フィクションの世界において、作中では知性派で優秀な頭脳を持っていることになっているものの、キャラクターは作者の創造力を超えることはできないという制約ゆえに、読者からするとものすごいバカに見えてしまうという状況がある。これはキン肉マンのミート君にちなみ、ミート現象と呼ばれている。
もちろんキン肉マン以前にもミート現象は多々発生していたのだが、読者のレベルも低かったため、あまり気にも止められることもなかった。というわけで今回は、明治43年のミート現象を紹介してみよう。
まず下記の講談速記本から引用した文章を見ていただきたい。
春日後日宮嶋大仇討 玉田玉秀斎 樋口隆文館 明治43(1910)年
『孔明も三舎を避ける、楠木正成も裸足で逃げる』とあるため、どのような策略かと思ってしまうが、その実態は舟に乗った人を川に落して石を投げるというものである。孔明はこんなこと考えないと思う。
策略を実行した結果は、罠にかかった主人公が怒り狂い、人を斬り殺しまくり死人が8人程度でるという悲惨なものであった。
ミート現象が発生すると、読者は作者に対し優越感を感じることができて気分が良い。そのため作者が意図的にミート現象を発生させることもある。先程引用した書籍『春日後日宮嶋大仇討』で発生したミート現象も、恐らく意図的なものである。なぜそんなことが分かるのかというと、無駄にギャグがちりばめられているからだ。実例を挙げると、下記のニャーンギャグである。
この様にミート現象は作者を馬鹿にしているつもりの読者が、作者の掌の上で踊らされているといった状況にもなり得る技法で、深読みを始めるとなかなか面白い。そもそお『孔明も三舎を避ける、楠木正成も裸足で逃げる』というのは、講談速記本では定番の表現で、それが明治の40年代にはギャグになってしまうということに驚くべきなのかもしれない。
下記の作品でも当たり前のようにメタフィクションの手法が使われている。漱石の猫伝でもメタフィクションは使われているが、純粋に技法として見ると、こちらの作品のほうが高度である。当時のギャグ水準の高さを思い知ることができるだろう。
文化というのは常に前進するものではなく、時に後退したり回り道をしたりする。今となっては考えられないことだが戦争を挟んで文化水準が落ち、講談速記本のギャグレベルを他の創作物が取り戻すまでには、長い時間がかかっている。