山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

蔵書を売ってもまた増える

国立国会図書館デジタルコレクションが登場し、本は電子化されたものだけでいいやと思い、蔵書を全部売ってしまったことがある。

私はいわゆる愛書家ではなかった。正確にいうと愛書家になりたかったけど、お金がないから十分なことはできないし、読みたいものだけ読む人になる選択をしたといった感じなんだけど、そんなことはどうでもいいな。とにかくそういう人だったので、読みたいものを手に入れては読んで、定期的に必要ないものは手放すといった生活をしていた。本を読む人は分かると思うんだけど、それでも大量の本が部屋にあった。

ある日のこと自分がデジタルデータばかり読んでいることに気付き、ふと蔵書を全部売ってみようかなと思った。引越することになったら面倒くさすぎる上に、家に本がない人になったらどうなるのか試してみたくもなり、思い切って全部売ってしまったのである。本を売ると室内にある物質がものすごく減少し、実に爽快な気分になった。その後しばらくして、実際に引越しすることになったけど異常に楽で気分が良かった。それ以降、質量のある本に行動を束縛されるのが嫌で、全部電子化されたもので済ましていた。

そんな生活をかなり根気強く続けていたんだけど、世の中には電子化されていない本が大量にある。どうしても必要ならば、仕方なしに買うしかない。そんなことを続けているうちに、徐々に紙の本に抵抗がなくなってきた。最近買ったのはこういう感じ。なるべくデジタルデータを選んでいても、自然に本が増えてくる。

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一回初期化したことで、昔と変わったことがある。一番大きな違いは、どんな本でも抵抗なく買えるようになった点だ。昔は慎重派で本の内容を確かめ、読むに値する本であると判断をして購入していたんだけど、今はとりあえず手っ取り早く知識を得られりゃなんでもいいといった態度になった。これはこれで気楽でいい。

もうひとつ、紙の本を読んでいるうち、そういや昔に持ってたあの本を、もう一度手に入れたいという気持が発生してきた。かっては装丁が良いけど内容はイマイチならいらないといった実用本位の選び方だった。懐しいから買うということは、純粋に趣味のために本を購入するということで、昔の自分だったら馬鹿にしてたはずだ。これはこれで、楽しみが増えて良いものだなと思っている。

最近買ってお気に入りなのが旺文社文庫版の『吾輩は猫である』だ。

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これは小学生の頃に、廃品回収で拾ってきて読んだ本である。たまたま旺文社文庫版だったのは本当に運が良かった。このシリーズは名著を読みやすくといったコンセプトで作られており、ルビが多く注釈が同じページに書かれていてものすごく読みやすい。その上、解説もしっかりしていて、年表も付いている。猫伝の他に『僕の昔』が収録されているのも最高にセンスがいい。小学生でも読破でき、漱石はすごいと思えるくらいに優れた文庫だった。

旺文社文庫版『我輩は猫である』は、私が明治時代に興味を持つきっかけとなったものであり、実に思い出深い。この本さえ拾わなけりゃ、今こんな変なことをしてなかったかもという話でもあるんだけど、とにかくそんな思い出深い本すら一度は手放し、ずっと後に再び同じ本を手に入れるというのは不思議な気持で妙な喜びがある。これは一回全部売って買いなおしてみないと分からない。

その一方で私は自分の蔵書を曖昧ながらも把握しつつ、生活をコントロールしながら手元に置いておくことはもうできない。大量の本に惱まされながら一生ともに生きるのも、なかなか良い経験な気がしていて、そういう気持も味わいたいものだとは思うものの、そういう気持にはなることはできない。

このように両方経験するのは無理なこともあって、そういうことを意識しながら、どっちの気持になりたいのかと考えながら生きていくと、より面白く人生が送れるのかななどと思ったり思わなかったりであるのだが、とにかく昔持っていた本を探して買うのは面白い。あんまり増えるのもなんなので、100冊に限って昔持っていた本を集めるというのを趣味にするのもなかなか良いかなと考えたりしている。

とりとめのない話になってしまったが、もしも蔵書を全て処分しなくてはならないっていう人がいて、絶望に近い気持になっているのであれば、生きているうちにまた増えるし、そしてそれはそれでいいものだよだと教えてあげたい。

吾輩は猫である (岩波文庫)

吾輩は猫である (岩波文庫)