山下泰平の趣味の方法

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「さん付け指導」の今と昔

小学校で「さん付け指導」が行なわれていることのことだ。

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「あだ名」「呼び捨て」は禁止、小学校で「さん付け」指導が広がる

「さん付け指導」が行なわれている理由は「あだ名がいじめにつながるケースがあるため」とされているが、大山田寺さーんと叫びながらダンボールに閉じ込めいじめることは余裕で可能である。だからいじめを防ぐというのは、理由として弱いかなと思う。せめてさん付けの環境とあだ名あり環境で発生したいじめ件数が数字で出ていれば子供も納得するのだろうが、現状だと感覚で適当にやってるだけだと受け取られてしまいかねない。

もちろん敬称を「さん付け」で統一すること自体は悪いことではない。過去にもそのような試みは行なわれ一定の効果はでている。

実は福沢諭吉が生きていた頃の慶応義塾も「さん付け」だった。しかもこれは自発的なものであった。まず福沢諭吉自身が誰を呼ぶのもさん付けで、それに影響を受けた教え子たちもさん付けを始めたという流れであった。

先生の生前には慶應義塾では福澤先生以外には先生という尊称を受けるものはありませんでした。 福澤先生唯一人のみが先生であつて、その外は塾長も、教員も、学生も、先生から見れば等しく皆な御弟子であるといふのと、また先生その人が何人をもさん付けで呼んで、貴賤の差別を設けなかったというところに出るのでありませう。教師を含めみなが福沢諭吉の生徒なのだから、誰でもさん付けで呼ぼうではないかといったものであった。

学生に与ふ 小泉信三 著 三田文学出版部 昭和一六(一九四一)年

福沢諭吉は合理的かつ平等が大好きな人間で、恐らく生徒が福沢さんと読んだとしても「おう」とか「はい」と応えたことだろう。福沢の教え子である実業家の中上川彦次郎も「さん付け」の愛好者だった。彼の場合は福沢だけでなく、キリスト教からの影響もあったようだ。

中上氏は令閨(他人の妻)や令嬢もけして呼び捨てにせず、いつもさん付けであって全く西洋風の婦人敬愛主義であった

懐旧瑣談 矢田績 著 名古屋公衆図書館 昭和一二(一九三七)年

敬称を「さん付け」で統一するのは、慶応義塾のみで行なわれていたことではなく、ある程度一般的なものだった。昭和に入っても「さん付け」で統一する人はいた。

『蚤の足あと 金川文楽著 吉田書店 昭和十五(一九四〇)』で、光燈園の西山天光(意図的なものか誤りなのか、一燈園の西田天香ような気がする)が紹介されている。天光は「さんを付けて呼ぶことは、目下の者には親密さの中に尊敬の念を抱かせ、慕い寄る度合を高める。又、家庭では和やかな雰圍氣を醸し出す元素になると常々云っていた」そうだ。

話を明治期に戻すと「さん付け運動」のようなものもあった。これはいくつかの文化や潮流によって発生したもので、現在の「さん付け指導」よりは理屈が通っている。

まず明治時代に『平民主義』があった。平民主義とは明治二〇年代に、徳富蘇峰によって唱えられた平等の個人を基盤とした社会を目指すものであった。地位や身分による差別の打破や、国家主義への反発などから産まれた主義だが、時代を経て徐々に形が変っていき、労働者や農民による社会改革や、地位や身分で区別せず格式ばらない平等なつきあいを目指そうといった素朴な感覚に変じたりもしている。なぜ平等なのが良いのかといえば、そちらのほうが効率が上がるからだ。

『平民主義』と同時代には、とにかく合理的に考え、効率を上げていこうといった動きがあった。より簡単かつ正確に意見を他人に伝えようという口語文運動、面倒な贈答品の廃止、あるいは迷信の打破などもその流れのもとに発生したものだ。

意外なところでは女性の権利向上も「さん付け運動」に影響を与えている。女性と男性で呼び方が異なると平等ではないといった理屈だ。

こういった流れの中で、様々な場所で敬称をさん付けで統一する人々がいた。私が好きなのが「簡易生活」の実践者たちによる「さん付け運動」だ。詳しいことは下記の本に書いてある。

「簡易生活」は生活を簡易にしようといった思想であり、さん付けで統一したほうが選択肢が減り簡易だという考え方であった。加えてさん付けで統一することで、家庭内の地位も平等にもなる。不平等より平等のほうが簡易であり効率的だ。

目下の者に対する呼び方

妻にせよ、弟妹にせよ、子女にせよ、全て目下の者を呼びますには、必ずサンとか君とか相当な敬語を用いるのが正当であろうと思います。名くらいは何でもないという人もありましょうけど、人類相互の礼儀として決してゆるがせにすべからざることと思います。もしソコに正当の理由があれば今から改正すべしと思います。あえて記者のご意見を伺う。

多年の習慣はまた中々動かしがたいものであるから、今々新たに結婚する人、新たに子を持つ人は、ぜひ最初から決行してもらいたい。

家庭雑誌 堺利彦 明治三六年 六月 二日 一巻第三号

この一文を読んだ読者が家庭にさん付けを導入し、その結果を投書している。

妻を尊重して我と同じ位置において見ると、どーもそーはいかぬ。一方は「アナタ」一方は「オマエ」はなはだ不釣り合いである。なおまた名前くらいはというておると、万事そーなりやすい。

家庭雑誌 堺利彦 明治三七年 六月 二日 二巻第六号 k 生

他人を尊重するため、呼び名を平等にするといった考え方だ。男女の地位に隔たりがあると女性は萎縮してしまう。それなら平等にして力を発揮してもらったほうがいい。敬称の統一にとどまらず、家事も平等にしようじゃないかという人も登場した。

各人のすべきことはお互いに助けを借りぬ。また貸さぬと定め、まずその第一着として、予は朝起きれば自分の寝具の始末より古靴の磨き方、腰弁当の用意に至るまで一切自分にて処理し、いわゆる『亭主ふところ手主義』を打破したと共に、妻はまた妻の職責の上に厳正中立して、いわゆる『貴方恐れいりますが、一寸お手を』主義を全く捨てた。

家庭雑誌 堺利彦 明治三八年 四月 二日 三巻第四号 安用寺生

少し読みにくいので要約すると「家庭で自分のことは自分でする」ということになる。家事の割り当てを平等にすることによって、妻は様々な場所で能力を発揮することができるという単純ながらも合理的な考え方だ。

事例を紹介し続けるときりがないのでここらで止めておくが、今の「さん付け指導」と過去の「さん付け運動」には大きな差異があるように感じられる。

今小学生で行なわれている「さん付け指導」はせいぜい小学校のクラスでやることといった認識で捉えられているようだ。それでなにがよくなるのかというと、先生の勤務時間が多少減るかもくらいの効果しか期待できない。明治時代の「さん付け」にもそれに似た側面もあるのものの、平等さの実現に加えて各人の能力を発揮できる環境を構築し、社会全体を良くしようとするさらに大きな希望のようなものが感じられる。

今の「さん付け指導」に生徒の能力を発揮させようという意図は感じられない。卒業後に「あれはなんだったんだろうか……」といった思い出になるくらいが関の山で、慶應義塾の学生たちが福沢諭吉の「さん付け」に感化されたようなこともちょっと起きそうもない。

別に「さん付け指導」に反対しているわけではなく、実は私自身は実質的には敬称を「さん付け」で統一している。しかし敬称自体は「さん付け」で統一しているわけではない。

よく分からないと思うので解説すると、私はたまに吃音が出ることがあるのだけど、そういう時には話しにくい単語を別の言葉に置き換えたりする。

流石に呼び名を変えるのは変なので、名字の母音に適した敬称、「さん」や「君」あるいは役職などをつけて呼んでいる。それじゃ「さん付け」じゃないじゃないかという話になるんだけど、職場で同じ業務を担当する人たちには、私の「君」や「さん」あるいは役職に意味はなく、吃音が出にくい呼び名で読んでいるだけだと伝えてある。

「さん付けで統一」形式はそれほど重要ではなく、平等にやっていこうぜというのが本質だ。小学校の「さん付け指導」は場当たり的な対応に過ぎず、形式や惰性でやっているのが悲惨な部分で、今の日本の社会の縮図のように見えなくもない。せめて先生も「さん付け」で統一するくらいの思い切りくらいは欲しいような気がしてしまう。