分かりやすく強制力のあるものが残っていく
明治あたりから普通の人たちに『科学的で合理性のある考え方』が求められていた。残念ながら、これは文化や社会の風習としては、あまり残らなかった。
その一方で『時間を上手く使うこと』も求められていた。こちらは『時間厳守』として今に残っている。
先人たちはみなが時間を上手く使い、科学的に分析し合理的な判断を下す社会を思い描いていたわけだが、先にも書いたように現代根付いているのは時間厳守の考え方だ。なぜそうなったのか、複雑な要因があるわけだが、単純化してしまうと、基本的に社会には分かりやすく強制力のあるものが残っていくといったところであろう。
時間厳守
時間を上手く使おうといった概念が流通する以前に、推奨されたのは早起きであった。
『早起の功能 望月誠 著 うさぎ屋誠[ほか] 明治一二(一八七九)年』では、
- 植物は日光で成長する
- 日光は健康に良いはずだ
- だから早起きしろ
といった雑な早起きのメリットが書かれている。
仕事の内容がそれほど複雑ではなく、時間をかければかけるほど成果が出る社会であれば、効果を出すためには働いている時間を増やすしかない。明治の初期はそういう社会だから、早起きが推奨されるのも自然な流れであった。実際には適宜休憩を入れたほうが成果が上るだとかなんだとか色々あるけど、そういうことが分かってくるのは大正時代あたりのお話なので仕方ないかなといった感じである。
そうこうするうちになんだかんだで近代化していき、鉄道や学校、職場などなど、時間を守る必要がそこかしこで発生してくる。そこで役立つのは他人の時間を制御するためのハードウェアである。
このジイさん朝の四時に法螺貝を吹いきまくって村人を起こす奇人なんだけど村だけに飽き足らず全国で法螺貝吹きまくっててメチャ迷惑だし村人の反応も冷い。 pic.twitter.com/NrKqWRJ0w2
— kotori (@kotoriko) 2021年2月20日
これは法螺貝で早起きを実現した事例で、実はこの老人、法螺貝が小さいく音が小さいからと、一度バージョンを上げている。
後にはその貝が小いさいというので、村のある法師から大きいのを譲り受けて、一層強く吹き立てたのである。
一事貫行真髄 山下信義, 村田太平 著 大成協会 大正一〇(一九二一)年
ついでに書いておくと、この老人の法螺貝は明治四十二年の地方改良講習会に講習会として展示され、老人自身もなんだかんだで最終的には朝鮮半島にまで渡り、早起きの重要性を説いてまわったようだ。
志波六郎助翁 京城日報 1924-09-27
法螺貝の他、サイレンも便利な道具で、千葉縣安房郡主基村では時期によるが朝の3-5時に大音量でサイレンを流し、村民全員が早起きを心掛けていたとのことである。
サイレンで黎明に起床し、冬は五時、夏は四時、田植時は三時に、役場のサイレンが鳴り響きますと、村民残らず起床し、村長宅の前に集って、それぞれ手分けして共同害虫駆除作業に出動します。』
『この協力を見よ : 優良実践網の諸例 国民精神総動員本部 [編] 国民精神総動員本部 昭和一五(一九四〇)年』
サイレンの音がうるさけりゃ誰でも朝起きるわけで、かなりの強制力がある。朝だけでなく音で人の時間を制御することもやがては可能になってくる。その後も色々あって『時間を上手く使う』という考え方は単純化され『早起き』や『遅刻をするな』となり、最終的には『時間厳守』という形で今の日本に残ることになった。ちなみに早朝サイレンも、一部地域では残っているようだ。
市民の声 朝早くの町内放送は緊急のものでない限りは控えてほしいです/西予市
『科学的で合理性な思考』が残らなかった理由

簡易生活のすすめ 明治にストレスフリーな最高の生き方があった! (朝日新書)
- 作者:山下 泰平
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これを読んだら分かるのだが、明治人の一部は無闇に『科学的で合理性のある考え方』を推奨している。しかし『科学的で合理性のある考え方』はあまり定着しなかった。なぜなら面倒くさいからである。
先にも書いたように、時間を守らせるというのは、お金と時間を使えば、わりと簡単に実現することができる。その一方で多くの人に『科学的で合理性のある考え方』を普及させるのは難しい。それだけでなく、好ましい風習を定着させる妨げにすらなる可能性がある。
時間厳守に話を戻すと、当時、それをする意味は十分にあった。しかしそこに『科学的で合理性のある考え方』を持ち込むと、解説するのが面倒くさくなってしまう。
自然が相手の商売など、朝でなくては出来ない作業があるのであれば、早起きをして事前に仕事の準備をするのは効率がいい。しかし合理的に考えると、何時にやろうが影響のない仕事であれば、別に早起きだろうが遅起きだろうが関係ない。だから個々人が時間を守り早起きすべき事柄なのか判断し、行動するればいいわけだが、そんな面倒くさいことするよりも朝の4時に法螺貝やサイレンを鳴らしてしまったほうが早いわけである。
もちろん昔の人も馬鹿ではないので、時間を守り、早起きすることだけが重要ではないことは知っていた。例えば日本はある時期に節約が推奨され、無駄に物を買ったり、贅沢をするのはよろしくないといった雰囲気になったことがある。その際に節約すべきは時間であって、時間を上手く使って利益を上げ、むしろ経済を回したほうが良いのではないかといった指摘があった。
青年に訴ふ 大迫元繁 著 実業之日本社 大正一二(一九二三)年
しかしそれを実現するためには、業務の効率化が必要である。業務を効率化するためには、頭を使う必要がある。教育手段も洗練させなくてはならない。これは実に複雑で実現するためには時間がかかる。節約が推奨されていたのにも理由があり、その目的を果すという点だけに着目すると、業務の効率化より節約させたほうが手っ取り早い。
『科学的で合理性のある考え方』に比べると、早起きや時間の厳守はとにかくわかりやすい。ルール化するのも簡単である。もしも『科学的で合理性のある考え方』人物に対する罰則を作ろうとすると、かなり複雑なことになってしまう。今でも従業員を正しく評価するのは難しい。しかしその基準を、時間を守っているかどうかに置いてしまえばどうだろうか? 誰であっても判断をすることが可能だ。このように時間を守るというのは便利な概念なのである。
悪い考え方、良い考え方
簡易生活のすすめ 明治にストレスフリーな最高の生き方があった! (朝日新書) で私は明治に発生した良い考え方を紹介している。この記事で取り上げた『科学的で合理性のある考え方』もそのひとつである。ただ最近はちょっと違うやり方で昔の文化を紹介したほうが良いのかもしれないと思うようになってきた。
明治や大正時代の事柄を調べていると、今のあまりよろしくない社会通念は、本来こういう考え方であったのかと驚くことがたまにある。今回はものすごくふわっと書いてしまったが、現在のあんまり好ましくない考え方は、こういう流れて定着しちゃってるけど、もともとはこういう好ましい考え方だったと知ることで、悪い考え方からより簡単に脱却できるんじゃないかと考えている。
しかし私は社会から距離を置いて生活しているので、今まさに流通している好ましくない社会通念をあまり知らない。というわけでみなさんが普段イライラしているような考え方や社会通念があれば教えて欲しい。
社会の通念やルールなどで面倒くさい、あるいは効率が悪い、良い影響がないと感じることがあれば教えてください
情報がどのくらい集るのかは分からないけど、そこそこの数になってこれは解説できそうだなというようなものがあったら、きちんとしたものを書いてみたいと思っている。