山下泰平の趣味の方法

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クラーク博士に挑んだ和尚

特に名著というわけでもない明治大正時代の雑本を読んでいると、昔もやっぱり人が生きていたのかと、強く感じることがままある。

明治二〇年代、北海道札幌の中央寺門前に、蛍雪庵という学生寮が建てられた。

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学生寮は珍しくないが、その目的が少々変っている。

当時中央寺の住職だった小松万宗老師は、気概に富み学識も凡ならぬ男であったそうだ。そして明治時代の北海道大学には、クラーク博士の影響でキリスト教の洗礼を受ける学生が多くいた。この辺りの事情については、詳しく書きはじめると長くなってしまうので今回は割愛しておくが、とにかく老師は北大の学生たちが次々と洗礼を受けるのを見て、禅宗としてもなにかをしなくてはと蛍雪庵を建てた。鍋釜はもちろん諸道具備え付けで寮費は格安、ただし土曜の夕方にお寺で開かれるお経の勉強会への参加は必須という条件であった。

当時の苦学生と呼ばれる人々でも、月八円の生活費が必要だった。ところが蛍雪庵では、月に五円もあれば余裕をもって生活ができた。蛍雪庵の存在ゆえに、金銭的な問題を解決し学問を収めることができた少年も、わずかながらもいたことだろう。

ここまではただの良い話なのだが、それだけで終らないのが生きている人々の面白さで、土曜日の勉強会など面倒くさいと、腹痛や用事を理由にしてサボってしまう学生が増えてくる。和尚は対抗策として晩飯前に蛍雪庵にて勉強会を開催するも、学生たちは押入に立て籠り参加を回避しようとする。たまに寺へと出掛けてきたかと思えば、金毘羅様と仏様のおそなえの餅や菓子を無断で食べて逃げ帰っていく。

蛍雪庵での生活も、滅茶苦茶だ。風呂に入らず悪臭を撒き散らしているものもいれば、ジャガイモのみ食べ続けるという実験に着手し、庵の住人全員の体調がおかしくなってしまった時期もある。部屋から部屋への移動に便利だからと障子に穴を開けてしまうし、踏み固められた雪のため開閉が面倒だと玄関と裏口の戸は常に開いている。雪や塵が入り放題だから、廊下は土足で移動する。お寺の門前に遊びに来る子供たちとも喧嘩する。

おまけに学生たちは和尚を裏切って、教会で洗礼を受けてしまう。

流石の和尚も呆れ果ててしまい、三ヶ月もたつと勉強会を廃止してしまうが、蛍雪庵は六年間も続く。若者たちに呆れながらも、和尚は住人たちの卒業を待ったのだろうか? 今となってはなにが真実なのかは分からない。しかし蛍雪庵の住人たちが、卒業した後に技術者や実業家、あるいは大学教授となり、明治期日本の成長を支えたことは確かである。

そして蛍雪庵の滅茶苦茶な生活からも、友情は育まれていく。

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こういうものを読むと、明治にも様々な人がいて今と同じく生きていたと思ってしまうのである。

参考資料 二十年前の学生自炊生活 蛍雪庵思い出の記 種蒔権兵衛 六盟館 明治四三(一九一〇)年