江戸しぐさがよく分からない。
今では嘘っぱちだと周知されているようだけど、過去にも昔の出来事を利用した大小のキャンペーンは行われていて、例えば豊臣秀頼は薩摩に逃げてスペインに攻め込もうとしていたとか、地域の偉人の業績を過大に宣伝するだとか、色々な人が色々なことをしている。だから過去の出来事を多少は曲げて、今に活用するってことにはあんまり驚かない。
江戸しぐさの不思議な点は、あれを普及させたところで別になにも良くならない可能性が高いという点である。「嘘でも結果的によいマナーが浸透すればいいじゃないか」なんて意見があったけど、江戸しぐさが老若男女全国津々浦々に普及したところで別に治安が良くなったりはしない。人類全てが傘かしげを使うようになったとして、流通システムの効率化が期待できるわけでもない。傘をかしげるよりエスカレーターの片側空けを止めたほうが効率良く人間を運べるようになるし、高速道路の車間距離2倍にしたほうが渋滞が減る。
悪くなる可能性もかなりあって、おそらく江戸しぐさの考え方は近代以降のもの、それも緊縮財政が広がり始める昭和に入ってからの考え方が中心で、国民全員が江戸しくさをするとかなり不景気になる上に、仕事できなくてヤバい奴が増えそうでもある。
冒頭で過去のキャンペーンに軽く触れたけど、あれには地域の偉人を過大評価すると自分の県から国に政治家を送り込みやすくなるだとか、外貨を稼ぐために海外で働く人を増やすだとかの目的がある。しかし江戸しぐさには目的がない。道徳教育に使われていたらしいけど、意味ないものを教えているのはかなり不気味である。
善悪は別にして本来は道徳教育には目的があって、親孝行を推奨すると福祉の予算を減らすことができるし、勤勉が推奨されるとGDPが上がる。普通は意味のないことを教えたりはしないと思うんだけど、意味なんてなくていいから良さそうなこと教えときゃいいだろみたいな雰囲気が社会にあるのだとしたら、今後ものすごいヤバいことになるような気がしないでもない。
よく似た事例に政治家の人が古き良き日本の文化を復活させるッ!!みたいな運動をすることがあるけど、あれも効率を上げるだとか経済成長が見込めるみたいな考え方があまりなくて謎が多い。もしも文化には意味なんてなくて、なんか雰囲気でやってりゃokみたいな考え方が流通しているのだとしたら悲惨だと思う。
最近は文化は実利的な意味で役に立つことに気付いてる人も多くなってるみたいだけど、分かりやすい事例がピーチライターで、ウクライナ関連での諸々を見るとその重要さが理解できると思う。
私はもう少し別の方向でも考えていて、こんなこと誰も言ってないと思うのだが、基本的に過去の出来事に関するタブーが少ない集団ほど運用しやすい。これは集団でなくても同じで、長い期間をかけてやることに関して、思い出したくないようなことが増えれば増えるほど失敗に近付く。だから過去の出来事に関するタブーを減らしていけば経済的に成長できるようになる。こういうのを上手いことやる政治的な手法がそのうち登場するような気がしないでもない。
もうちょっと手近で誰でもできる事例だと、私が職場でそういうことをした。
趣味の活動の成果を仕事で使うのは嫌ではあったんだけど、面倒くさすぎたので致し方なしといったところであった。一定以上の成果はあったがその一方で無力感もあって、組織の中の特定業務を効率化したとしても、組織自体の効率が悪ければ、たいしたものにならない。小さな集団で文化を作ったとしても外部との接触はあり、悪い影響を受けたりもする。こういうのをなんとかするためには、なんでそうなったのか歴史的な経緯を広く伝えるのが一番速い気がしている。これは個人ではできない仕事なんで、社会でなんとかして欲しい。そのためには文化は役立つといった実感が必要なんだと思う。
自分の生活に関して私は明治時代の生活法を取り入れたりしている。
それで実際に利益があるので仕事も文化でなんとかしようと思えたわけなんだけど、そういう人が増えて社会が良くなって働かなくても暮せる時代になって治安も良くなり自転車を盗む奴もいなくなりなにもしないで飯食って酒飲んで暮していきたいです誰が俺を助けてくれッ!!!!!!!!!