戦争を扱ったフィクションで、たまにこの戦争は負けるッ!!みたいなオッさんが出てくる。彼らのような人間は実在してて、元気一杯生きていた。断じて空想上の存在ではない。
記録として残っている日本負ける実在するキャラとして、超有名なのが山下清である。山下清は貼絵画家で、今では知らない人が多いんろうけど、かっては裸の大将放浪記というタイトルでドラマ化されていたほどの人物だ。
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山下清は超リアリストの上に、全く雰囲気が読めない。日本が負ける理由は、道具が悪いのと国が狭いのと数カ国相手に戦争するからといった単純明快なもの、確かに正しいんだけど雰囲気読めよなっていう感じなのだが、清は子供の頃から一貫して日本戦争に負けると言い張り続けて、幾度も殴られたり怒られたりしている。しかし清の身体能力はすごい。多少殴られてもすぐに回復するし、何度閉じ込められても絶対に脱出し、雰囲気読まずに同じ発言を続けている。
まずは少年時代である。
「世界で一番沢山戦争の道具を持っている国はロシヤで、日本は戦争の道具が少ないから、どこの国を相手にしても日本はすぐ戦争に負けてしまうだろう」
と言ったら、勝田君や岡田君が、
「日本は幾ら戦争の道具が少なくても、日本人にはやまと魂がある。日本人はよその国と戦争すると、敵のたまが飛んでくる所を進んで行って、死ぬかくごで戦うんだぞ。日本にはやまと魂があって、世界で一番強い国だから、どこの国を相手にしても、幾らどうぐが少なくても負けやしない」
といったので、
「日本が世界で一番強い国だったら、日本をぬかして世界で強い国はどこの国だ」
と言ったら、勝田君が
「強い国はドイツだ。ドイツより強い国は日本だ。お前は日本の国に住んでいて日本は国が小さいから戦争負けるとか、どうぐが少ないから戦争は負けると言うから、お前は日本の国に住んでいて、日本の悪口を言うから、お前は日本人でなくて、支那人だろう。兵隊に行くと敵のたまにあたって死ぬのがこわいから戦争に行きたくはないと言ってるから、お前は支那人と同じだ」
と言われた (引用文は読みやすいように適宜句読点を追加したり、ひらがなを漢字に修正している、以下も同じ)
『裸の大将放浪記第一巻 山下清 ノーベル書房 1979』
勝田君は柔術の達人で山下清のライバル、岡田君は障碍物競走で激闘の末に清に敗北したという男、そして両者ともに愛国者である。清といえども二人相手にするのは厳しいのだが、それでもすぐ戦争に負けると語る清の雰囲気の読めなさ加減が光る場面だ。
続いて青年時代、魚屋さんでアシスタントのようなことをしていた時代の会話である。
本家のおばあさんが新たくへ遊びに来たので、
「もうじきアメリカと戦争がはじまったら、日本へ飛行機が沢山飛んで来て日本中へ爆弾落とされて、日本は負けてしまうだろう」
と言ったら、本家のおばあさんに
「そんな話をすると、巡査に聞こえたら警察へちょっとこいと言われてつれて行かれるぞ」
と言われました
『裸の大将放浪記 第二巻 山下清 ノーベル書房 1979』
全く雰囲気読めない清を心配し、忠告するおばあさん最高すぎるわけだが、戦争が終り清の出した結論がこちらである。
日本は米英とオランダと支那と四つの国を和手にして戦うので、人間のけんかで言うと、一人で四人を相手にしてけんかをすれば、四人の人にかなわないので、一人の人はけんかは負けてしまう。
それと同じに、日本は四つの国を相手にして戦争すれば、四つの国にかなわないので、日本が戦争負けるのはあたり前だ。日本は米英を相手にして戦うと、日本は負けてしまうと言うのがわからないのが東条さんだ。東条さんの考えは日本は戦争の道具が少なくても日本だましいがあるから、どこの国を相手にして戦っても負けないとか、今までの戦争は勝ってばかりいたから、今度の戦争は最後は勝つから、米英と戦え、という東条さんの命令だから。
日本は日本だましいがあるから、戦争勝つと言うのはうそだ。日本人もアメリカ人も同じ人間だから、両方ともたましいがあるから、心は同じだから戦争の道具のいいのを持ってる国にかなわない。
『裸の大将放浪記 第二巻 山下清 ノーベル書房 1979』
戦争が終っても道具が悪いから戦争負けたと言い続ける清の粘着力には驚かされる上に、東条さん攻撃にも良さがある。記録としては残っていないが、道具悪いから日本負けると全く雰囲気読まずに兵隊に語りボコボコに殴られ連行されたりしたこともあるらしい。おばあさんの忠告を聞いときゃ良かったのにねぇ。
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現代だと戦争について普通に語ることができるってことになっていて、あの時代にも日常生活はあったんだなんて創作物も作られるようになってきた。昔は今とは雰囲気が違っていて、そういうことをするのは駄目だった。戦時中の日常みたいなものが登場し始めたのは、記憶が曖昧だけど1980年あたりなのかな、日本海側では魚があるから美味いもの食ってただとか、戦争中は頻繁に提灯行列あって宴会してたといった言説が流通し始めたのがきっかけだったような気がしないでもない。そういうものが広がって雰囲気がかわりはじめ、自由に考え解釈できるようになってきた。良いとは思うけど、また別の雰囲気に支配されているのかなっていう感じもしないでもない。
今も昔も雰囲気読めない奴はいて、色々なことを考えて雰囲気を読まずに発言する。悪い時代が続いて人間が劣化してくると、雰囲気読めない奴らは殴られ続け、流石に雰囲気を読むようになってくる。それでも最強に雰囲気読めない奴らはナチュアルに雰囲気読めない発言を続けるんだけど、やっぱり全体が悪くなるのは止められないものなのかなといったところである。
ちなみにであるが、裸の大将放浪記は原型は残っているものの、清の原文に新聞記者が手を加えたものになっている。だから上記に掲載した文章は、生成りの清の記述ではない。新聞記者の考え方が多少なりとも反映されている可能性すらあるわけだが、結局のところ我々は思い込みや誤謬の中で生きているわけで、常に自分を疑りながら生きていきたいものですね。
- 作者: 山下清
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