まえおき
今の私は明治大正時代のとある娯楽小説についての本を書いている。だからいろいろ調査したりしているんだけど、その過程で異常なまでにどうでもいい事柄を発見してしまったり、知ったりしてしまう。そういうことを私は、自分でも不思議なくらいの勢いで忘却してしまう。
しかしながら、どんなつまらなくてクダらないことであったとしても、今後真面目に調べようとする人が出てくるかもしれない。そんなわけで、私が発見してし、やがて忘れてしまうどうでもいいことを、ここのブログに書き残していくことにする。
今回は満州日日新報のことを調べているうちに遭遇してしまった事柄で、名古屋の鶴舞公園には金閣寺が二個あり、昭和になると実験で少しだけ燃やしてしまったというお話です。
二つの金閣寺
一九一〇(明治四三)年に今の鶴舞公園のあたりで、博覧会「第十回関西府県連合共進会」が開催された。その際に、金閣寺を模した建物が二つ建てられた。
これは聞天閣という迎賓用の建物。
もうひとつはキリンビールのビヤホール、写真で見る分にはこっちのが再現度が高い気する。
博覧会なので、いろいろな建物がある。個人的にはこの不思議館に行きたい。
関西府県聯合共進会記念写真帖. 第10回で、色々な写真を見ることが出来る。検索したらレファレンス事例詳細に出てきたので、わりと有名な話なのかもしれない。
実験で金閣寺を少し燃やした
ところで聞天閣は、昭和一五年の四月二二日に火事になっている。なぜ火事になったのかというと、鶴舞公園で『木造家屋火災実験』が開催されたからである。
『木造家屋火災実験』というのは、空襲に供えて木造家屋を焼き、燃え方を研究するというイカれた行事である。木造家屋火災実験委員会というのが存在し、各地で『木造家屋火災実験』を開催していたようだ。
もちろん当日燃やすのは『聞天閣』ではなく、実験用に建てられた家屋である。かなり人気があったらしく、観衆は八万人にも上る。
まあ当時のことだから多少は数字を盛ってんだろうけど、とにかく沢山の人が集まった。
ところが当日は、風がすごく強かった。しかしながら日本人の事なかれ主義 + こんな集まってんだから中止とかムリだろみたいな勢いによって強引に実験開始、あっという間に実験用の建物は焼けてしまい、『聞天閣』に飛び火して『聞天閣』は焼けた。
まあ焼けたっていってもちょっとだけだし、実験になったし結果的には良かったんじゃないの? などといった実に日本人っぽい感想も掲載しておこう。
こんなことなるくらいなら最初から実験とかしなきゃいいんだけど、『木造家屋火災実験』は空襲に供えるための大事な実験である。実験データから適切な対策が取られ、昭和20年3月19日の空襲で『聞天閣』は完璧に焼けて消滅した。やっぱり『木造家屋火災実験』意味ないじゃんって思うけど、『木造家屋火災実験』を開催できてた頃っていうのは、まだまだ余力やら余裕ある時代で、やってる人らは楽しかったんだろうなとも思う。
私は『木造家屋火災実験』のことを全く知らなかった。面白いので調べてみたくなったんだけど、今はあんまり余力がない。あと昭和は本当にゴチャゴチャしてるので、あんまり手を出したくない。そんなわけで『木造家屋火災実験』に興味を持った人は、調べてみると面白いと思いますよ。
そして調べた結果をどこかに書いてくれると、私がとても嬉しいです。
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