私はきちんと編集された個人全集が好きだ。
だけど優れた個人全集は、もう出ることはないと思う。新しい全集自体は出るかもしれないけど、これまでの全集に比べると見劣りし満足感の少ないものになってしまう気がしている。
なんで見劣りする個人全集しか作れないのかというと、そんな悠長な仕事している余裕が出版社になさそうっていうのが大きい。個人全集の魅力には、美しい装丁、脚注や索引など様々な要素がある。電子書籍で出す全集なら、索引は必要ないけど、充実した脚注の付いた個人全集を出したりはできないと思う。
インターネットの存在もデカい。全集の魅力のひとつに、その人が書いたものを全部読めるという安心感がある。ところが今はインターネットが存在する。
例えば筒井康隆さんの全集が出たとして、インターネットの書き込みを収録するか、しないかっていう問題がある。収録されたとしても、ネットに書く文章なんか例外なく雑で品質が低い。好きなら全部読んでおきたい気もするから、収録して欲しいけど、収録すると全体としての質が低下してしまう。
今後良い個人全集が出るとしたら、漫画家のものになるだろう。漫画はお金になる上に、漫画家は漫画を書く人なんだから、別に漫画家が適当にネットに書いた文章も収録する必要はない。ファンの人は読みたいかもしれないけど、漫画だけが全て収録されていますっていう建前が成立するから満足感が高い。漫画家がネットにアップロードした絵はどうするのかとか、そういう問題はあると思うけど雑な文章よりは扱いは楽だと思う。
ただし電子書籍の性能が、無限に向上していくという問題がある。今の時点でも電子書籍は、状況によっては紙より圧倒的に読みやすい。解像度もどんどん向上していく。近々紙より電子書籍のほうが、圧倒的に美しくなる。
その時に印刷された書籍からデジタルデータを作ると、生原稿をデジタルデータ化した電子書籍よりも見劣りするものになってしまう。だから生原稿が必要になる。しかしながら漫画は長い間文化レベルが低いとされてたから、生原稿とか大量に破棄されてきてる。どんなジャンルでも初期の時期っていうのは重要なのに、その初期の作家たちの全集を作るのが難しい。
漫画が雑な扱いされていたのには色々な要因があって、漫画の出自が貸本ってのがデカい。貸本は常に文化レベルの低いゴミみたいな扱いをされていて、漫画のご先祖様にあたる明治期の講談速記本やら娯楽小説の原稿なんかは、ほとんど残っていない。漫画も同じく、長い間雑な扱いをされていた。明治期の講談速記本やら娯楽小説は今のところはレベル低いままだから、あんまり問題はでていない。だけど今や漫画は価値があると評価されているから、かっての雑な扱いが問題になってくる。こういうのは解決しがたい問題で、妥協してくしかないんだけど、なんとも割り切れない感じではある。
- 作者: 夏目金之助,夏目漱石
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1993/12
- メディア: 単行本
- クリック: 4回
- この商品を含むブログ (4件) を見る