山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

今年は社会や生活に関していろいろ思うところがあった

今年はいろいろと大変だった。

私は社会や集団があんまり好きではないので、昔から少し距離を置きながら生活をしている。だからコロナウイルスもあんまり関係ないだろうなと思ってたら、けっこうガッツり影響があって面倒くさかった。それなりに対処できたし感謝されたりもしたけど、感謝されずに平穏無事に生活できたほうが良い。あの人がいて良かったッ!! みたいな集団は良くなくて、感情が動かずいつもと同じみたいな集団のほうが好ましいと思う。

なのでマシな集団にいるようにしたらいいんだろうけど、そういう集団ってグーグルとかそういうレベルなんだろうなっていう感じがする。だからマシな集団に属し続けるためには、超社会性を発揮する必要があるわけで、その時点でかなり面倒くさい。あとそういうところに属するためには、ものすごい苦労も必要だと思う。ものすごい苦労しても駄目な人は駄目なので大変そうとしか思えない。

俺は超優秀で能力があるから社会性を発揮しなくてもいいんだッ!!!みたいな若手がいるかもしれないけど、能力とかいう訳の分からないものは他者と比較することで発生する。つまり能力がある状態とは社会性をスーパー発揮している状態であり、無意識のうちに社会に最適化して生きてる状態でもあって、私にとってはあまり好ましい状態ではない……とかこのあたりに関して私はかなり面倒くさいことを考えていて、多分だけど2万文字くらい書けるんだけど、人が嫌がることを延々と書き続けている異常者みたいに思われそうなので書かない。こういった配慮も社会性であり、無能も有能も色々とあってとにかく面倒くさいと思う。

そもそもなんだけど、マシな集団なんてないのかもしれないな。あるマシだと思われる集団に属していたとして、集団は別の集団とつきあわなくてはならないし、集団は国に属しているわけだから国がダメならやっぱりマシではない集団に属しているってことになる。でもまあそのあたりは、俺の国は最高だッ!! って認識できる仕組みの脳を持っていたら良いのか。それでもマシな国も別のマシではない国とつきあわなくてはならないわけで、本当にマシな集団に属するためには世界を全て良くしなくてはならない。これに挑戦した人らは何人もいるけど、概ね失敗みたいな感じである。

もう集団とか面倒クセーし一人で生きていくわってなったとして、残念ながら人類は一人で生きられるように製造されていない。生き物としてかなり弱いので固体で生存し続けることができない。だから集団で生活しないといけないわけだな。私は一人が好きなんだけど、それもネット経由で軽いコミュニケーションが提供されているからで、もしも10年くらい全くコミュニケーションなしに生きてたら、やっぱり寂しいって思う気がする。外とかでジイさん同士で嬉しそうに話をしてたり、スーパーマーケットなんかで店員さんどうして会話しているところとかを見ると、普通に実に良いなと感じることができる。こういうことを考えていくと、本当は一人が好きなわけでもないのかもしれないな。

ここまで書いて気付いたんだけど、面倒くささを認識できないようになれば快適な気がする。しかしそんな鈍感な人間は、電卓以下の低い解像度で物事を認識しているんだろうし、それはそれで嫌だなっていう感じがする。ゴチャゴチャ面倒クセー嫌だ嫌だみたいなことをばかり書いてると、2歳前後の子どもに現れるイヤイヤ期みたいでそれはそれで嫌だけど、生活自体は毎日楽しくて、寝る前には朝一のコーヒー飲むが楽しみだし、晩飯なに作るかなーって考えながら昼間すごして、酒を飲みながら飯を作って食べて今日も良い日であったなーとか思う日々を送っている。そんなわけで、トータルで見ると幸せではある。しかしなんの努力もしていない俺が、こんなに幸せでいいのかと不安になったり、軽い罪悪感にさいなまれたりもして、よく分からない。

私は昔からこういうことを考えるのが好きなんだけど、今年は社会や集団が変化してきているので余計にこういうことを考えてしまう。変化といっても集団や社会の本質みたいなものは昔のままで、表面になんかくっつけたみたいに感じている。だから集団に属している人が表面にくっついた変化を処理するため、面倒くさいことをしなくてはならない。そういう事象が多少は私にも降り懸ってきているので、余計に社会のことを考えているようになっているのかもしれない。

来年も来年で大変そうだけども、コロナウイルス関係なしに社会に存在しているストレスの総量みたいなものは、年々増え続けているような雰囲気がある。こんな役にも立たないことをゴチャゴチャ考えているよりも、自分の身を守る心配をしたほうがいいような気もする。

とにかくストレスでものすごい酒が増えて、毎日団鬼六くらい飲んでいる。自分はストレスに弱いと自覚をしているので、生活からストレスを排除するようにしているんだけど、それでも社会経由からやってくるストレスを食い止めることができない。あと一年がものすごい曖昧になっていて、正月っぽい感じがすでに5回くらい来ている。私はイベントはどうでもいいんだけど、正月だけはきちんとしたい。正月がきちんとできないと来年テンション下りまくりで台無しなので、なんとか頑張りたいところである。正月を盛り上げられるかどうか不安で仕方ないし、本当に正月をきちんとしたいんだけど、他人からしたら正月をきちんとするってなんなんだって感じなんだろうな。

今年は色々あったけどコロナウイルスの全てが悪かったのかっていうとそうでもなくて、私はパーソナルスペース(他人に近付かれると不快に感じる空間)が広いので、密を避けるみたいな習慣が出きて全体的に快適になった。あと髪の毛を切らなくても、コロナウイルスで散髪に行けないみたいな理屈をこねたら許されるのも良い。みんなマスクしていて顔が曖昧になっているので、もう外見とかなんでもいいから魂で勝負だみたいになっているのも最高である。

社会や人間の考え方は、社会運動やら大きなイベントで一挙に変ることはあまりない。それよりも行動が変化したことで、社会や人間の考え方が少しずつ変化していくことのほうが多い。だから今の行動様式が好きな私にとっては生きやすい感じになるのかなって考える一方で、そういう社会は生きずらいって人もいるんだろうし微妙なことろではある。来年は来年で色々とあるんだろうけど、それなりに生きていくんだろうけど、今年の考えたことをまとめておくためにこの文章を書いたものの、怪文書みたいになってなかなか良かったと思う。