はじめに
今の私はちょっとした事情があって、マイナー犯罪実録作品とその作者について調べている。その作者は、明治の三五年あたり東京の麻布及び硯友社あたりに出没していたらしい。そんなわけで文学者たちによる明治三五年辺りの記述を調べてたりしてるんだけど、謎の作者の影も形も見当らない。つまりこの作業は徒労だったわけです。
ただ改めて明治大正時代の文学者の語る思い出話を読むと、とても面白かった。こういう本を読んでおくと、明治大正文学の雰囲気を知るためには、とても役立つと思う。
そんなわけで今回は、普通の人が読んで面白いものを選んで紹介しておきます。
明治大正文学の面白さ
明治大正の文学の世界は狭い。だからつながりが発生する。
意外なところでは、国木田独歩と柳田國男が一緒に飯を食べながら爆笑していたりする。夏目漱石に限っても、樋口一葉の家との縁談があったり、森鴎外が住んでいた借家に住んだり、テームズ川で南方熊楠が汽船ですれ違っていたりする。
もう少しだけマイナーなところだと、石川洋次郎が作品を見てもらおうと、同郷の葛西善蔵を訪ねた所、善蔵は泥酔しておりレントゲンを取るから上半身裸になれと命令されたため、それに従い座ると善蔵が片目を閉じて万年筆越しに背中を見て、貴様は結核になりかけだッと絶叫されるなどもしており、様々な人が様々な場所でつながっている。
今回紹介するものは、そんな狭い世界のある人物が存在していた人たちが、特定の場所で起きた事件を羅列した作品が中心なんだけど、当時の雰囲気を知るには十分だと思う。少なくとも不完全な文学史をひとつだけ読んで、大満足しているよりはずっとマシです。
今回紹介する中で、無料でも読めるものを読むだけでも、だいたいの雰囲気は分かると思う。
坊ちゃんの時代
まずは漫画、予備知識がなくても漫画だから問題なく読める。作品としてもまず間違いなく面白い。
ただしこれはあくまでフィクションです。
私がこれを初めて読んだのは高校生くらいの時で、ヘーって思った記憶あるけど、今はかなり微妙なところが多いなと思ったりしないでもない。長谷川伸が人力車引っ張っているのと、伸自身が一本刀土俵入りしそうになるのはとても良い。
これは無料では読めない。図書館かアマゾンでどうぞ。
- 作者: 関川夏央,谷口ジロー
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2014/06/18
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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明治大正の文学者
中村武羅夫による明治文学史のようなもの、この人は小林多喜二と論争したことがあるんだけど、武羅夫が妄言ばかり書くので多喜二がブチ切れてお前みたいなアホと話する暇はないので今後はムシりますって宣言されてたような記憶がある。多喜二は頭が良いけど、酷いと思う。
中村武羅夫は天麩羅と呼ばれるとブチ切れる人格の持主で、それを面白がって天麩羅を連呼するバカとかいた。詳しい事情はよく分からないけど、なぜか武羅夫はこいつアホみたいな噂を何度か流されている。たまたま読んだ作品も優れたものとは言えない感じだったので、私もやっぱり武羅夫はバカなんだと思ってたんだけど、『明治大正の文学者』はかなり良かった。武羅夫なかなかヤルじゃんという感じ。この人はかなり元気のある人だから、この本も元気のある仕上りになっている。
『明治大正の文学者』は、一流ではないけど、元気のある人の視線から見た明治大正の文学史、無料で一部が読める。
全部読むならキンドルでどうぞ。
- 作者: 中村武羅夫
- 出版社/メーカー: アイティメディア株式会社
- 発売日: 2014/09/26
- メディア: Kindle版
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文壇五十年
正宗白鳥による文学史、白鳥は皮肉っぽい評論とか書いてる。この人の文章を読んだ時に、お前エラソーなこと書いてっけど、お前も大したもの書いてないだろボケって思った記憶がある。これは私が無知であったから、そういう風に思っただけで、当時の限界や事情を考えながら読むと、素晴しい評論を書いていたんだなと今は思う。
『文壇五十年』は、明治半ばあたりから終戦までの白鳥が見た記憶を書き綴った作品で、白鳥は保守派かつ正統派だから、そういう場所から見た五十年になる。抑制が効いててとても良い作品に仕上がっていると思う。
途中、異常に薄い部分があるので、年代を追って順番に理解できるという感じではない。だけども、十分に雰囲気は分かる。
こちらも無料で一部が読める。
全部読むならキンドルでどうぞ。
- 作者: 正宗白鳥
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2013/01/23
- メディア: 文庫
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以上の二つは ITmedia が電子化している。なんで ITmedia がそんなことをしているのか、よく分からない。
ともあれ、なかなかセンス良い。売れないと止めちゃいそうなので、なるべくならキンドルで買ってあげよう。
おもひ出す人々
内田魯庵は丸善が輸入した万年筆を最初に買った人で、テクノロジーが大好きだった。漱石に万年筆を紹介したのは、この人である。
皮肉で洒脱なところがある人で、文学者となる法みたいな面白い本も書いてる。文学に限らず美術やらなにやら色々なことが好きな人で、文壇史も自然にそういうものになる。
だからこれは文学だけでなく、文化全般の思い出話になるけど、明治の人々はある時代までは、文学も音楽も絵もゴチャマゼにして考えていた。だから読んでおいても損はない。年代順に語られるのではなく、特定の人物の思い出が羅列されているエッセイ集っぽい感じ、こちらは近デジで読める。
ダウンロードの方法はこちら、本で読みたい人は岩波文庫でどうぞ。
- 作者: 内田魯庵,紅野敏郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1994/02/16
- メディア: 文庫
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自己中心明治文壇史
これは江見水蔭による自分自身の歴史、水蔭は活発なことが好きで、庭に土俵を作ったり、穴を掘って遺跡やら化石を発掘したり、ずっと酒を飲み続けたりする。この文壇史もゴチャゴチャしてはいるものの、かなり元気の良い作品、今回紹介する中では一番にお勧めしたい書籍です。
水蔭の時代の日本文学は、推理小説と純文学の区別も曖昧なごった煮状態の時代だった。水蔭自身は、小説を書く偉い人になろうという意気込みだけで行動していたように思える。水蔭は冒険小説を書きもするが、自分も洞窟を冒険したりする。探偵小説も書けば脚本も書くし、自ら芝居もやってしまう。新婚旅行が流行すれば新婚旅行小説を書くし、海賊が流行すれば海賊小説を書く。とにかくいろいろ書く。オッペケペーの川上音二郎とも友達であったりする。
ここで描かれているのは、教科書に出てくるような立派な文学者や作品ではない。だから主流の文学史の他にも、こういう世界があったのだなと知ることができると思う。
こちらは Google Books で読める。
Google Books Downloader でダウンロードできると思う。
大衆文芸作法
直木三十五による大衆文芸史的なものが出てくる。直木三十五は相当に才能のあった人で、この文章もなかなか面白い。もっとも大衆文芸史の一部しか書かれていない。ただまあだいたいの雰囲気は分かる。これは青空文庫で読める。
ここで触れられている探偵小説の研究は、今やかなり進んでいる。
- 作者: 伊藤秀雄
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2002/02
- メディア: 文庫
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- 作者: 谷口基
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2013/09/19
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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もちろん直木の認識よりも、今の研究のほうがずっと正しい。だからわざわざ『大衆文芸作法』を読む必要はないといえばないんだけど、当時はこういう感覚があったのだということを知っておくのもなかなか面白い。
座談会明治・大正文学史
こちらは座談会の記録、座談会だから参加者の記憶が曖昧だったりする。しかしながら当時を生きていた人々が、その時に見たことを書いてあるのでメチャ面白い。
このシリーズで良い場面は、ほとんど発言のなかった小島政二郎が、芥川龍之介の悪口が出ると豹変し激怒するところだと思う。小島政二郎は佐佐木茂索と同じくらいの時期に、芥川龍之介に私淑していた人物です。
佐々木茂索は、あまり権威も人気もなかった芥川賞を育て上げ、芥川龍之介の名前を守ることに成功した。その一方で異常に芥川が好きだった政二郎は、大衆小説の作家になってしまう。小島は純文学から堕落し、だらしない作品を書く人間に成り下がったと思い込んでいたようだ。だからこそ芥川の悪口に、激怒したような気もする。
こちらは無料では読めない。
- 作者: 柳田泉,勝本清一郎,猪野謙二
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2000/01/14
- メディア: 文庫
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小島政二郎も思い出話を書いていて、これも良い作品なんだけど、絶版で高くなっている。
- 作者: 小島政二郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1995/04/17
- メディア: 文庫
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日本文壇史
伊藤整による文壇史、これは本当にきちんと書かれた文壇史で、かなり読み応えがある。当り前だけど上で紹介した本も参考にしていたりもする。だからこれまでに紹介した作品を先に読んでおくと、このエピソードはここから取ってるのかと、ニヤニヤすることができる。
伊藤整というと随分と最近の人だと思っていたのだけど、『若い詩人の肖像』で、多喜二が舞台の上でピエロだかなんだかの扮装をして芝居していたみたいな思い出話が出てくる。歴史上の人物の小林多喜二と、今の人の伊藤整が競演しているのが、意外だったりした記憶がある。全く関係ないけど、堀田善衛の『若き日の詩人たちの肖像』も良い本だった記憶あるけど、今は関係ない。
伊藤整がこの本を書き上げるために、六角形の回転する本棚を作ったような記憶があったのだが、検索すると見付からない。私の記憶力はゴミみたいなものなので、これは真意不明としておこう。
伊藤整も戦後は純文学ばかりでなく、普通の文章も書くようになった。小島政二郎のような純文学への過剰な思い込みはなかった気もするが、内心いろいろと思うところがあったのではないか。それがこの作品を書かせたのかなと、思わないでもないが、こちらもあんまり関係ないかもしれない。
- 作者: 伊藤整,紅野敏郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1994/12/05
- メディア: 文庫
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どちらにしろこの『日本文壇史』は、日本が誇る最高の娯楽のひとつである。仕事を引退した暇な人は、『日本文壇史』をガイドブックにすると、一生日本文学で遊ぶことができる。
文壇史的な本の楽しみかた
私の場合は、かなり長いあいだこういうものを読んでいなかった。明治大正時代の作品を大量に読んでいるから、それで十分だと思っていたのである。大学生になるか、ならないかの頃、たまたま気が向いてこういうものを読むと、分散している知識がまとめられていって、ひとつの生き物のような感じに成長していった。
これはとても面白い経験だった。
だからこそなんだけど先に概要を読んでしまい、だいたい明治大正時代の流れを把握しておいて、登場した作家や作品の中で気になるものを読むという方法も、かなり面白い経験なんじゃないかと思う。
私はそういう経験をすることが、もう出来ない。だからこそ、まだ詳しくない人にはお勧めしたい。
まとめ
以上紹介したものは、明治大正の文学好きな人ならば、普通に読んでるものばかりである。フーンあれは紹介しないんだって手合もいると思うけど、普通の人が面白いと思うものはこういう感じだと思う。
並べるだけじゃなんなんで、一応は紹介文みたいなものを書いてみたけど、朧げな記憶しか残っていないので、かなり粗雑で馬鹿丸出しな表面加工になっている。興味を持った人は、本文に当ってみて欲しい。
今回紹介した書物には、今では当り前に研究されている投稿欄によって発生した文体などついては、ほぼ出てこない。また日本の漢詩も出てこなければ、短歌や和歌の世界にもほぼ触れられていない。もちろん私が今調べているジャンルも、全く出てこない。先に日本の近代文学の世界はとても狭いと書いたけど、まだまだ知られていない世界が遥かに広がっている。日本の近代文学は狭いけど広い。
明治大正の文学に詳しくなったらなにか得するのかというと、ほとんど得しない。今回紹介したものを読んで、出てくる単語を暗記すると、知ったか振りするためには十分な知識が身に付くけど、そんな馬鹿丸出しなことする意味もないと思う。得になることなど皆無なのに、なんでこんなものを読むのかというと、昔はそういった行為を余裕と呼んでいた気がする。余裕があったほうが人生は楽しいと思う。
今回紹介したものは、あくまで入口にしかすぎない。ただしその入口を覗くだけでも面白い。そこにたまらない面白さを感じた人は、国立国会図書館デジタルコレクションという底知れぬ沼が用意されている。読み切れない書籍の海へと沈んでいくのもまた一興といったところです。
近代文学入門については、こちらにも書いていますので良かったらどうぞ。