山下泰平の趣味の方法

これは趣味について考えるブログです

社会と趣味

社会はすごい

社会というものの威力はすごい。社会がなかったら、人間はここまで発達していない。もっとすぐ死ぬ生物だったと思う。社会が強力であればあるほど、人類は進歩していく。

これは人間に限ったことでもなくて、猿とかも脳の何割だか忘れたけどコミュニケーションに使っている。しかし猿のコミュニケーションとかキーキー鳴いたり、毛づくろいする程度なので、あんまり発達しないし、チンパンは未だに水に怯えている。私はチンパンジーが大嫌いでシロテテナガザルは好きです。シロテテナガザルの鳴き声はすごくやかましい。人からするとデカい音を出してビビらしてるだけです。このあたりの話はこういう本に詳しく書いてある。

ことばの起源―猿の毛づくろい、人のゴシップ

ことばの起源―猿の毛づくろい、人のゴシップ

しかし人間は猿とはちょっと違って、より複雑なコミュニケーションを取ります。複雑なコミュニケーションによって、より強固で柔軟性のある社会が作られていく。俺たちみんな人間仲間で、毎日情報伝達しているし、進化していく。

社会はダルい

ところが社会が複雑になりすぎて、普通に生きるのダルいみたいになってきている。これは今に始まったことでもなくて、近代になってからダルくなる人が増えつつあったりした。日本だと明治に入ってからですね。

ダルいの嫌だって人らが作ったのが日本の場合は簡易生活というやつで、今のシンプルライフやらミニマリストみたいなののご先祖だったりする。

明治の簡易生活は缶詰食ったり物のない清潔な部屋で住もうみたいな感じで、物を減らそうっていうのとは少しだけ違う。なぜ物を減らさないかというと、当時は社会が今と比べると進歩していないからです。今みたいに二四時間営業の店もないし、物を持たないと普通に不便だった。昔のはキリスト教の信仰とかと関わっている上に、日本人が海外のもの(有名なものだとソローとか)を曲解して理解した上で、日本の風土に合うようにアレンジしたりしていてかなりややこしい。この辺りの事情はわりと面白いんだけど、多分この辺りの事を調べてる人は私だけなので、お勧めの本とかはないです。

とにかく今から見るとそんな複雑じゃない時代でも、限界ギリギリみたいな人らが発生していたんだから、今の社会というのは人間にストレスを与える存在であることは確かだと思う。

だから社会から離れたところで暮したいけど、完全に社会とのつながりを切るというのは無理、服を着て道路を利用している時点で残念ながら社会に参加してしまう。そもそも社会なしで暮せるのであれば、そんな面倒なものは存在していない。

一部分だけ社会から逃げる

それならどうしたら良いのかというと、妥協して社会性のない趣味を持ちましょうと私は主張したい。社会性のない趣味というのは不思議な存在で、得にメリットもなく面白いだけなんだけど自分一人で遊べてマジ落ち着く。あとお金もかからない。

不景気ですからお金のない人にとっては、今すぐ遊べる趣味が手に入るというメリットが発生する。

お金あるけど時間がない人にとっても、社会性のない趣味は適している。普通彼らは趣味から、短時間で満足を得るためにお金を投入する。なぜならこれが趣味の社会で優越感を得るために、一番効率的な方法だからです。ただしこの方法には限界がある上に、下品に見えてしまう場合がある。さらに優越感を得るためには、常に他者との差を意識しなくてはならない。日常生活でもそういうのでダルいのに、趣味でもダルいと二倍ダルい。だから時に疲れを感じてしまう。社会性のない趣味ならこういう問題は起きないし、社会性のない趣味で訓練しておくと、社会的な趣味の中に自分だけの楽しみを見出すことができ、より有効にお金を使うことができるようになる。

お金も暇もあるという人にとってのメリットとしては、自分だけの趣味は一種の瞑想のような効果が得られるため、禅をしなくて済む。異常に適当な意見だけど、それは私がお金も暇もある暮しを知らないからです。

社会性のない趣味には良いことが沢山ある。しかし馬鹿馬鹿しいため、頭の良い人はやる気にならないという致命的な弱点がある。さらに具体的なメリットもない。落ち着くだけです。だから普及させるのはなかなか難しいけど、人生に疲れた人には役立つと思う。

それでは社会性のない趣味ましょうという話になるんだけど、具体的な方法についてはまた今度書くことにします。

森の生活〈上〉ウォールデン (岩波文庫)

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