いきなりだけど戦争した結果、敗戦しちゃって日本全体は、すごい傷付いてたんだと思う。
私はアメリカと戦争してたわけじゃないけど、そりゃ人とか死にまくってるし、嫌な気持だよなーって思う。生きるのに精一杯でそんなこと考えてる暇なかったって話もあるんだけど、知合い死んだら誰だってちょっとはショック受ける。
敗戦した後の少し生活に余裕のある人間の行動なんかを眺めると、かなり悲惨である。敗戦の翌日から日本全体が自由な雰囲気になったわけでもなんでもない。戦争中にしたおかしな発言を発見されたら、ボコボコにされるみたいな感じで、むしろ監視体制ヤバくなってたようにも見える。今と少し似ていて、とにかくすぐ怒る最悪の異常者みたいな奴らが大量にいた。なんで異常者になったのかっていうと、やっぱり傷付いてたんだと思う。
そういうの面倒くさいから、まぁ全員悪いってことでいいんじゃないのって雰囲気になってる。一億総懺悔とかその代表的なもので、あれも批判してた人いるけど、批判した結果反撃されるかもって不安で黙ってた人らがわりと多かったんだろうなって想像に難くない。後からなら色々言えるけど、その時に生きてたらそんなもんだと思う。
そういう状況で過去の事物の評価とかまともに出来るわけがない。歴史は歴史だから仕方ないけど、本来は良い習慣や伝統だったはずのものすら歪んでしまい、今も昔からのおかしな慣習が歪んだままにかなり残ってる。若者の右傾化みたいな話があって、ネット右翼というのが馬鹿にされているけど、あれも戦争の傷を日本全体で癒す行為として眺めると、ちょっと違う感想になってくると思う。
さらにここ数十年くらいで、ようやく終戦前後のことを客観的に見ようみたいな風潮が出てきている。それは良いんだけど、近代の物を眺めたりして遊んでいる人間の一人としてはちょっと微妙だなって思う。例えば戦時中の面白いプロパガンダを単体で見てみると、すごく馬鹿に見えたりする。でもそこに至るまでには様々な人間の幾多の試みがあって、仕方なしにそうなってるみたいな機微のようなものが存在している。まあ色々なことがあった。
そういうの抜きにして、これは馬鹿だとか面白いとか喜んでいるのはちょっと危険だったり、人間の創造力ってものをナメてる気がする。まあ馬鹿は馬鹿なんだけど、その当時はそれなりに一所懸命にやってたのです。戦争を挟んじゃったから結果的に悪いものになったけど、それ以前はかなりすごい水準に逹していた文化とかも大量に存在している。結論だけ見てクソみたいな短絡的なことにならけりゃいいのになって思う。
こんなこと書いたところで仕方ないんだけど、個人的にはもうちょっとまともに近代の瑣末な文化について、真面目に調べたり考えたりしてもいいんじゃないのって思う。思うんだけどほとんどの人は忙しいので、そんなことしてられねぇってのも分かるんだよね。だから最低限、戦争と敗戦でみんながすごく傷付いてたんだ、だから今とは違ってまともじゃなかったんだって認めたほうが良い気がするよなっていうのが私の感想です。