山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

職場で流行らせたらなぜか効率が上がった言葉を紹介する

なぜか上手くいった

私には面白がってずっと同じことを言う習性がある。それらが職場で流行し意図せず周囲に良い影響を与えてしまい、効率が上ってしまったのが面白かったのでまとめておくことにした。Google や Netflix などで流行らせても意味ない可能性が高く、どちらかというと非効率な組織で使いまくると効果がでると思われる。

一応書いておくと本当に効率的な職場環境を構築するのであれば、こんなマヌケなことする意味ない。しかし効果皆無でも同じことを繰り返していると脳を使わず発話だけが発生し、バーバーなんかしてる気分になるのでみんなも真似したら良いと思う。あと全ての人類がこういうフヌケみたいなことを言い続けてたら面白いと思う。

ちなみにこの話にはフェイクが入っていて、実際にはもっと酷くて雑な感じであった。

人間は自由だからなにしてもいいしなにもしなくてもいい

人間は自由っていうのが面白いので使いまくっていた。これが以下に続く言葉全ての基本になっている。人間は自由だから仕事中でもなにしてもいいし、なにもしなくてもいい。だから自転車の修理をしたり、その辺にある無駄な棚とか捨てたりして遊ぶといった雰囲気になった。なんだかんだで職場であるため、強制力が働くと自由がなくなる場合もあるんだけど、その後は自由なので無言でずっと座ってるみたいなケースもあった。人間は自由だからと犯罪する奴とか出てくるかも……と心配になる人がいるかもしれないが、日本は法治国家なのでいざという時には通報したら解決する。

人間は自由だから寝転んで仕事してもいいとか、人間は自由だから荒縄を服のかわりにしてもいいとか、色々なバリエーションを作るのも重要なポイントで、人間は自由だから晩飯に白飯3合食ってもいいなどといった単純なものが意外に面白いなどの発見もあり有意義であったが、こんなことしてても効率的にはならないと思う。これの派生で職場にいる自由な人間を探す活動もしていたけど、こちらは微妙な結果で残念であった。そもそも人間が自由というのも幻想なのかもしれない……

それはともかくとして良かったのが心理的な安全性が向上したことで、別に変なことしても自由だからいいし、なにしてもいいんだから自分が好きに仕事したらいいみたいなになり、人間の能力が発揮されるようになった気がする。

それお前の趣味な

「それお前の趣味な」も異常に便利であった。効果があった言葉にはチームを強くするものと、外部からの悪い影響を排除するものがあるんだけど、この言葉はチーム内で発生した問題を排除するために役に立った。

私は趣味ならいくらでも面倒くさいことをするんだけど、仕事で苦痛なことをするのは嫌という方針で生きている。これは私の勝手であって、他人に強制することはできない。なぜなら人間は自由だから……

そして職場にはわりと面倒くさいこと(数ヶ月から3年程度なら維持できるが、やがて破綻してしまう手法)をしたがる人がいる。そういう人には一応は面倒くさくならない方法を伝えるけど、本人がそれするのが嫌なら仕方ないので「それじゃお前の趣味ってことで」みたいに処理することにした。人間は自由だからなにしてもいいんだから、職場で趣味に勤しむのも問題ないといった理屈である。

これが良かったのが責任の所在を明確にできるという点で、あくまで個人が趣味でしたことなので、我々とは関係ないみたいな感じで助かった。破綻することが分かっているのならば、その手法を止めさせるためにコミュニケーションをとるほうが良い気がするけど、一回きちんと説明して理解してもらえない人を長時間かけて説得するのは意味がない。多分資質や十分な知識がないんだから、さっさと失敗してもらって別のことを担当してもらったほうが全体の効率は上がるはずだ。だから影響力のある人、例えば立場が上で権力を持つオッさんに趣味させると効果が高いんだけど、かなり難易度が高いので慎重に計画を立てプロジェクトを遂行する必要があると思うけど、やりすぎると単なる嫌がらせになる気がする。

そんなにしたいならお前がすればいいのでは?

この言葉も外部からの悪い影響を排除するためのもので、意味がない上に面倒くさい指示があった時には、そんなにしたいならお前がすればいいのでは?って答えるのが面白いので、そんなにしたいならお前がやればいいだろみたいなことを連発していた。流石に失礼すぎるので私以外の人はお前がやればいいだろと直接的には言ってなかったけど、湾曲表現でお前がやれやマヌケみたいな発言が流行していた。

「そんなにしたいならお前がすればいいだろ」から「ただしそれはお前の趣味な」をつなげることが出来ると完璧なんだけど、成功させるのは難しい。なぜなら面倒くさいことをやれっていう人は、面倒くさいことをしたがらないからで、自分がしたくないことなら人にさせるなよ……っていう感想である。

嫌だししたくない

大人のくせに嫌だししたくないって主張するのが面白いと思い、嫌だししたくないを使いまくってたらこちらも流行して、色々なことを断わるようになった。ある人が嫌な事柄でも、それを良いと思う人はいるもので、チームにおける嫌さの総量が減少した。全員が嫌だししたくない場合は廃止することにした。外部からの意味のない指示も嫌だししたくないしそんなにしたいならお前がすればいいのでは?あとそれお前の趣味なで概ね撃破できた。

それで仕事が成立するのかっていう話になると思うんだけど、案外成立してしまう。なぜなら職に着く前に、この結果を出すために、だいたいこういうことをしますっていう合意があるからで、なんだかんだでそれを実現させるようにみんなが行動する。それなら嫌なことなんてないほうが効率は上る。

どうでもいいしなんでもいい

なにが一番便利で楽なのかって考えていくと、肉体がなくなって幽霊みたいな感じで半透明になるのが最高では? 働かずにすむし死なないわけだしっていう結論に達したんだけど、幽霊なんてものは迷信で実在しない。つまり最高にはなれないわけで、もうどうでもいいしなんでもいいのではないかっていう話になって、どうでもいいしなんでもいいってずっと言い続けていたら、行動の自由度が上って良かった。行動の自由度が上がってくると、人間は自由なんだからなにしてもいいが余計に面白くなるといった相乗効果もあった。

これで良かったのが属人性が排除できたことで、どうでもいいしなんでもいいわけだから、誰がなにやってもいいってことになる。書きなぐった手順みたいなのを人に見せるのはちょっと……みたいなのも、どうでもいいしなんでもいいんだからどうでもよくなる。どうでもいいしなんでもいいんだから、手順が駄目なら変更してもいいし、意味なかったら止めたらいい。

失敗した時の謝罪とかも無駄なので、謝罪しそうになる奴が出ると、どうでもいいしなんでもいいって決めつけて、さっさと仕事を終らすみたいな雰囲気作りにも役立ったと思う。失敗してもなんでもいいからどうでもいいので、責める雰囲気がなくなり失敗そのものを検証することもできるし、思い切ったこともできるようになり、結果的には失敗が少ない環境が構築できてなんか上手い具合になった。

なんでこんなことをしたのか

昔から同じことを言うのは好きだったんだけど、2021年の中頃あたりから頻度が上った気がする。なんでそんなことになったのかというと、業務の改善が必要となってストレスがたまったからだと思う。その辺りにかんしては、ここに少し書いている。

cocolog-nifty.hatenablog.com

面倒くさいことが多く、なんでもいいだろとか面倒クセーとか人間は自由だからなにしてもいいしなんでもいいしどうでもいいしお前がやればいいだろ的なことをボヤきながら働くようになったら、近しい人々に伝播していって最終的に全てが解決したというような感じであった。

明治から続く感じのもの

バーバー発話する一番の目的は面白さによってストレスを解消することではあったものの、多少の計算もあるにはあった。私は趣味で明治時代の文化を調べていて、最近は無銭旅行に興味を持っている。その流れで明治大正時代の学び方や働き方についても調査をしていたりした。その結果、日本の社会には次のような傾向があるなと考えるようになった。

  • 能力が均一になるような教育の仕組み
  • 苦痛に耐えられる人材を作る仕組み
  • 失敗を避ければ避けるほどお得になる仕組み

今回の話題とは関係ないのでそれぞれ詳しく解説することはしないけど、とにかくこういった傾向が存在していて、英語教育の正則と変則なんかが分かりやすい。発音と会話、直読直解を重視するのが正則の英語教育、変則は文法・訳読を重視する教育方法だ。日本では後者の変則教育に偏ってしまったんだけど、大きな理由のひとつに教育コストが低いことがあると思う。もちろんその他の要因もあるけど、まだ機材も技術も不十分な時代だと、発音と会話を中心にした授業よりも、変則教育のほうがコストが低い。一握りのエキスパートよりも平均して能力を上げるというやり方だ。

その他の事例も多くあるのだが、とにかくこういった仕組みを潜り抜け人間が社会に出て、こういった傾向の人々が集って組織が構成されていく。これで上手くまわる局面ももちろんあって、例えばサイゼリアのバイトなんかは、日本の社会を前提に仕組みを作っているような気がする。コンビニのレジの人なんかも、よくあんなに複雑な仕事をこなせるものだなと感心してしまうんだけど、あれも日本に住む人が持つ傾向を上手く活用している一例だと思う。

残念ながらこういう性質が仕事で邪魔になってしまうケースもあって、私の職場の場合もそういう感じであった。最初は良い会社の仕組みやら心理的安全性の高めるチームがどうのこうのみたいな文書を共有したりしてたんだけど、みんな普通に仕事をしているわけで、そういった部分に時間を費やすのは面倒くさいみたいなところがあった。あと海外の事例を自分の働いている組織に置き換えて反映させるのは面倒くさい上に難易度が高い。それだったら同じこと言い続けたほうが面倒くさくないし、発話することでストレスも減るし良いのではといった感じであった。そこまで意識していたわけではないけど、だいたいこういう感じだと思う。

  • 能力が均一になるような教育の仕組み→嫌だししたくない(各人が嫌なことを避けることで最適化された人材が担当するようになる)
  • 苦痛に耐えられる人材を作る仕組み→人間は自由だからなにしてもいいししなくてもいい(苦痛に意味はないので)
  • 失敗を避ければ避けるほどお得になる仕組み→どうでもいいしなんでもい(なんでも雑にやって失敗の頻度を増やして最適解を見つける)

「そんなにしたいならお前がすればいいのでは?」と「それお前の趣味な」は、失敗を避ければ避けるほどお得になる仕組みを前提に、責任をとらずに済むような行動様式を取る人に対する対処法として機能していたんだと思う。

適当に言葉を流行らせたら仕事が良くなるのは面白くて、今後もなんかあったら続けていきたい。ただし今回のケースは偶然によるところも大きくて、例えば品質を上げるといった方向性だと、また日本の文化を調べてから別の言葉を流行らせるみたいにする必要があると思う。

雑感

基本的に仕事術だとか人生の変え方みたいな本や文章には、人や周囲を変えるより転職しろみたいなことが書かれている。それは全くその通りだと思うんだけど、面倒くさいから転職したくないみたいな人のほうが多いと思う。その上で職場の環境をマシにするのもダルいっていう感じの人も多いような気がしていて、もちろん私もそうなのでこういう感じになった。

ちょっと注意点も書いておくと、なにもしないでお前がやれやボケとか、知るかアホとかずっと言ってたら、普通に殴られて終るので、出した成果みたいなものは数値化して見せ付けるみたいなこともしておいたほうが良いと思う。よく分からんが、とりあえず私は殴られずに済んだ。

あとこれが上手くいったのは手法の他に、私が仕事をどうでもいいと思っているのも大きい気がしている。仕事はどうでもいいわけだから、自分が快適ならそれで良いんだけど、そのためには周囲の人が充足し良い感じて活動しているのが重要だと思う。年収が500000万だけど常に通行人が常にイラついていてスルメを食い続けていて罵声を上げながら棍棒で殴りかかってくる犯罪都市(食料はカニパンのみ)で生活するのと、年収500万円で穏やかな人と普通に生活するのとでは、前者のほうが迫力があって面白いかもしれないけれど、後者のほうがずっと人生の質は高い。職場も同じようなもので、周囲の人が穏やかで機嫌良く仕事できるような環境を作ると、自分も快適になるものだなと実感している。