保毛尾田保毛男を巡る問題
フジテレビが30周年を期して、30年前に流行った保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)を復活させたのだが、私は大笑いしてしまった。実際にテレビを見てないのに面白いってすごいなーって思ってたんだけども、LGBTを支援するコミュニティが抗議声明を発したことで炎上が起きてしまい、フジテレビの社長が謝罪してしまい、余計に面白くなってしまった。
とりあえず状況を詳しく説明しておこう。まず保毛尾田保毛男っていうのは石橋貴明さん(とんねるず)が変な化粧?をして、扇子みたいなの持ってたかな? あとよく覚えてないけど背広も着用して、変な口調で滑稽な格好をするとかそういう感じのキャラクターだろうと思われる。ホモとか連呼していた記憶があるものの、その辺は曖昧、とにかく同性愛の男性が滑稽な格好をするみたいな雰囲気で、今となってはテレビで流したら一触即発な趣きのあるキャラクターである。そんなことは誰だって分かる。
ところが石橋貴明さんが、保毛尾田保毛男さんの格好をして正々堂々とテレビに出てしまった。これだけでも面白いのに、『ホモを揶揄』しているのではないのかと疑いを持たれてしまい、LGBTを支援するコミュニティが激怒したんだけど、そんなことするから面白さに拍車がかかってしまった風合がある。しかも石橋貴明さん(木梨ではないほう)の隣には、ビートたけしさん(すごい偉い人)が『特定の職業を揶揄』しているような気がする亀有ブラザーズの鬼瓦権造さんの格好していて、これも十分アウトなのに、ビートさん(たけし)はなぜか怒られていないっていうのも最高で、実に芳醇で奥深い味わいの笑いが発生している。
ビートたけしさんが悪いのでは?
フジテレビが30周年を期して、30年前に流行った保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)を復活させるっていうのは、かなりギリギリな感じである。
今となってはホモっていう言葉自体、あまり聞かないものになっている。セクシャルマイノリティーみたいなのに1mmも興味ない私でも、ホモって配慮せずに使うのダメだろって知っている程度には、性的少数者への理解が進んでいる時代だ。
そういう時代にあって、石橋貴明さんが凛乎として保毛尾田保毛男の格好でテレビに出てきたら、誰だってビックリする。石橋ッ大丈夫かッ!! って思うと思われる。石橋さんは身体デカくて雑そうだから細かいこと考えられないのかなって思っちゃいそうだけど、身体デカくても繊細な奴ら大量にいるからな、決め付けはよくない。それは LGBT の人々を特別視するのと同じで、絶対にやったら駄目なわけだけど、なぜか LGBT を支援してるっぽい一部の人らが石橋さんは雑で荒い性格だと決め付けてたってのも、最高の面白さがあった。それに止まらず石橋貴明引退かッ!!! などと言い出す奴まで出てくる始末、石橋さんの気持とか思いが不在のままに様々なことが決定されている状況で、石橋さんの人権がかなり危うい雰囲気となっている。
そもそも石橋さん批判してる奴らは、特に根拠とかなく全て妄想で石橋さんを決め付けているだけである。石橋貴明さんが最後まで保毛尾田保毛男の格好でテレビに出るの抵抗した可能性もある。
石橋さんは社会的地位のある立派な人間であり、税金だってしっかり収めている。スーツも着ているし、最近は眼鏡もかけているらしい。スーツと眼鏡で活動するのは、銀行員やら学校の先生、あと官僚とか市役所の人々である。それと同じくらいにきちんとした人間、それが石橋貴明という男なんだ。そこまでTPOをきちんと理解できる石橋さんが、なぜ保毛尾田保毛男さんの格好でテレビに出てしまったのか、誰もが疑問を持つところであろう。
そこでキーマンとして浮び上がるのがビートたけしさんである。私は当該番組を見ていないのだが、デイリースポーツの記事によると、ビートさんの命令で石橋貴明さんが保毛尾田保毛男さんの格好をした可能性が高い。まずは下記の引用文を読んでみて欲しい。
たけしは同番組の30周年を祝うため、とんねるずに「銀座で祝うから正装で来い」と指令。とんねるずの2人は番組初期の人気キャラクターで出演した。 たけし 15年ぶり鬼瓦権造!石橋貴明は保毛尾田保毛男、木梨憲武はノリ子に/芸能/デイリースポーツ onlineより
正装で来いって命令したのは、ビートたけしさんである。そのたけしさんは番組中、鬼瓦権造の格好で、亀有ブラザーズというバンドを再結成している。亀有ブラザーズとは、ビートさんが『特定の職業』のオヤジのような格好をして、『ウンコ拭いたらティッシュが破れて爪の間にウンコがはいって臭いの』とか、『皮をむいて歩こう亀頭が隠れないようにムキながら歩くひとり勃起の夜』などといった最低最悪の言語を、リズム(グレートと眼鏡)に合せて大声で叫ぶといった芸能で、今では完全にアウトであろう。アウトなビートが正装をしてこいって命令を出したら、アウトな格好で隣に立つのが礼儀である。生真面目で繊細な石橋貴明さんが TPO に配慮してしまうと、今やっちゃダメな保毛尾田保毛男さんの格好をせざるを得ないというのが真相であろう。
そんなわけで最終的な結論としてはビートが悪いのでは? って、私なんかは思うわけだが、なぜか石橋貴明さんとフジテレビが様々な観点から怒られていて悲惨としか言い様がない。そりゃ石橋さんが挙手して、「ハーイ、ボク保毛尾田保毛男の格好でテレビに出たいでーすッ!!」と絶叫しながらダッシュ、フジテレビの社長もパチパチ手を叩いて「大賛成ー!!!」などとわめきながら石橋さんを追い掛け回した結果、保毛尾田保毛男の復活が決定されたのであれば、石橋さんとフジテレビの社長が駄目だって怒られるの分かる。しかし石橋さんも50歳こえてるのにそんなことするわけないし、フジの社長も爺さんだから大人しい。二人で絶叫して走りまわったりする可能性は極めて低い。フジテレビ社員は能天気で、LGBT当事者への配慮がないなどといった意見も確認できたが、いくらなんでもそこまで馬鹿な奴らが集結してるわけねぇだろ。フジテレビだって会社だぞ、みんな社会人で最低限の常識は弁えてるに決ってんだろ冷静に考えろよ。
そんなわけで一旦は落ち着いて、キーマンであるビートたけしさんの特徴を復習してみようではないか。まずビートさんは偉い。そのビートたけしさんは、保毛尾田保毛男の大放送に大賛成である。ビートさんは偉い上にすぐキレる我儘っ子だ。ボクシングしてたから殴られたら痛いと思われるし、たけし軍団っていう私設軍隊も持っている。マジ恐いんで文句が言いにくい。フジさんと石橋貴明(木梨)さんが必死で説得したものの、ビートが強引に我を押し通した可能性が高い。
それではなぜにビートたけしさんはそんなことをしてしまったのだろうか? ビートには心の闇があるのでは? ってみんながすごく心配していることであろう。
ビートの謎
まず考えられるのが、今回の事件の悪の根元であるところのビートたけしさんも、セクシャルマイノリティーだったという可能性であろう。島田洋七さんっていう漫才師の人がいるんだけど、この人にはビートが困ると助けるという性質がある。だからお腹を空かせたビートのために、洋七(もみじまんじゅう)は手打ちうどんを作ってあげたことがあるくらいなんだ。仕事に疲れて帰宅したら、部屋で島田洋七(講演会)さんが手打うどんを打ってるという状況に遭遇してしまったら、普通の人なら洋七ッ!! 頼むから帰ってくれっていう気持になると思う。でもビートさんは洋七さんの手打うどんがすごく嬉しかった。
残念ながら洋七は嘘つき野郎という性質も持っている。もしかすると、うどんもたけしさんを騙すために打ったのかもしれない。しかし美味しそうにうどんを食べるビートさんを見て、洋七は心の底から喜びを感じ、その日からビートを助けたいという気持だけは真実ものになったのであった。本当にその時の洋七の気持だけは私が保証します。だからみなさんも信じてくださいというわけで、ビートたけしさんは島田洋七さんに助けられると嬉しいっていう性質を持つ可能性があるわけだけど、それが事実だとしたらかなりのマイノリティーだと言える。ついでに石橋貴明さんも、自分よりも地位の高い人(ビート)の理不尽な命令(保毛尾田保毛男の格好でテレビに出る)に従うことに快楽を覚えるセクシャルマイノリティーであるという線も考えられる。
そんなわけないだろって思ったかもしれないけど、世の中には様々なマイノリティーがいる。私の知ってるセクシャルマイノリティーの中には、布オムツが干されている風景が好きな人々がいる。そんな洗濯された布オムツが干されている風景が好きな人が集うための掲示板がかってあったんだ。私は布オムツが干されているところは好きでもなんでもないが、布オムツが干されているところが好きな人の会話は好きなんでその掲示板を愛読していた。しかしその掲示板も問題を抱えていて、布オムツが干されている風景の中で、オムツを干した人とオムツ談議をするのが好きな人々と、いやいやあくまで布オムツが干されている風景を楽しむべきであり住人と会話するなど以ての外、活動がやりにくくなるっていう派閥があり、しきりに論争を繰り返していた。加熱していく論争、やがては掲示板は消滅、実に無念な結果ではあったが、最早マイノリティーすぎて意味が分からない雰囲気であった。
とにかく世の中には様々なセクシャルマイノリティーが存在している、石橋さんやたけしさん、そしてフジテレビ自体が、特殊な性癖を持っている可能性がある。しかしそれはあくまで推測にすぎない。だから落ち着いて、事実だけを観察していくと、 フジテレビ特番のゲイを侮辱するキャラに対して非難が殺到し、社長が謝罪。スポンサーから降りた企業も? | OUT JAPAN Co.Ltd.によれば、たけしさんはテレビでこんな発言をしているらしい。
お前ら外国いったら死刑だぞ
つまりビートたけしさんも、現在のLGBTの状況を認識していることが伺える。今だと普通に生きてたら、LGBTのパンフレットやらポスターを見る。異常に感性と知能が低い人以外は、曖昧ながらもセクシャルマイノリティーに関する知識があるって考えても良い。もちろんビートたけしさんにも、そういった知識はあるはずである。それではなぜにたけしさんは、石橋さんに保毛尾田保毛男の格好をさせることに執着したのであろう? やはりビートの心には、闇があるだろうか……
今だとありえない
さらに続けてフジテレビ特番のゲイを侮辱するキャラに対して非難が殺到し、社長が謝罪。スポンサーから降りた企業も? | OUT JAPAN Co.Ltd.から引用すると、ビートたけしさんはこんな発言もテレビでしているようだ。
小学校の時よくこういう親父が公園で待ってた。みんなで石投げて逃げたことある
この発言にLGBTっぽい人が「我々は石を投げられるような存在なのかッ!!」って怒ってたけど、お前と保毛尾田保毛男は口調も顔も格好も全然違うだろっていう半笑いの感想になると思う。この発言を解説すると、これはたけしさんが小学生の頃だから起り得た出来事で、今はちょっと状況が違うよねっていう意味である。もっとはっきり言うと、そういう状況はすでに発生しない時代になってしまっている。
私が小学生のある時期、広場に上はティーシャツ、下はジャージのオッさん(今から考えると26歳くらい)が昼間ずっといたことがある。当時の田舎では、昼間からブラブラしている大人がとても珍しかった。小学生は珍しいものが好きである。当然ながら珍しいオッさんに話しかける。そうするとオッさんは、なぜか棒を振り回して襲いかかってくる。その噂を聞いた時には小学生ながらにそんな大人いるわけないだろって思ったのだが、実際に話かけたら本当に棒振り回して殴りかかってきたからな。普通に本気で危なかった。
こういうヤバい奴には、大人なら近付かない。しかし昔の小学生は本質的に馬鹿である。だからエアガンとかションベンを詰めた空き瓶で武装して、オッさんとコミュニケーションを試みるんだけど、オッさんは余計に激怒して棒振り回してきて戦争みたいな状況になってしまったが、ある日を境にオッさんは消えてしまった。多分だけど就職したんだと思われる。後にオッさんというか兄ちゃんは、地元の消防団に所属しているきちんとした人だったということが判明し、子供ながらにストレスは人間を変えてしまうんだなーとか思ったわけだけども、こういう状況っていうのも今ではあんまり起きない。仕事の種類も豊かになり、社会福祉も以前よりは整っている。その結果、選択肢が少しだけ増えた。様々な人間に対する理解も、多少は深まってきている。今は昔よりも、少しだけ良い世の中になったから、こういう状況にはなり難い。
この様に、世の中が良くなったため、昔ならありだけど今はなしっていう事象が徐々に増えてきている。
今この瞬間の保毛尾田保毛男
先述したように、たけしさんは、ネットニュースで確認できるだけでも、保毛尾田保毛男というキャラクターは今ではありえないんだよと2回も解説している。
なぜありえないのかというと、セクシャルマイノリティーに関する状況が良くなってきているからである。これはセクシュアルマイノリティに関する活動している人々の努力の結果で、喜ばしいことだと私は思う。今でもまだまだだッ!! って話もあると思うけど、一度に良くなることってあんまりないからな。とりあえずの成果として、喜んでいい気がする。色々な分野の人々が様々な活動をしているから、少しずつ良くなってきている。それは素晴しいことだと私は思う。
そんな今の世の中では、保毛尾田保毛男はありえないキャラクターだ。そのありえないことをするっていうのは、いわゆる『時代錯誤ギャグ』と呼ばれるものだ。分りやすい例を出すと、職場のオッさん(部長)が「おい中山田はホモらしいぞ」とかデカい声で報告してきたら、オッさん低脳すぎて笑けてくると思う。オッさん(冷凍鍋焼うどんの凍った中身をおかずにアルミ容器を食う程度の知性の持主)が「ホモはヤベーから中山田には気を付けろよ」とか忠告してきたら、ヤベーのはお前の脳だろってなってやっぱり笑けてくると思うんだけど、これがいわゆる時代錯誤ギャグというものである。
周知の通り、『時代錯誤ギャグ』というのは、はありえない時代にありえないものが出てくるという構造のお笑いで、日本だと明治時代には普及している。江戸時代にもあったんだろうけど、地方にまで普及したのは確実に明治時代の中頃からだな。明治の時点で誰でも知っているわけだから、平成時代の今となっては、おはようやこんにちは程度に認知されている事象であろう。これを知ってる人間ならば、保毛尾田保毛男がテレビに出てきたら絶対に笑う。知らない奴は教養が足りない。あーもちろん俺も知ってるよ保毛尾田保毛男面白かったよなって思った奴もいると思うけど、お前は嘘吐き野郎である。『時代錯誤ギャグ』ってのは、私が勝手に名付けた用語だからな。そんなモン知ってる奴なんかいねぇよ。つまり今さっき『時代錯誤ギャグ』を俺は知っているって思った人は、自分に嘘をついたってことになる。自分に嘘をつく、これは一番に自分を傷つけることなんだよ。反省しようねってわけで、明治時代の代表的な『時代錯誤ギャグ』を紹介していこう。
明治の時代錯誤ギャグ様々
明治期の時代錯誤ギャグとして最も有名なのが、斬髪が十分に普及した時代に、丁髷のまま議員になってしまうという身体を張ったギャグを実行した芳野世経であろう。画像を紹介したいんだけど、かなり小汚く丁髷だかなんだか分からない状況であった。
幸いなことに山口県立山口博物館に芳野世経浮世絵が掲載されていたので引用をしておく。
この中に一人、芳野世経がいる。探してみたい人は山口県立山口博物館に高解像度の画像があるので探してみよう。一応、芳野の拡大画像も置いておこう。丁髷だかなんだか分からないかもしれないが、とにかくこれが芳野である。
芳野が丁髷だった理由であるが、本人は奇をてらうのが大嫌いだからだと主張をしている。誰も斬髪にしていない時代に、丁髷を切るのは奇をてらっている。だから丁髷のまま生活をする。ところがある時点で、丁髷と斬髪の割合が逆転してしまう。しかし芳野は惰性でそのまま丁髷で生活する。そのうち自分しか丁髷の人間がいなくなる。今、丁髷を切ってしまったとすると、これまでの外見に変化が発生し、奇をてらっているということになる。奇をてらうのが大嫌いな芳野は、仕方なしに丁髷のままでいるっていう理屈だ。それだったら丁髷と斬髪の割合が50%の時に丁髷切りゃ良かっただろクソボケ野郎がっていう結論が出ると思われるし、お前目立ちたかっただけだろアホといった風合で、今ならクソサブであるが、明治時代だとこういう素朴なお笑いもすごくウケた。
文学の世界では、過去の物語に明治の最新鋭の物や事件を出すっていうのが流行している。明治時代に丁髷ってのとは、逆パターンである。最新の事物っても明治時代だから今からすると昔なんだけど、とにかく江戸時代の物語に明治の新しい事物が出てくるっていうギャグが流行していたわけだ。
ひとつの事例として『豪傑秩父大八郎重国 玉田玉秀斎 柏原奎文堂 明治四三(一九一〇)年』から一文を引用してみよう。
読みにくいと思われるので、重要なことろだけテキスト化しておこう。
「今から汽車で京都の大学病院へでも入れなくッちァいけないわい」まさかその時分に京都病院がありそうなことはございません
秩父大八郎重国は福島正則の妾腹の息子で、日本刀やら丸太で人を殺害する人物だ。つまり明治時代よりずっと昔、銃刀法や殺人罪が曖昧な時代の物語ということになる。その時代に京都の大学病院や汽車が出てくるっていうのが笑い所だ。この他、武士がサンセー、ヒア、ヒアー!と叫ぶっていう定番のギャグもあるんだけど、ヒアーとか今じゃ意味が分からない人のほうが多いよな。とにかくこんな素朴なギャグで、みんなが笑っていた時代があったんだ。
時代錯誤ギャグのちょっと危険な性質としては、新しいことを受け入れ難い人々を小馬鹿にすることができるという点であろう。過去に執着している人間を笑うっていうのは、趣味の良いことではない。さらに無知で弱いオッさんをボッコボコにするためのお墨付きに出来たりもする。状況によっては、かなり悲惨なことになると思われる。ただしこの辺りはやり様で、誤った考えを持つ人々の考え方を改めされるためのツールとしても利用できないこともない。
話がすこしズレてしまったが、時代錯誤ギャグっていうのはかなり懐の深いギャグで、分る人には分かるけど分からない人には分からないっていう状況が起きやすい存在でもある。それで保毛尾田保毛男に戻るわけだけど、あれももちろん時代錯誤ギャグだと言える。
時代錯誤ギャグの難しさ
今のアニメや漫画にも、時代錯誤のお笑いは、たまに出てきて私たちを楽しませてくれる。このギャグは使い方によっては、誰も傷つかない。江戸時代の物語に大学病院が出てきたところで、面白いねぇで終りである。
少し複雑なものだと、過去の人々が笑わせる意図なく作り上げた創作物を、時代錯誤ギャグとして楽しむというものがある。私は過去の物語を無駄に読んでいるため、こういったケースによく出会ってしまうのだが、見るたび絶対に笑ってしまう。
ざっくばらんすぎだろとか、昔の奴ら雑で荒っぽいよなーっていう感想になってしまうんだけど、とにかく今とは様々な品質が違う。マジ現在に産れて良かったわーていう結論である。こういった種類の面白さが好きな人は私が書いたこれを読むと良いかもしれない。
今回の保毛尾田保毛男も、同じような構造だ。笑いが発生する前提として、まず不十分ながらもセクシュアルマイノリティについての知識が普及しつつあるという事実がある。保毛尾田保毛男を見ると、あれはダメでしょって反射的に考えてしまう人のほうが今や多いだろう。その上で、なんでこいつ(石橋さん)テレビに出てるんだ勇ましい野郎だなって考えると、笑いが発生するっていう構造である。その後の騒動なんかを考えると、一種の社会批判にも仕上がっていて、ビートさんとしては大満足の結果だったような気がしないでもない。
保毛尾田保毛男で笑えなかったのは残念なのでは?
今回の件で、保毛尾田保毛男くらいで騒ぐなよっていう意見がわりと出てきていた。LGBT に対する理解が深い人間が、浅い人間に合せるのって絶対に駄目で、周囲がどんなに駄目であっても、自分がきちんと理解してるんなら、それに従って行動するのが一番よろしい。だから別に意見書を書いて提出するっていうのはかまわないし、苦情を入れるのもいいんじゃないのかなって思う。
だけどこれは文化面も同じで、自分が特定の文化に対して理解度が低いにも関わらず、なんの自省もなしに貧しい知識とセンスと認識のみで批判するのは文化の破壊でしかない。今回の保毛尾田保毛男は、どう考えても時代錯誤的なものを狙ったギャグだ。時代錯誤ギャグなんてものは知らない。そんなのはメジャーなものではないし、どうでもいいって人もいるかもしれない。だけど夏目漱石の『吾輩は猫である』にも、ちょん髷で鉄扇を持ったフロックコートの老人というキャラクターが出てくる。
(明治の)新しもの好きの人間と旧弊な漢学者とのやりとりは、今でも通用する品質なので気が向いた人は読んでみると良いと思うけど、時代錯誤による笑いっていうのは、長い歴史を持っているひとつのメジャーな文化物である。事例なんていくらでも挙げることができる。そしてそれは、今でもやっぱり存在している。
存在することを無視するっていうのは、偏見や差別を広げることにもつながってしまう。保毛尾田保毛男の件は、こういうギャグを時代錯誤のものとして笑える人が出てくるくらいに、セクシュアルマイノリティへの理解が多少なりとも深まってんだなって喜んでも良いくらいだと思う。結果的にはセクシュアルマイノリティに関する情報が、これまでとは異る層に広がったわけだから、感謝状でも送ったほうがトータルでは良い世の中になったんじゃないのかなっていうのが私の感想だ。意図を無視して怒ってしまったのは、とても残念なことであり、当事者じゃない人はわりとモヤモヤしたんじゃないのかなって思う。
今回の件だけでなく、文化的な創作物に対する苦情や批判に対して、モヤモヤしている人がわりといると思われる。なんでそんなことになるのかっていうと、『劣る』『悪い』と主張している人が、対象となる創作物に関する知識や素養がなさすぎるからっていう実に単純な理由である。
少し以前に日本のお笑いは政治批判ネタをやらないからレベル低いって話があったんだけども、お笑い芸人の政治批判で喜ぶ社会とかレベル低すぎて勘弁して欲しいっていうのが私の感想だ。日本でも明治時代は全体的なレベルが低く、政治批判のお笑いが大量にあった。有名なのだとオッペケペーで、いわゆる壮士歌ってやつである。それじゃ今さら壮士歌を復活させれば良いのかっていうと、勘弁してくれって話しになってしまう。下等なものに戻る必要なんかはない。youtubeにアップロードされてるから、政治批判のギャグが大好きな奴らはいくらでも壮士歌を聴いたら良いと思われる。
オッペケペーというものは、教科書に出てくる。壮士歌は知らない人がいるかもしれないが、その後に出てきた演歌はわりと有名だ。添田唖蝉坊の全集も出てる。深い意識の下では、みんなが日本も昔は政治批判ネタ流行してたよなってことを知っている。知っているからこそ、『差別や偏見、政治的対立をネタにする、国際水準のコメディーは存在しない』なんてこと言われちゃうとモヤモヤするわけである。ちなみに今回の保毛尾田保毛男は、差別や偏見を解消する過程で起きる混乱をもネタにしている。『差別や偏見、政治的対立をネタにする、国際水準のコメディーは存在しない』なんてことを主張したり賛同していた人々は、絶賛しても良いような気がしないでもない。
ただしこの辺りは難しいところもあって、日本に限らずどこの国でも低俗で下等な文化というものは、研究対象として扱われにくいという事情がある。詳しく知ろうとしても、なかなか難しい。日本文化であれば、明治に発生した講談速記本を中心とした最初期の小説……というより小説未満の物語から、絶大な影響を受けている。にも関わらず、その辺りのことを解説した書物はほとんど存在していない。知らない、分からないってのは、当然っていう気もしないでもない。
講談速記本の傑作作品を、私がテキスト化したものがあるんで、良かったら読んでもらいたいけど、普通の人は急がしくて暇ないと思われる。
これじゃ仕方ないので、その辺りの文化をまとめた本を、私が今まさに書いている。企画書も通っていて、来年くらいに柏書房さんから発売予定なんだけど、まだ題名も決めてない。あと、まだあんまり一所懸命に書いてない。そのうち一所懸命になるかなーって思ってるんだけど、なんか気が出ないんで担当の編集の人には嘘ついてごまかしてんだ。明日から10日連続で仕事休んだらやる気でるかもしれないけど、10日連続で休むと給料減るから迷ってしまうし誰でもいいから俺を助けてくれッ!! てなわけでこんなで駄文を書いてるわけなんだけど、なんだかんだで1万2000文字くらいになってしまった。
まとめ
異常に長くなってしまったんで、最後になぜ保毛尾田保毛男が面白かったのかをまとめておこう。
- セクシュアルマイノリティに対する理解が深まりつつある時代なのに、石橋貴明さんが怖めず臆せず保毛尾田保毛男の格好をしてテレビに出てきた
- 保毛尾田保毛男が放送されたことによって、なんだかんだでセクシュアルマイノリティに対する理解が広がったという功績を果してしまった
- それなのに LGBT の団体が抗議声明を出してる
- 差別や偏見と戦う団体や人々が、なぜかフジテレビと石橋貴明さんの性質を決め付けている
- ビートたけしさんの格好も歌もヤバいけどなぜか不問
- ビートさんが悪い可能性が高いのになぜか全く怒られていない
- それどころかビートはトップ3で褒められているではないか
- しかしビートたけしさんは自分も怒られたほうが面白かったのにって寂しい思いしているかもしれない
- ビートが寂しがってるかもって島田洋七さんがすごく心配してる可能性がある
- 島田洋七さんは料理が上手い
- たけチャンはパンツにウンチ常につけっぱなしである
- しかし洋七さんは嘘ばかりつく
- ビートさんが諸悪の根元って書いたけど洋七が嘘をついてたけしさんを騙してる可能性もある
- 結論としては島田が諸悪の根元の疑いが強い
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