明治時代にとある創作者集団が忍術使いの命名に悩んでいた。その時、リーダー格の男が故郷にあった猿飛橋のことを思い出す。欄干を飛ぶように走る猿たちの姿は、忍術使いにふさわしい。猿飛で行こうというわけで「猿飛佐助」が登場した。「猿飛佐助」は立川文庫で大ヒットし、後々にまで愛されるキャラクターとなった……という話がある。
この情報の出所は「女紋」という小説。
- 作者: 池田蘭子
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 1960
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それなりに美しく面白い話だと思うのだけど、本当の話なのかというとかなり微妙、どちらかというと嘘で、猿飛佐助という名前自体は江戸時代から存在している。
ただ面白い話だから、これはこれでいいと個人的には思っている。そもそも小説を書いたのが「立川文庫」の創作者集団のメンバーなのだから、少々話を盛るのが当然だ。だからまあこれはこれでいいんじゃないのって思う。
ちなみに明治から大正時代にかけて猿飛佐助がヒーローになっていく過程については、このあいだ書いたので興味ある人はどうぞ。
肉じゃがの起原についても、面白い嘘がある。東郷平八郎がビーフシチューを作れと命じられた料理長が苦悩し、醤油と砂糖で作り上げたのが肉じゃがだってエピーソードだ。この話もよく出来ているからまあそれでいいんだけど、明かに嘘で明治の四〇年には肉じゃがは存在している。
これも私が見付けられた範囲ではって話で、これ以前に肉じゃがのような料理は作られていると思われる。なぜなら条件が揃っているからだ。
まず明治二〇年代に、北海道大学でアーサー・アンバー・ブリガムがジャガイモの効能を喧伝し、常食にしてはどうかという話が出ていたという事実がある。
北大の学生が実際に実験したというような話も残っていて、ジャガイモはまあまあ普及してたんじゃないのかなって考えるのが自然だ。
で、この時代あたりだと貧乏な家でも奮発して、安物の牛肉を二銭くらいで買うことができた。
ジャガイモと牛肉はあるのだから、東郷平八郎が舞鶴鎮守府に司令官として赴任する明治三四年まで牛肉とジャガイモを砂糖と醤油で煮る人が出てこなかったとは考えにくい。
それじゃ牛肉とジャガイモを砂糖と醤油で煮れば肉じゃがなのか、ちょっと聞くがこれは本物の肉じゃがか?まず第一に肉じゃがとはなにか? 牛肉とジャガイモを砂糖と醤油で煮れば肉じゃがであるならば、肉を炒めて後入れしたものは肉じゃがではないのか? そもそもなぜ芋を取ってジャガとしているのか? ジャガとはなにかとか言い出すと美味しんぼっぽくなっちゃうので止めるけど、東郷平八郎のエピソードはまあ嘘だと思う。それじゃそのエピソードに価値はないのかっていうと、やっぱりあって単純に面白い。今では東郷さんの人格やエピソードなんかは忘られれているけど、そういうの知ってると余計に面白い。
私は暇潰しに昔の本を読むのが好きなんで、流通している知識の嘘を見付けたりすることがある。でもまあ面白けりゃ嘘でもいいかなって思う。今は余裕のない人が増えてきて、正しさみたいなのが無駄に求められてる雰囲気があるけど、面白くて害のない嘘が流通しているのを眺めて面白がるくらいの余裕は常に持っていたい。
- 作者: 田中宏巳
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
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