時効だから話すッ!!! みたいなのがあり、これは過去の悪いことを語る時に使用される表現技法である。
若者が小学生時代の同級生に「時効だから話けど、お前の消しゴムをカッターナイフで賽の目切りにしたの実は俺だったんだ……」みたいなことを語り合っているのは微笑ましくて良いものである。他人の消しゴムをカッターナイフで賽の目切りにするような人間は完全完璧な異常者だから関わりたくないけど、青春の1ページであると思う。
その反面、春もうららな昼下がり、窓を開けて君がお茶をしていると、玄関ドアをブチ破り身長3.5メートルのご近所さんがやってくる。ご近所さんというものはすごい。まず外骨格であり、腹だけすごいデカく、手足は細目であるがとにかく筋が強いため、コンクリートブロックを豆腐の様に破壊することができる。毛穴(6個しかない)から飛び出る体液の初速は4080m/s、わずか1mlで歩道橋を破壊するほどの威力があるわけだが、そのご近所さんがにこやかに、「時効だから話すけど、2分前に町内の人間は全て殺した。次はお前だッ!!」って絶叫しながらお前を完璧に殺しに来たら、すごい嫌な気持になると思う。
そんな時に、時効について考えたことがない人間だったら、すぐに殺されて終りだと思う。しかし『時効だから話すッ!の時効って、どの程度の時間か曖昧だよな。時効だからって枕言葉で話し出す奴ら全員断罪すべきだろクソがッ!!!』などと、常日頃から静かに思索に耽っている人間であれば、昆虫人間のご近所さんが「時効だから話すけど、2分前に町内の人間は全て殺した。次はお前だッ!!」って絶叫したとしても、2分前は時効じゃないですって答えることができる。ご近所さんも「時効じゃなかったかー、まいったまいった」と頭をかきながら、家から出ていってくれる。
この様に様々なことに対して思索を巡らすことは、とても大切なことである。哲学的思索を通して得た「死という欠損」(死によってそれは止まってしまうの意)は我々に一種の癒しを与えてくれる反面、数学的言語によって真実性が証明されてしまった事実は、我々にある種の意思の決定を強制するという事実がある。そんな小さなことはどうでもよくて、外骨格のご近所さんがやってくれば最後、町内の人間は皆殺しにされるのだから、引越しする時、まずは現在お住まいのご近所へご挨拶を。引越し当日、騒音などで迷惑をかけてしまいますからお早めにご挨拶に伺いましょう。
- 作者: ショーペンハウエル,Arthur Schopenhauer,細谷貞雄
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