部欽哉は太田豊太郎と考えるのが妥当だと思う。

そんなの滅茶苦茶だろって思うかもしれないけど、そういうものなので仕方がない。納得したい人は明治の新聞小説とか翻案小説を読み込んでみると理解できると思うけど、とにかく島村隼人は帰国したら豊太郎を殴りに行く予定で、こんな狂った人間に付け狙われる豊太郎は運が悪い。

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ハイカラを討伐しよう

隼人は豊太郎を殴るため帰国しないといけないんだけど、まずはハイカラを討伐する必要がある。そこで島村隼人はインドで強盗団を殺したり殴ったりして改心させたり、海賊と殺し合いをして勝利したりするうち、なんだかんだで無人島へと到着、そこで宝を探し当てて500万円という金をゲットするのであった。今でも500万は高いけど明治40年くらいだとものすごく高い。難しいんだけど100-500億くらいの価値がある。もう舞姫の主人公の生涯収入超えちゃってるわけで、絶対になにがあっても豊太郎に勝目ない。

しかし島村隼人は蛮カラである。金とかあんまりどうでもいいから、400万円を使ってパリの伯爵夫婦を惨殺する。

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なんでそんな狂った行為をするのかというと、もちろん狂ってるからなんだけど、惨殺した後はパリやロンドンを徘徊してハイカラを殴り歩く。

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この後も色々とあるんだけど、主な出来事としては島村隼人が怒って人殴ったり殺したりするといった雰囲気で、旅行中に殺した人間の数は確定しているだけで9名、不確定なものを合せると30人くらいかな? とにかく命が軽くてすぐに人を殺す。

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島村隼人は無駄に強い。舞姫の主人公豊太郎というか鴎外の小説の登場人物を島村隼人一人で皆殺しに出来る。もう鴎外の小説とか意味ない。

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アフリカ人と帰国しよう

なんだかんだで島村隼人はアフリカ人のアルゴを引き連れて日本へと帰国、なぜアフリカ人なのかというと、蛮カラの本家本元はアフリカの蛮人だからっていう理由なんだけど、今ならアウトだと思う。

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実はこの作品は前編後編に分かれていて、イギリスのジイさんと島村隼人(両人共イカれた野郎)が子供を集めてスパルタ方式で武士道と騎士道を徹底的に教え込み、世界を統一するというのが最終目標である。この狂った集団の名前は世界統一倶楽部で、最高さしか見当らない。

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基本的な決まりはというと、もちろんハイカラを撲滅することである。

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ちなみにアルゴも世界統一倶楽部の一員なのだが、麦を使って米やパンを超える主食を発明したりする優れた男として描かれている。さらに武士道と騎士道を同時に身に付けているだけでなく、弓術と捕縛術の達人で神速の神業を持っている。

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アルゴは脱出不可能とされた孤島にある牢獄から脱出するついでに、海賊組織を壊滅させて無政府主義者の組織をブッ潰したりもしているし、物語で起きるトラブルの6割程度は彼が解決している。作中きってのチートキャラで、仮面ライダーでいうとギギとガガの腕輪を装着した完全体のアマゾンで最早国籍不明だと言えよう。

この物語の中では、黒人とか白人とか黄色人種とか関係ないし宗教とかも意味ない。全ての頂点に蛮カラが位置しているのだから、本家本元のアフリカの蛮人が一番偉いという結論が出るのは当然である。

世界統一ブームがあった

世界統一倶楽部ってイカれてるよなーって思うかもしれないけど、これも実はちょっとしたブームだった。世界発展倶楽部とか作ったりするような奴らもいた。

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世界統一って八紘一宇なんじゃないのって思う人もいるかもしれないが、世界統一倶楽部のほうが先に成立していて、コムトの人類教やカントの『永遠平和のために』から発展して発生した思想である。

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ただし私は高校生の頃に翻訳したものを読んだだけなのであんまり記憶に残ってないんだけど、『永遠平和のために』はハイカラ皆殺しにするとかそういうものではなかった気がする。永久平和という妄想を、徐々に現実的な解決策としていくプロセスがすごいスリリングで面白かった記憶があるけど、全てが曖昧なのであんまり自信ないものの、とにかく今すぐ世界を統一したら平和だろ俺が外人殴り倒すとかそういう短絡的な話ではなかったと思う。

永遠平和のために

永遠平和のために

しかし明治の短絡的な奴らは、我々が想像するよりも著しく短絡的である。世界統一っていうカッチョ良い文字列を見た瞬間に興奮して、それじゃ俺らが世界統一して永久平和ゲットするみたいな雰囲気になってしまった。理解のレベルとしてはこういう感じである。

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腹立ったしもう世界統一するってのもヤバい気するけど、西洋の思想からスタートしてるってのは事実であって、純粋に平和のために俺ら活動するっていう流れがあり、それが世界統一ブームにつながっていく。八紘一宇系の考え方にも、2ミリ程度の影響は与えていることだろう。

こういう考え方自体は、別に悪でもなんでもない。ある時代のある人々にとっては、侵略戦争とも関係ない思想である。戦後の余裕のない時期に、知能の薄い奴らがなんでもかんでも侵略戦争と結びつけて、良い文化までなかったことにしちゃったのは実に残念だけど、そんなことより島村隼人が豊太郎をボッコボコに殴るところ紹介してなかったな。アルゴと島村隼人に、さっさと豊太郎を殴ってもらおう。

豊太郎廃人となる

いよいよこの物語の終りも近い。

日本に到着した島村隼人とアルゴは、東京へ向うため汽車へ乗るがあいにく満席、ふと見ると一人のハイカラ紳士が二三人分の席を占領し新聞を読んでいる。それのみならず側に旅行鞄まで置いている。アルゴが「あなた少し小さくなりなさい。私がここに座りますから」と言いながら、鞄を紳士の側に寄せて座ろうとすると紳士が激怒する。紳士とアルゴが喧嘩を始めたため、二人を宥めようと割って入った島村隼人だったが、ふと鞄に付けてある名刺を見ると織部欽哉と書かれていたため殴ることにする。

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殴られた豊太郎の織部欽哉は茫然自失である。

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エリスの病気はというと、舞姫の主人公殴ったら治ったしめでたいみたいな感じである。

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色々あったけど病気が治って良かった良かったというわけで、みんなで万歳をしてこの物語はおしまいである。

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舞姫のために

私は舞姫よりも舞姫の主人公を殴りつける小説のほうが好きなので、舞姫自体はどうでもいいかなって思ってたんだけど、ヤフー知恵袋なんかを読むと、舞姫についてわりと間違ったこと書いてあったり、一字一句正解皆無みたいなのすら発見しちゃったんで、最後に軽く解説を書いておくことにする。

舞姫は教科書に掲載されてたりして、わりと有名である。無理矢理読まされてクソつまらんって思った人もいると思う。理解できてないから面白くないんだッ!!! みたいなことホザく奴いるけど、つまらんってのはわりとまともな評価です。舞姫を書いた鴎外は二十代の後半で、年齢を考えるとペラい小説になっちゃうのも仕方ない。いかに鴎外が偉大であっても、産まれた時からこんな顔していたわけではない。

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鴎外にだって、やっぱり若くてヤンチャな時期もあった。あの年齢の鴎外の限界があの作品である。主人公が自己中だったりってのも、鴎外がそれを上手に書けなかったってだけの話で深い意味はない。それだけの話である。

ついでに書くと、舞姫の文体は美しいんだとか教えられた人もいるかもしれない。確かに良い文章だけど、美しさだけでいうと並外れてすごいってわけでもない。当時の他の文章と読み比べてみると分かると思うんで、興味ある人は同年代の作品をいつくか読んでみると面白いのでお勧めです。

それなら舞姫は悪い作品なのかッ!!! ていうと、もちろん良い作品である。

鴎外って人はわりと子供っぽいところがあって、漱石が青春小説をヒットさせたのが悔しくて、ヰタ・セクスアリスを書いたりしちゃう。そういう人が海外に出て色々な分野に触れちゃってるわけだから、色々な分野で色々なことを言う。しかし鴎外は全分野で優れた能力を発揮したわけではない。明治の日本にも、特定分野では鴎外よりもずっと詳しく優れた人々がいるわけである。当然ながら鴎外も間違えてたりすることもあって、当時の専門家から馬鹿にされてたりする。ちなみに私は鴎外のそういう性格が、とても好きです。

舞姫も鴎外のそういう性格が書かせた作品で、当時の日本では『小説』っていう分野自体が確立していない。物語を書くなんてのは、下等人間の仕事だとされていた雰囲気でもあった。そういう時代にスーパーエリートの鴎外が小説なんてものに口を出すだけじゃなくて、実際に書いちゃう。鴎外が書いたのは文学であって小説ではないとか、色々な話もあるんだけど、この辺りは複雑なので割愛、とにかく鴎外は小説を書き、その作品はなかなか面白く仕上がっていた。ここに舞姫の価値がある。あと当時の小説というか文学ってのは、今と比べるとすごくレベルが低い。そんな中で現代でも普通にそこそこ面白く読めちゃう舞姫が輝いて見えたのは、当たり前っていうと当たり前の話である。

しかしそれはあくまで当時としてはというレベル、今の人が無理に読んで面白いものではないのも当たり前で、舞姫って面白くないなーって素直に思った人はそれで正しい。そして豊太郎は許せないってのも、やっぱり立派な感想である。ちなみに個人的な意見を書いておくと、舞姫を作品として見ると別にって感じだけど、鴎外というか日本文学の青春の煌きのひとつではあるのだから、やっぱり良いものだって思います。

舞姫に限ったことでもなく名作とされている明治大正時代の作品には、全体的にレベル低かったから当時としては優れてたけど、今となっては微妙っていうものがわりと多い。素晴しい作品が満ち溢れている今、普通の人が昔の名作をツマらんっていうのもよく分かる。文化が進歩したから起きている状況で、良いこととしか言い様ない。だから自分がツマらんって思った気持は、大事にしてもいいと思う。

ただし明治の作品にだって今の人が読んで面白いものはわりとある。鴎外だと『渋江抽斎』ってのがものすごく面白い。

渋江抽斎 (岩波文庫)

渋江抽斎 (岩波文庫)

ちなみに渋江抽斎の息子の渋江保は、先程紹介した『裸体旅行』や『世界発展倶楽部』の作者で『渋江抽斎』に出てきたりする。こういう微妙なつながりも明治の小説の面白いところである。

つまらないものを無理矢理読まされた過去にとらわれず、気が向いたら明治の作家の作品を読んでみるのもなかなか良いものですよ。

『地底探検記』の世界

『地底探検記』の世界